第19話第五部4

「わたしたちは物に名前を与えることで、それを支配し確立させてきた」

 それが人間の持つ対話能力がもたらす最大の効果。

 そうわたしの中で答えが出始めていた。

「ヤハウェの名を口にしてはならないという掟の通り、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もみんながみんな、神の名を別称した。口にしてしまったが最後、その者は頭の中で神を認識してしまうだろうから」

 エホバ、ゴッド、アッラー、etc。

 そんな存在はいない。馬鹿馬鹿しい。神様がいたらエミリアは死ななかった。わたしが旅に出ることもなく、貧困で喘ぐ者もなく、戦争で死ぬ者もいない、誰もが安泰して生きていける平等な世界であるはずなのだ。

 全ては偶然という不確定要素が綿密に織り込まれた物語の束が一つになって表れる現実。

 突拍子もない偶然が創り出した出来損ないの世の中だ。

 神はサイコロを振らないと言うのはよく出来た例えだ。

「だからわたしたちはずっと目を逸らしている。戦争があるおかげで成り立つ経済の名を、わたしたちを縛る国家の枠組みの名を、他人が持つ勝手な押し付けがましい倫理を。わたしたち自身でずっと隠すように無意識化の中に潜ませていた。

 それを子供たちが口に出してしまった」

 それがこの核戦争の真実だ。

 最初のボタンを押したきっかけだ。

 人々の不幸の吹き溜まりが弾ける限界だった。

 わたしの言葉を聞き続ける監察官は頭がこんがらがったように呻いてこっちがどうにかなりそうだと、精神科や戦争の専門家を呼びつけていた。だから、理解するのに時間が掛かるのはしょうがなかった。

 わたしは手足を拘束されて、トイレと硬いベットしかない檻の中にいれられていた。

 檻の向こうに用意されたゲスト用の椅子に薄化粧を施した金髪の美人が腰を下ろす。この場所では誰もがそう呼べるほど異彩を放つ。それだけ空虚なところにわたしはいる。

 その美人はわたしの知っている顔だった。もちろん彼女もわたしを知っているだろうが、わたしの顔には心当たりはないだろう。彼女が知るのは人体改造される前のわたしなのだから。

 ナタリー・リンヌ・プティ。

 なんてこの場に似合わない可愛らしい名前なんだろう。わたしのエンターテイメントは名前が笑いの種になっていた。

 腹を抱えるほどではないが、顔中に皺を作ってほほ笑んでいるわたしは、相手から見ればとても不敵で猟奇的に見えるだろう。

 彼女がわたしの目の前に来た理由は単純で、わたしと目が合ったからだ。わたしはガラスの向こうにいるナタリーに気付いて狙っているかのようにずっと目を合わせていた。

 彼女がわたしの目の前に再び現れることを願っていたからだ。

「私はナタリー。あなたは……」

「フックス」シンやオブラソワやベア大尉に、同志たちに。「もしくは災いの代理人(ミスフォーチュンエージェント)なんて呼ばれているよ」武器商人たちや中年の男性にそう呼ばれていた。

「フックスさん、あなたはどうしてこんなひどいことを」

 ナタリーはやっぱりわたしの正体には気づいていなかったようだ。

 かつての彼女はわたしの事を愛称で呼んでいた。ルキと親しく呼んでいた。

 そう呼ばれたかった。

 わたしは悲しい気持ちを切り替えて質問に答える。

「第二次世界大戦をやってる最中、これを第二次世界大戦と思いながら戦っている奴がいただろうか。終わってから名前が付くのか。いいや、名前が付いてから――コントロールできるようになってから終わるんだ」

 名付けるという事は、すくなくともそれを管理できる状態にすることである。新元素が発見された時も、宇宙に瞬く星が見えた時も、いつだってわたしたちはそれが自分の物であるかのように名付けた。

 それを聞いてナタリーや他の検察官も、また始まったと頭を抱えてメモを取り始めていた。まるで勉強会だと思う。

「それでは質問を変えましょう。あなたは……、あなたはどうして戦っていたの」

「アメリカの大統領は自国の事件を大災禍(ザ・メイルストロム)と名付けていたね、それは核弾頭の日常がようやく終わりをみせていたからだろう」

 大災禍。そう名付けることが重要だった。

 それを起こすことは許されない。それを使用するとこうなる。それが始まるのは世界の終わりだ。と使用上の注意のように事細かく、代名詞と効果を明確にすると、人々たちはそう在るべきだと心から賛同する。

 戦争に核を使ってはいけないと。

 心から思い始める。

「名前なんてもうどうでもいいのよ」

 ヒステリックにそう叫ぶナタリーの言う通りなのかもしれない。

 名前なんてただのかっこつけでしかない。名前を付けたことで歴史として記憶され、二度と起こらないように支配し確立させてコントロールしていると言う事実に気付かない方が幸せかもしれない。

「悪かった。わたしが戦っていた理由だったね」わたしは十分、質問が分からないほど精神病に侵されて狂っていたのだけど相手の言葉をやっと理解して答えた。「国の為、自分の為」シンの為。「とそう言いたいけれど、本当のところは未来の為なんだろうな」

「どうしてそう言いたかったの……」

「それがわたしや軍の決定なのは分かっていた、でもこうして考えてみれば、これは今日に蔓延っている生命主義の確立の為だったんだ」

 天を仰ぐ。

 灰色のコンクリートの天井の先は青い空が広がっているに違いない。黒い雨は止んで汚染物質を遠くへ運ぶ強い風も吹く事はない。

 それがとても悲しくて、とても残酷で、命とは尊い物だと理解したら、わたしたちは手を取り始める。

 ナノマシンが普遍的にふるまわれる医療体制。

 ついに人類は本気を出した。

 未だどこかで続いている大災厄の吹き溜まりを掻き消していくように、やさしさを象徴するピンク色をした街と人々は広がっていく。

 慈悲の心で満ちた楽園。

 苦痛と死を完全に理解した究極の医療福祉社会へと。





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