第18話第五部3
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黒い雨。
放射性降下物(フォールアウト)の降り続く爆心地の真ん中をわたしの運転する装甲車は、黒い洪水をかき分けて泳ぐようにタイヤを回して進んでいる。すぐ傍で佇んでいる廃墟はもともとそこに築かれた物ではなく、どこかからか飛んできて積みあがったものだ。
だから、それに紛れて人の肉やら頭、機械などの道具だった物がぐちゃぐちゃに雑多に積まれてある。目の前に道はない。そうして積まれてゴミと化した屍の上を、めきめきと耳障りな嫌な音を立てながら、黒い雨の中をわたしはひたすらに進んでいた。
核弾頭が撃ち込まれた場所は、キノコ雲が舞いあがって決まったようにこの黒い雨が降る。放射能が含まれているので人体にはとても危険で被爆する有害な雨だが、ドイツ軍に人体改造されたわたしには影響がないようで、身を隠して移動するにはうってつけの場所だった。
かつてアフリカからアジアへと移動する時もよくこの黒い雨の中を潜り抜けて通って来たものだ。汚れは海水や川に浸かるとすぐ落ちる。
装甲車の荷台には人工筋肉に包まれたRRWが二個積まれていて、脈打つ様はその役目を今か今かと待ち続けているようだった。今のところのわたしの任務はこれの保管であり、BNDからの命令待ちなのだ。
そして、わたしの運転する席の隣にはいつもシンがいた。
防腐処理を施し、生命維持装置兼焼却装置に入れられたとても頭のいい少年。死ぬと体内の未知のウィルスが空気中に蔓延するという爆弾を背負わされた可哀そうな少年。その顔色は土気色で、体の肉は削げ落ちて腕は小枝のようだ。でも、その心臓はまだ確かに脈を打ち呼吸を繰り返す。
それだけで十分だった。
彼が生きている理由。
わたしの隣にいる理由。
シンの未来に希望が残る理由。
それが少年の遺言の手筈通りだった。
「ほんの少しだけの悪あがきさ」
シンはすでに用意されていたこの装置に入る前に、わたしにそう言い残した。
治療法が見つかるまで生きる。それまでお前は俺を守れ。シンは己の運命をわたしと誰かか何か――救世主か技術特異点とでも呼べばいいのか――未来に託したのだ。
「少し休憩しようか」
わたしは子供をなだめるようにそう優しく呟くと、エンジンの音は止んだ。それでもアクセルは踏み続けていたがもう反応はしない。
わたしの言葉に対し、どこかから少年の声が聞こえ始める。
――俺はまだまだ大丈夫だぜ。止まんなよ。
「わたしが疲れたんだ。肉体は疲れなくても精神は疲れるんだぞ」
――ホワイトカラーとでも言いたのかよ。
「人だと言いたいんだ。わたしだって人間だ。休みたい時ぐらいある」
――お前らしいよ。
どこかからそう聞こえてくる。それはすぐ隣で眠り続ける少年の方から。じっと見続けても酸素マスクが取り付けられた口は、体は身じろぎ一つしないのに。
窓越しに空を見上げる。黒い雨は止む気配はない。地球が泣いているとは思わないけど、ここには人が集まることはもうないな、と思う。
わたしが立ち止まった理由は、単にガソリンが空になっただけだった。ソーラーで得る発電量も連日垂れ込んでいるこの暗雲のせいで無に等しい。
このまま止まり続けるのもいいかと考えたけど、それではシンを生き続けさせている生命維持装置のバッテリーもいずれ無くなってしまう。
どこかからかガソリンでもバッテリーでも手に入れて、シンと一緒に前に進む力が必要だった。
わたしは装甲車から降りて、近くの廃墟を探索するが舌打ちが出てしまう。ここにはゴミしかない。傍から見てもそれは分かりきっていることだった。汚れた布きれや溶けて尖って折れた鉄くずも、粘着質な生物だった塊もこの状況には何の役にも立たない。せめてこれを燃やして火力発電に利用できない物か。そう考えていると後頭部に強い衝撃を感じた。
被っていた帽子が宙を飛んで、強い風に流されてゴミ山の向こうへと吹き飛んでしまった。
「化け物」
そう恐々とした物言いをする中年の男性をわたしの目は捉えた。
生存者か。合羽にガスマスクを着て、狩猟にでも使っているのだろう長いライフル銃をこちらに向けて構えている。
この場合、この中年の男性を殺すか、説得するか、だが「すいません」今のわたしはとても困っていた。「ガス欠を起こしてしまいましてガソリンをお持ちではないでしょうか」
「どうして死なない」
「もしくはバッテリーか」
「あんたがあれか。災いの代理人」
男が読み上げるその呼び名はまさしくわたしの事だった。代理人もなにも、災いはすでに起こってしまった。爆心地の中を防護服もなしで佇むわたしはまさに幽霊か化け物にでも見えるだろう。
いや、そういえば銃撃を受けていたな。わたしは後頭部をさすって痛いふりをした。「武器と取引しませんか……」
その中年の男性の目には見覚えがあった。本人ではないが、あのカナダの国境付近にあったハンバーガーショップの老人の目と同質なものを感じた。
「どうしてこんなことを……」静かな怒りをわたしにぶつけてくる。「あんたのせいで俺の家族や友人はみんな死んだ。あのアフリカの地よりは安全だともてはやされた場所に越していった先人が死んでいったんだ。その時の俺はまだアフリカにいたよ、荒れ地に残り続ける奴らを説得していた。でも奴らの言う通り安息の地なんてどこにもなかったんだな」
その口調もあの老人と同じ――諦念に満ちていた。
「なにも持っていないのですね」
わたしは機械のように男性の言葉を無視してそう言うけど、仕方あるまい。
今のわたしにはこの男の物語はまるで興味ないのだから。
ただそう、わたしが殺してきた人たちはみんなEUに核を使う輩だった。目の前の男がそれを実行するとは思えないから、殺そうとは思えなかった。
それよりも明日はわが身。
ここにはもうじき死の風が吹く。
東西南北にキノコ雲が舞い上がった場所はEPWによる放射能を飛ばす爆風によって強い低気圧――台風(ハリケーン)を生み出す。長い間、それは消えることはなく、砂漠や海といった平らな場所を求めて彷徨う。
それが、今日。
この場所にあと二時間も経たないうちに直撃する予定だ。
そうなったらわたしも装甲車に避難しなければならない。体ごと飛んでいってしまう風速には流石に敵わない。
装甲車までたどり着いたわたしは急いで、装甲車の周りにゴミを固めて窓にはバリケードを張ったり、重石の代わりになる物を荷台に積めるといった暴風対策を施した。
晴れたら周りの探索だ。台風が去った後は天気が回復して陽が差す時もあるし、ガソリンの入ったドラム缶が横たわっている可能性だってある。
希望はまだあるんだ。
作業を終えて運転席に戻ると、何時もすることは少年の顔を見ることだ。
「シン」そして少年の名前を言い上げることだ。
ガラス越しの顔に触れることのない手を這わせる。
「なぜだか心が痛むんだ。わたしのしていることは褒められることではないにしろ、非難されることなのだろうか……」
いつもならすぐ返って来る返事は――どこかから聞こえてくる少年のサディスティックな返事は聞こえやしなかった。
――わたしの心の中で生き続けるシンはわたしの問いかけに対する答えを持ち得ていなかった。冗談でもきつい真実でもいい。なにかわたしを勇気づける言葉を掛けてほしかった。
それが分かるとわたしは自分自身が空虚な物だとつくづく思う。
車内にはエンプティゲージがうっすら点滅している。
まるでわたしみたいだ。
空っぽなんだ、今のわたしは。
外から鳴り響いてくる轟音。
バリケードが飛んで窓に張り付く砂の粒。
車内にはマイナス五十を越えた気温が訪れ、わたしの体内も氷ついてしまうほどだった。ナノマシン群がそれを食い止めるために活性化する。
わたしの意識は途絶えることなく続いている。
論理的に言えば、寝ることはできるが、それはシステムの更新及びメンテナンスだ。主に壊れた時などに行う行為になっている。その寝るという行為をわたしはずっとおこなっていない。
シンが生命維持装置兼焼却装置に入れられてから、ずっと。
ずっと一人だった。
隣にはシンがいるけど、シンを守るナイトであるわたしはずっと一人だった。だから寝るなんてことは許されなかったし、その方がずっと行動できて合理的だった――それが人間の取るべき行為じゃないと気付いたのは何時からだろう、もう忘れてしまった。今かもしれない。
そうだ。履歴を辿れば分かるかもしれない。
メタ情報。
物歴。
わたしの扱いはことごとく物でしかなかった。
ロットナンバーが付いた機械やタグ付けされた食品、名前が刻まれた墓石と同じく。
生命として扱われるのは稀な事で、保護した子供たちや従業員はわたしを人として扱っていた。だけど、ドイツ軍やオブラソワ達はわたしのことを秘密兵器かなにかと勘違いしていた、少なくともわたしに自由意志が認められていたのはベア大尉のおかげだった。ベア大尉のおかげでわたしはドイツ軍に意のままに操られることなく――結局は命令通りに行動するしかできなかったが――反論も言えた。
それじゃあ、シンはわたしをどう扱っていたのだろうか。
人体改造されたわたしを見て、最初に掛けた言葉を思い出して、つい微笑んでしまう。
懐かしい。もう何年も前の事だ。反射的な思い出し笑いに、わたしの中にもまだ人間性が残っていることに驚くが、それだけじゃない。
「シン、君はわたしを人として見ていたね」
正確には老人と勘違いしていたようだけど。
それが嬉しかったんだ。
今になってやっと気づいたことだけど。
車外からのノック音。
誰かがわたしを呼んでいる。
ドアは重く、内側からのロックが外れないと開くことはない。少し開くと積もった砂埃がたくさん舞って落ちた。
いつの間にか嵐が止んだ外の様子は燦々とした太陽が輝いていて、砂漠が広がっている。さっきまでのゴミ山はどこへ消えてしまったのだろうかと目を疑うほどに、場所が違って見えた。
すぐ傍では兵士らしき人物が複数、わたしを睨んでいる。
「わたしたちはEU軍です。あなたを指名手配犯として逮捕する義務があります」
抵抗するなら撃ち殺す、とまでは言わなかったが、荷台に積まれたRRWを危惧して平和的に終わらせようとしているのはよく分かった。
「そうですか」
わたしは抵抗することなくその兵士に従った。
ドアを完全に開け切ると、何百というおびただしい兵士が手にする銃口と、上空を飛ぶ武装ヘリに見守られて、特別車両に入れられていった。
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