第16話第五部1

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 イギリス領インド帝国。

 他国から非道だと言われながらも、それがもたらす恩恵に魅かれやめるにやめられなく続いてしまった、植民地経済が成り立っていた時代。

 もう一世紀も大昔のことだが、かつてインドはそう呼ばれていた。

 ミャンマーもスリランカも一緒くたにされたその国土では、かつてオランダの植民地の名残だったコーヒー畑がサビ病によって滅び、英国人が好む茶畑に変わった。綿やジュートなどといった一次産品が有無を言わさず国の命令で作らさられて、飢餓におびえる農民たちは自らが口にする食料を輸入に頼らざるをえなかった。その輸入相手も英国であり、一次産品が納入される場所もまた英国の紡績工場だった。

 つまりは英国の大きな利益になるように、インドは労働国家として働かされてていたのだ。そんなことをすれば、いずれ滅ぶのはインド側だと目に見えている。わたしたちが不利で不平等な条件だとは頭ではわかっている。

 なのにどうしてそんな社会を、歴史が存在しているのか。それはマハラジャとかいう汚い政治家たちや植民地経済が背景にあったからではない。

「我々は、インド以外の全ての植民地を失っても生き延びることが出来るだろう。しかし、インドを失えば、我々の太陽は没するであろう」

 カーゾン提督はそう言っていた。

 イギリス国王の王冠にはめ込まれた最大の宝石。

 そうもてはやされたインドは他の、周辺諸国の貧しさを見て、ああはなりたくないと、自分たちはまだ幸運な方だと感じた。ただ純粋に嬉しかった気持ちもある。

 インド国民は臣民――付属物(サブオブジェクト)の仲間入りを果たしたのだ。女王陛下の所有物、そう言えば分かり易いだろうか。

 だからインドは、こんな差別はおかしいと言ってくれたマハトマ・ガンディーが現れるまで、ずっとイギリスの太陽として輝き続けていた。

 それがイギリス人もインド人も、みんなが選んだ選択だった。

 実際、インドという場所は赤道付近という事もあって豊かな土地があり、茶畑を耕すにはとても恵まれていたし、人手も有り余っていた。周りで悲惨な戦争が起きていても自分たちは加勢せずに生産に冒頭するだけだった。

 イギリスの発展の為に第二次大戦中の十九世紀の中頃までその名を名乗っていた。

 だからかもしれない。どこかの国が抑止力の為であるはずの核弾頭を私用の為に使われたのは……。

 妬みから。

 子供が友達の物を盗む理由によく似ている。それぐらい純粋な気持ちを糧に、旧ソ連領のラオスやらパキスタンの地から核弾頭が飛んできた。

 インドの砂漠や密林にぽっかりと空いたクレーター群はそんな妬みがもたらした産物だ。


 そんなでこぼこの荒れた大地になる前に――いやその直前に旅をしていた修行僧たちがいた。彼らは自らの名前を秘密にし、また信じる神の名も明かさなかった。そうすることで偽名や無宗教――信じる神を探しているということを掲げていた。

 世界旅行と言えば聞こえはいいけど、彼らの目的は決してそんな道楽じみたものではなく、探検――この世の在り方を探していた。

 町にたどり着くと、すぐさま調査を開始する。この町の政情は、宗教は、歴史はどうなっているのか。まるで国連の人だと勘違いするけど、彼らの特徴は様々な国の出で立ちからなる集団なので、話は聞いてもらえた。

 その中には生後間もない赤ん坊もいる。旅の途中で生まれた子だ。わたしが知る限り、その赤ん坊の名前はシンというのだけれど、本当の名前をわたしは知らない。

 当時、彼らの目的には反政府組織設立の命令が含まれていたのだけど、そんなことは決してしなかった。それは旅の資金を援助させてもらっている名目であって、自分たちは非道な事はしない――正義の集団であると貫いていたからだった。もちろんそんなことを告げてしまえば、世界旅行など続けられなくなってしまう。

 いや、本当はその狭間で揺れていたのか。

 この世の在り方を探している内に、祖国のやり方に信用を失っていた。果たして我々は何のために生きているのか。反政府運動などという勢力を作ったところで、それが正しい主張だと言い切れるのか。何も分からなかった。

 唯一、それを知っているだろう山奥の秘境にある寺院に隠れ潜む老人たち。悟った眼差しで岩のように生活の場を動かない老人たちは人の生きる世を下界と呼んでいた。

 彼らはその老人たちでさえも変えられなかったこの世の在り方を目の前にしていた。

 この前まで赤ん坊を抱えて遊んでいた男は、一つの決断をする。

「もう帰ろう、そこでこの子と一緒に暮らすことがわたしの――この世の在り方だ」

 反対する者はだれ一人としていなかった。むしろ、この提案を推してくれたのが他の者たちだった。気付かされていたんだ、もうあなたが旅をする理由など無い、という当たり前のことに。

 翌日、男と子供に成長したシンを乗せた列車は走り出す。行く先は祖国、故郷がある山の秘境にある村。老人たちが行き着いた同じ場所。

 旅の出発点であり、また終着点になる地だ。

 列車が走り出す。その時、男はその反対方向の空から飛翔体(ミサイル)が飛んでいたのを見送ってしまう。落ちた場所が仲間の場所だということを確認してしまった。

 ただ指をくわえて黙り込むシンをたまたま近くにいた婦人に任せて、男はすぐさま加速する列車の窓から身を投げた。膝をくじいても爆発の光で眩しい先にあるキノコ雲がそびえたつ場所へと走っていった。

 そこから男の行方は、生死は分からない。

 その後も核弾頭はインドへと――西と東側から示し合わしているかのように計算されて降って来た。地上を跡形も残すまいと幾つものクレーターの跡を形成させてゆく。

 そんな中で、婦人の胸の中に抱かれていた、まだ子供であるはずのシンはこの世の在り方を見せつけられたかのように口を閉じて黙って幾つものキノコ雲を見上げていた。

 その目には怯えも興奮の色もなく、興味さえ湧き起っていない。

 彼の小さな頭にはまだそれが理解できないから。男が自分の父親であることも、どうして自分を置いて走り去ってしまったのかも。

 キノコ雲の近くには放射能が漂う事も。

 その身には少量ながらも放射能を浴びてしまっていた。

 インドの核戦争が休息すると、すぐさま中国に運び込まれたシンは激しい嘔吐と頭痛の日々だったと言う。苦しいと言わない日はなかった。日記にはいつも妬ましい、ずるい、嫌いといった負の言葉が綴られた。そんな誰が見ても楽しいとは思えない日記を顧みる少年はとても笑顔で過ごしていた。

 シンにとっての人生とは実験のようなものだったと言う。

 花を愛でるように。犬を飼うように。人を虐めるように。

 シンにとっての愛という感情はとても儚い印象になりつつあった。誰も彼もをシンが愛するとそれはおかしいと言い返してくる。だったら、医者が、国が、この世界が俺を生かしている理由はなんだ。

 倫理だろう。俺を可哀そうだと思って生かし続けてるんだろ。

「俺には覚悟がある。死ぬ覚悟が。だから花や犬や人を愛してもいい権利がある。それは殺す権利と何ら変わらない」

 命は玩具じゃない、と大人たちは正しいことを言った。だったら俺の命を玩具にしてみろよ、そうすれば分かると頭に血が上ったシンは間違ったことを言ってしまっていた。

 彼が人間爆弾に選ばれたのはそう言った経歴があるからかもしれない。

 処刑しろ。誰かがそう言おうとしたけど、結局みんなの前ではそれは口に出せなかった。その誰かさんは本人の目の前でそれを言う覚悟が無かったからだ。自分が人殺しを考えているようなひどい奴だとメディアで取り上げられるのが怖かったからだ。

 中国とインドはとても仲が悪かったけど、いざインドの地が核の炎に包まれると、被爆した難民たちはこぞって中国へとやって来た。必然の死をほんの少しだけ伸ばすことに難民たちは躍起だった。

 それに対して世界の反応はとても優しいもので、難民たちを非難することなく介抱に向かう医療人や寄付金で溢れた。特にシンなんかはその言論が紙面を飾ったこともあると言う。

 中国政府は毎日のようにメディアに取り上げられるこの問題児を、脳や遺伝子を研究している非人道的な事をする秘匿施設に放り込んだ。

 もう日の目を浴びることは出来ないかもしれない。

 そう悟ったシンはその中で、素晴らしい実験の数々に遭遇する。

 生身の頭を死体の体に移植すること。電気信号で人を操ること。人工筋肉ひいては金属に自我を芽生えさせること。

 研究データに目を通すと自然と頭の中で新しい方法が思い起こされる。未来はきっとこうなる、そんな理念から生み出された物語をシンは提唱した。

 研究者にとっての幸運はシンの口を塞がれなかったことだ。警備の人たちも感心して聞きほれてしまうくらい。シンの口からはマシンガンのように狂気じみた発想が幾つも吐き出された。

 シンは自分が知らないような考え、言葉を不思議と口に出していた。それはかつて、自分がまだ物心のつかない頃に出会った旅の話。子守歌の代わりに父親が我が子に語った己の物語と様々な人の物語。

 この世の在り方。

 シンは確信していた。

 俺は助かる。

 俺はまだ生き残れる。

 希望が心の底から湧いてくると行動は早かった。歯車に油を差して摩擦熱を出す限界まで回転数を上げていく。

中国政府の秘匿施設だったはずの場所はいつの間にかシンの――少年の秘密基地になっていた。

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