第14話第四部3
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昨晩、シンの要求を聞いていたわたしは、不思議とエルマ叔母さんとの約束を思い出してしまっていた。
「みんなには言わないでほしいの」
みんな、というのはわたしの家族や友達のことだろう。
エミリアの死を検証した医師は、確かに敗血症の診断を下していた。でも、その敗血症の原因は傷が化膿したからだ。
まるでその傷がふさがってもほじくり返すのを繰り返す――自傷行為を重ね続けた結果だ。
「エミリアはどうしてそんなことを」
自身の死に繋がってしまうまで繰り返したのか。
「あの事件の後からアトリエに入り浸っててね、仕事熱心だと思ってたのだけれど、違ったのね」
わたしが発見した血痕を、エミリアの傷口を広げた糸切狭をエルマ叔母さんも初めて知った。
どこかにそれがあるとは知っていた。でもそれを探すことは自分には残酷すぎて出来ない。だからわたしに任せたのだろう。
エルマ叔母さんも自覚しない無意識のうちに。
天国のエミリアはどう思っているだろう。自身の死因を突き止めたわたしに恥じているに違いない。真実を知って気持ち悪くなる一方のわたしに嫌悪しているのかもしれない。エルマ叔母さんはエミリアの為と言っている。恥の上塗りをしてほしくないと。
そうでないと、テロを、銃を憎しみの対象に出来ない。わたしにはエルマ叔母さんの言葉がそう言っているように聞き取れてしまう。
他の誰か、何かに責任を押し付けたいのだ。
それがたとえ間違っていても。
明日のスピーチでは真実を語らないこと。逆にそれを念押しして、わたしは了承した。ありがとうと泣き崩れるエルマ叔母さんを見て不憫に思ってしまう。わたしも家族の誰かがエミリアのような死に方をしたらきっとこうしてしまうのだろう。
誰だってそうするのだろう。
本当はみんなに真実を伝えた方がいいのだろう。でもそれだと今度は、エルマ叔母さんがどうかしてしまう。それはわたしも望まないことだ。
この事が記事を書いた後に知れてよかったと思う。そうでないと、わたしは銃を、戦争の道具ばかりを憎んでいたのだろう。
大切な人を守るための銃を。豚を裁くための刃を。国を守るために必要な核の抑止力を。
必要悪なんだと言って割り切れなかっただろう。
全部撤廃して甘いお菓子のような優しい言葉だけで生きて行ければいいと、あの記事を書いた時は本気で考えていた。
でもこうしてエルマ叔母さんの約束を、世界中を旅して真実を知ってしまった結果、わたしは随分と最初とは違う紆余曲折でねじ曲がった考え方を持つようになってしまった。
手術台の上で聞いた、ベア大尉がわたしを選んだ理由。ようやくそれが理解しかけている。
知りたいのならば聞け。分からないのならば理解しろ。たった一つの口を閉じて二つも付いている目と耳を集中しろ。
その言葉を忘れるな。
「シン」わたしは酸素マスクをかぶった少年の耳元で大声で言う。「君はバカだ、あそこまで演技をする必要なんてなかった」
わたしの言葉にシンは頷くだけだった。施設の無人兵器による警護がわたしの行く手を阻んだ。銃口や赤の照準点がわたしの体に向けられる。「警告。ここから先はアメリカ軍が認めた者しか通れません」と無機質な台詞がスピーカーを通して聞こえてくる。
ゲートの先に行けるのはシンとアメリカ軍だけだ。
このゲートのことをわたしやロシア側はもちろん知らないし、通ったら通ったでアメリカ軍に怪しまれるだろう。たとえ、シンが認めた人物であっても。
だから、そうさせたのはシンだ。シンはあえて、わたしたちにこのゲートのことを教えてくれなかったのだ。
シンはゲートの先――核シェルターがある武器庫に入っていった。そこが医療施設じゃないことは分かっている、でも今のシンには到底次の作戦を実行する体力は残されていないように見えた。
だから本当はシンの傍にいてあげたかったけど、すでに次の行動は決まっていた。ベア大尉が目の前のことに集中しろと注意をしてきている。
一台だけ残されたトラックでは、すでにオブラソワ達が運転をする準備に取り掛かっている。もちろんわたしのアメ車も走る予定だ。
「あいつらが手にするのは核弾頭なんかじゃなくただの箱だ。核弾頭は箱には詰められていない。そして、俺たちはエリア51に残って、地下にある航空機を使って全弾持ち逃げるのさ」
昨晩、シンの進言した計画の全貌だ。まるでどこかのスパイ映画のラストシーンみたいだ。
シンの言う通り、核弾頭の為に作られたドイツ特製の黒い匣は豪華なフェイクで、アメリカ軍人も箱を開けないよう注意を促した。
それを額面通り受け取って箱を開けるのはおそらく山の頂上付近だろう。核が爆発して自分たちが逃げられる場所。そこまでは時間が稼げるという訳だ。
だけど、この作戦には様々な障害があって予想外な出来事も起こりうる。その不確定要素を跳ねのけなければ完璧とは言えない。
その一つである、国連軍とわたしたちは対峙しようとしていた。
どうしてそれが悪い事態なのかと言うと、国連軍がこの場所にいつまでも留まっていると、騙されたことに気付いたチャイニーズが引き返してくる。
そうなれば、ここは三つ巴の戦場になってしまうのだ。怒りくるった中国人の大佐が銃を両手にぶっ放す光景が目に浮かぶ。
そもそも、この場所に国連軍がやって来たのは核弾頭の暗号解除コードが解かれたからではなかった。無名の衆の誰かが国連軍の工作員だったのだ。カリフォルニアの沖で待機しているEU軍ひいてはBNDが国連と協力して情報のやり取りを行っている為、その情報がわたしにも届けられていた。
国際連合軍、とは言うけれどその枠組みに入るにはまず国際連合加盟国に入ることが条件だ。つまりは主権を持ったと、国家として認められた国(ガバメント)が加盟できる場所なのだ。その任務は、国際平和と安全の維持。安全保障理事会の管轄下にある軍事力がそれを執り行っていた。
しかし今、その軍事力の中にアメリカ人はほとんどいない。CIAはロシアの方へと忙しく、兵士と呼べる戦士たちはみんなロシアと戦う事に躍起だ。
だから、今この場に集まって来るヘリやカリフォルニア沖で待機している情報軍などの軍事力は、アメリカ近くの国際連合加盟国である周辺諸国から寄せ集めた傭兵たちだった。
自国が核の脅威にさらされているのにロシアと戦うなんて馬鹿げていると傭兵たちはアメリカ戦士の事を罵っているが、それは違う。
今、わたしの目の前で銃器の手入れをしながら共に戦おうとしているのはアメリカ軍人だ。彼らは今日この日に至るまで、ずっとこの施設を守って来たのだろう。いつかアメリカ軍が核弾頭を使う日まで。もっとも、それを運ぶ役目なのは第三国家というのはとても信用ならない。
だから、アメリカ軍人たちは一人の少年に託したのだ。いや、この意図を汲み取れたのが少年一人だけだったと言うべきか。
――アメリカを虐殺の坩堝に陥れた正体。
果たしてそれが何なのかをシンはとうとう教えてくれなかった。
弱者が強者に挑む理由、すなわち社会的欲求に当てはまるのだろうその答えは、今現在、米国戦士が戦っている理由と同じなのだということは察していた。
それを理解した少年はもはや我々と同じ戦場にいるのと同義なのだと、米国戦士は寡黙に受け入れているのだ。
そしてその戦場とは、ボクサーが戦うようなリングだ。リングの周りにいる観客たちがわたしたち、市民(シビル)なのだ。これは観客を元気づけるための見世物である。
だからロシア軍人が米国戦士に寝返って肩を並べる事は許される。私服を着て何者か分からないわたしが彼らの指揮官として立つことが許された。ここにいるわたしたちは同志とも形容できる仲間内にあった。
戦争とはとても呼べない戦場の戦士の在り方。
アメリカ人の正しい考え方を間違った考え方に戻す戦い。
これは平和へと歩み戻る一歩なのだった。
国連軍のヘリが施設の近くを漂い始める。この乾いた平野に強い風が吹いたのは何年ぶりだろう。そう思わせてくれる風の勢いに巻かれた積もり積もった砂煙を被るわたしたちは各々の車を走らせ始めた。
向かう場所は平野の真ん中。そこでシンと落ち合う予定だった。
国連軍のヘリはわたしたちの行動を阻害することもなく追って来る。真上から強襲の合図を待っている傭兵を待機させて、ただ傍観していた。
その数分後に施設があった場所に向かうミサイルが見え始める。とても小さな黒い点は白い飛行機雲に似た煙を出しながら、施設へと直撃した。
大きな炎の柱が現れると、施設は火災と大きな煙を巻いて内側から破裂するように爆散した。
核弾頭の偽装弾だ。黒い匣にはRRWに偽装したロケット弾が格納されていた。とはいっても、大規模爆風爆弾(MOAB)の小型弾頭であり、その熱エネルギーは高く、核ほどではないけれど高温の熱波がこの平野の乾いた大気中に拡散した。
とうとう始まったのだ。
わたしの運転するアメ車はオブラソワの走るトラックの横に並走していた。アメリカ軍人の乗った銃座が付いたバギーは徐々にわたしたちから距離を離して、やがて国連軍のヘリへと威嚇射撃を始めた。
こっちへこい。俺たちが相手になってやる。そんな意志を見せつけられて国連軍のヘリはまんまとバギーの方へと追随していった。
わたしたちはと言えば、その時点で速度を上げて急いでいた。
走行しているから分かりにくいが、タイヤがこすり付くコンクリートの地面では大きな地震が起きていた。その原因は施設の先にあった武器庫だ。武器庫の奥はこのエリア51の地下全体に広がっていて、そこではシンやアメリカ軍人たちがせっせと準備をしていた。
遥か彼方にある砂地に偽装されたコンクリートの地面が盛り上がっていく。まるでそこが入り口であるかのように地面が天高く上がると、さらに下の空いた空間の暗闇から何かがせりあがってくる。
地震が収まり、暗闇から姿を現したのは丸い船体の左右に二枚の翼を広げている航空機だ。かつて大統領を安全に外国に運ぶために使われていた専用旅客機。それは人工筋肉の普及につれて廃れた代物だった。エリア51の地下、陸軍武器科(AOC)で眠っていたのだ。
その航空機の後部の腹(ハッチ)は開いていて、荷物運搬のための昇降機が用意されている。
入り口はそこだけの様だ。航空機は翼に備えられているエンジンを暖めて発進体制を整えていた。
「後方からミサイルが飛んできます」
並走しているすぐ横のトラックの助手席からロシア人はそう言った。わたしも背後を振り返ると上空から確かな熱源体(ミサイル)が迫って来るのが見えた。着弾点は航空機だ。
トラックの荷台からフルオートショットガンのすさまじい銃弾の弾幕が撃ち出される。数撃てば当たると言うのはまさにこのことで、随分後方にあったミサイルは表面に当たった細かな接触を感じて電流を内部に伝導し、組み込まれたソレノイドが爆薬に繋がるスイッチへと回路を繋げた。
空には大きな爆発雲が出来上がる。続いて轟音。
きっと中国人の大佐は核弾頭が偽装弾だと分かっていても、それが現状で持ちうる最高の武器だと言って、なりふり構わず撃ち込んできたのだろう。
熱源体の数が増えていく。それは四方から迫って来ていた。流石のオブラソワも全面からやって来るミサイルには手が届かない。
おそらく、蜘蛛の子のように散っていった編隊にも指示が出たのだろう。
裏切り行為に働くシン――あの航空機めがけて撃てと。
この光景を国連軍はどう見ていたのか、それはベア大尉のメッセージで分かった。
「ヘリを撃ち落とせ」わたしはそのメッセージをそのまま言い上げる。
その時すでに、アメリカ軍人の運転するバギーの上空に飛んでいた国連軍のヘリも航空機に向かって進み始めていた。その機体の横から熱源体が感知される。
すぐさま、アメリカ軍人たちが国連軍のヘリに向けて本気で銃をぶっ放した。銃弾の雨にさらされた機体は火を噴いて傾き、ブレードの翼が力なく回り続けた。熱源体が発射される。
航空機がある場所からもアメリカ軍人たちが固まって、狙撃銃を手に四方から迫るミサイルを撃墜している。MOABが爆発して発生する風と光がわたしの背後を押してくる。
わたしとロシア人の運転する車両が航空機の横に到着すると、すぐさま昇降機へと向かった。すぐ傍で狙撃銃を覗き込んでいるシャツを着たアメリカ軍人に向かって言う。
「君たちも早く乗るんだ」
だけど、彼らは照準器から目を離すことなく乗ることはなかった。
「この場所を守るのが俺たちの使命なんだ」
ここを離れるな、この場所が我々の帰る場所だから、諸君らは防衛の義を果せ。とそういう命令が彼らには下されているのだろう。
遥か彼方の林では潜伏していたアメリカ軍人たちが無名の衆を含むチャイニーズのトラックを奇襲していた。
いつの間にか、こちらに向かうミサイルも全部反応が消えている。
遠くから銃声の音が幾つも聞こえてくる。それはやまびこのように反響し合い戦闘の数は果てしなく多く思えた。
航空機の腹と連結された昇降機は離れ、ハッチが閉じていく。乾いた風で巻き起こる砂煙が顔に張り付くこともなくなった。
小窓からは狙撃銃から一瞬だけ目を離した、アメリカ軍人たちの敬礼がわたしたちを見送っていた。
その口が動くのをわたしは確かに見た。
「核を米軍戦士に――大佐に届けて下さい」
まるで大切な手紙を任せたように、わたしたちにそう言っていた。
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