第11話第三部3

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 わたしのアメ車の助手席にシンは座った。

 武器をわんさか積んだトラックとトラックの間に挟まれながら、わたしはハードシールド社の行軍に加わる。

「フックス、とうとうここまで来ちまったか。随分と老けたな」

 その口調は相変わらず生意気だけど、声に覇気がない。わたしの禿げた頭を見上げながら小さな咳をしている。

「風邪を引いたのか」

「長旅で喉が乾燥しているだけさ。それより、改造手術をされてドイツから逃げて来たんだって……」

「改造手術と言っても自分では何をされたのかさっぱりなんだけど」そう嘘(デタラメ)を言い上げる。「全般的に再生能力と体が頑丈になったような気がする」

「再生だって、それはすごいな」シンが珍しく興味を持って聞いてくる。「フックスを解剖して調べてもいいか……」

「それはごめんだな、そもそもわたしはそうゆうのを恐れて逃げて来たんだし、お詫びといってはなんだけどわたしの研究は強化内骨格(パワード・インターナル・スケルトン)というネームがつけられていたかな」

「強化内骨格。つまりは中の骨を強化するという事か、もしくは硬化した皮膚を張り付けているのか。なぁ肌を触らせてくれよ」

 どうぞ、と言ってシンはわたしの腕の乾いた皮膚を撫でてくる。

 わたしはしばらく運転に集中した。

 シンはこういう新技術、つまりは自分の知らない事柄には興味があるのだろう。未知の知識がたくさんあるから。好奇心旺盛なのはいいことだけど、戦争の真っただ中まで来るのはやりすぎだろう。

 シンはわたしの肌に触れたりつねる度、普通の肌よりも乾燥しているが気密性が高いとか血管が見当たらないとかいろいろ調べ上げていた。

「俺の権限はそこまで高くないんだ。名前だけをあてに探しても当然怪しまれるからな」

「そうなのか、てっきり君は無名の衆ではリーダーを務めていると思っていたよ」

「まさか」シンは笑い飛ばす。「だけど無名の衆にはリーダーがいない。あるのは共和性で一人の意見に賛成と反対を集めて民主的に方針を決めていく」

「それじゃあ、あのロシア船のテロに君は賛成だったの……」

「いいや反対だった。あのテロは無意味な戦争だとわかっていたからね、そもそもの始まりは米軍がお偉いさん方を殺してしまったことが原因だったんだ」

 ヴォーシミも言っていた通り、戦争の軍配はロシアの方が高い。

 そのせいで戦争は、宣戦布告は不可避のものになった。

 相手がより強大であればあるほど燃えるのだ。

「それを聞いて少し安心したよ、あの時の君は戦争を楽しんでいるように見えたからね」

 シンは黙った。ずっと考えている様子だった。

「そうかもな。本当は戦争なんていけないって意識しているのに、いざ始まるとなれば興奮して誰かに真実を話してやりたいって。俺は地球の上で一番この世の事を理解している、悟っているって無意識に誰かに伝えたいと思う奴なんだ」

「君があの時言っていたことか」

 艦橋の中でシンが感情を爆発した時に言った言葉。

 あれはわたしだけでない、自分にも宛てた言葉だったんだ。

「そして、あのテロの協力のお詫びに俺たちは国防高等研究計画局(DARPA)からアメリカの秘密計画の全てを受け取った。アメリカに眠る武器庫や核施設の場所、NASAやCIAの秘匿情報を教えてもらった。ただ、それが欲しかっただけだったんだ」

「君はそれをヴォーシミに教え、ドイツに核の脅威を流した」

「ああ、RRW計画はドイツと共同で秘密裏に行われているんでな、ドイツ側の反応を見て信憑性を得たかった」

「信憑性だって……」

「フックス、おそらくだがお前は意図せずともドイツ軍――BNDの連中に監視されているんだ」

 その言葉を聞いて、わたしやこの会話を秘密裏に聞いているベア大尉はやはりシンを含めた無名の衆は只者じゃないと評価する。

「そうだろうね」わたしは肯定も否定もせずそう言った。

「おかげで核の存在は本当らしいことが今この瞬間に分かった。まぁ接触者がフックスって言う事には驚きだが」

 シンが笑いを含ませた顔でそう言う。

 どうやらこちらの考えはほとんど読みきっているらしい。

 わたしが無名の衆のスパイになること。核を中国に渡ることを阻止すること。

 それと同時に、ベア大尉――BNDの人たちがトラックの行き先を調査して、やはり情報通りにこのトラックの群れがRRWが保管されている隠し場所――エリア51を目指していることを断定する。

 電脳ネットワークではシンとの会話のやり取り中にベア大尉からのメッセージが送られてきている。


「あのシアトルでの紛争はエリア51に続く道にいる難民の排除だったようだ。そのためにシアトル以外の各都市でも同じような紛争が行われていたようだ。そして、その戦場をコントロールしているのもまた、ハードシールド社だ。どうやら無名の衆はハードシールド社を護衛として雇っているらしい。

 ハードシールド社が絡んでいるのなら、RRWをロシア近くに運ばせる依頼も受けているのだろう。どうやら、チャイニーズは米国軍人に渡る前にそれをハードシールド社から奪う気でいるようだが」


 だいたいの連中の思惑が見えてきた。

 ICBMにRRWを搭載して撃ち出すことは可能だ。しかし、ロシアもそれを指をくわえて見ているだけではない。高性能の迎撃システムが配置されているのだ。高い金を掛けた核弾頭が何の成果もあげず壊されるのはさぞ損をするだろう。だから近場で放つ。もしくはサラエボの自爆テロのように突撃も躊躇わない。

 そして、現在ロシアは国連によってアメリカへの直接攻撃は禁止されている。これはあくまでも米軍兵士とロシアの戦争なのだ。

 だから、アメリカからの核攻撃がロシアに甚大な被害を与えた時、その時は西と東の大陸のどちらかが物理的に滅ぶまで続く核戦争に発展する訳だ。

 そんなのは世界中の誰も彼もが望んではいない。

 このアメリカで起きている紛争を。米軍兵士とロシアの戦争を。誰も望んでいる訳がないのだ。

「君は、君たち無名の衆の目的はなんなんだ……。核兵器を手に入れて地球を破壊しようとしているのか」

 だから、その核を盗む気でいる彼らがどう使うのか、わたしは――ドイツ軍は気になって仕方なかった。

 ハンドル操作がぶれる、わたしの感情が大きく揺れた。

「その逆だぜフックス。俺たちはその核を手に入れてこの世界の権力者になるんだ」

 逆と言われる、権力者になると言われる。

「どういうことなんだ」

「冷戦と同じ。核を保持することによって、自分のいう事を聞かない連中を黙らせるのさ。アメリカでもロシアでもない第三の大国を作って二度と戦争を起こさせないために核を保持する――ごほっごほ」

 シンが咳をして口元に手を当てる。その手の平に赤色が付着しているのをわたしは見逃さなかった。

「血が出てるじゃないか。本当に大丈夫なのか」

 わたしはブレーキを踏んで車を止めようとすると、

「大丈夫だから車を止めんな」

 苦しそうな声音でそう言われる。

 シンはとても悔しそうな顔をして空を見上げていた。手に溜まった血をどうしようもなく彷徨わせて。

「俺さ、もうすぐ死ぬらしくてさ、被爆してるんだ、みんなでインドに修行してた時にさ、ちょうどすぐ近くに核が落ちてきてシェルターに避難したけど被爆は免れなかった。それから五年ぐらいか、癌が体を侵食していたことを知ったけど、ナノマシンのおかげでなんとか今日まで生きてこられた。知ってるか、ナノマシンは人の痛み、感覚、気持ちを設定すれば全て請け負ってくれるんだぜ、それは鬱とか失調症も例外じゃない、絶望なんてこれっぽちも感じない。これがあれば体が、自分がおかしくなってもまだ、まだまだ動くことが出来るんだ、ゾンビみたいで笑えるだろう」

 わたしはシンの途切れ途切れの言葉に相槌を打って聞いていた。

 それからシンは、戦争の話を止めて自分の事だけを語っていた。

 マニ教の同志のことを。

 布に包まれた体の訳を。

 中国で影の権力者の一員に成れた経緯を。

 それを聞いて、わたしはシンが被爆した可哀そうな少年――世界の理不尽さをこれ以上なく見せつけられた人間だということを否応なく理解される。


 もう夜も近かった。

 トラックの行軍も夜になり山が険しくなってくると、平坦な土地の上に築かれた町の広場で整列をしていく。ガソリンの補給やら点検で忙しくなり、辺りには急ごしらえのテントや明かりが灯され炊事の煙が上がっていった。ここに簡易的な補給拠点が築かれ、点呼の声が世闇に響く。

どうやら、ここはわたしたち以外誰もいない街のようで、周りは瓦礫と化した家屋ばかりだ、商業施設のような大きな建物も見られるが、人気はまずない。

 わたしも他のトラックに習い、横に停車させると窓を軽く叩く音が聞こえる。窓を開けて覗き込むと女性がいた。

「あなたは……」

「メイヨウ。シンの医療従事者(メディック)よ、彼の体調はどう……」

 シンはだいぶ咳も落ち着いていたが、吐血している。わたしはどう答えたものか困ったのだけれど、

「ここで少し眠る。夕食は要らないぞ」

 シンはそう言って座席を倒すと顔を反らして眠ってしまった。それを見ていた医療従事者はため息をつく。

「新顔」メイヨウはわたしの顔を見てそう呼んだ。「シンに随分と気に入られているみたいだね」

「そうかな」

「あんたが何者か知らないけどね、そこにいるシンっていうガキはあたしたちにとって爆弾だって言う事を教えといてやるよ」

「爆弾だって……」

 シンは何も反応を示さない。仲間に爆弾呼ばわりされていい気分ではないだろうに。

 メイヨウはアメ車の窓淵に肘を掛けて楽にしながら語ってくる。

「シンの体を侵している放射線による癌、それを遅延させている医療分子群。この二つの戦いによって体内で起こっていることは細胞の破壊と再生の競争よ。癌を駆逐させる医療分子に対抗するために癌細胞の菌株はより一層凶悪な性質に進化してウィルス性を得ている」

「変異しているのか」

 年々少しずつ形を変えて生物の免疫力に対して克服してくる新型インフルエンザのように。

「癌は感染するのか」眠っていたはずのシンはやはり目を瞑りながら向こうに頭を反らしたまま言い始める。「十九世紀以降、本格的にその説を確かめるためにたくさんの動物実験が行われていた。でもそのほとんどが確証を得られなくて、結局人間を使っての研究に切り替わったんだ。その実験体に選ばれたのは当時、ピザのように大陸を切り分けられ多国の植民地と化していた中国の人たち。その人たちは健康体なのに癌に侵された腕や臓器を移植された。それによって判明したのは癌は個人個人が持っている特定の遺伝子によって発生する可能性が非常に高いということ。

 細胞を持たないウィルスに、この遺伝子情報を組み込める可能性があるということ」

 そんな話は聞いたことはない。もちろん、ベア大尉も初耳だというメッセージを送ってきている。

 そして、わたしの体を改造した科学者たちがシンの言っていることを肯定した旨も。

 シンが黙り込むと、今度はメイヨウが言い出す。

「その当時の研究を中国政府は忘れていない。むしろ、秘匿して現在もなお進められている。そして、その被検体には五才のシンもいた。核の雨が降り注いだインドから瀕死の状態で帰ってきたことをいいことにね」

「それじゃあ、今シンが苦しんでいるのは国の勧めなのか」

 わたしはそう庇護したつもりだったけど、その時のシンが死にかけていることを思い出す。

「まだ生きられるのなら誰だってその可能性に掛けてみるさ。シンはね、そうした体に調整させられて、国からわたしたちに活動の制限時間を設けたんだ」

「それが爆弾という事なのか」

 人間爆弾、それも時限式の。

 シンが息絶えた時、医療分子群(ナノマシン)は宿主の電気信号を受け取れずに統制を失い、癌を引き起こす遺伝子を持った未知のウイルスを空気感染によって周りにばら撒いてしまうのだ。

「だから彼ら」メイヨウはわたしとは言わなかった。「はシンを丁重に扱わなければならないし、どこかに置いていくわけにもいかない。シンが死にそうになった時。その時の為に核の自爆装置を手元に置かないといけないの」

 つまるところそれが、メイヨウら中国政府の使いを除いた無名の衆が核弾頭を欲しがっている理由だった。

 何も言われていないが、すでに無名の衆の新顔としてメンバー入りを果たしてしまったわたしにそれを言いたかったのだろう。

 メイヨウはわたしにシンを任せると言って去ってしまった。

 再び二人きりになったわたしとシンにはとても重い空気が流れていた。シンはあの長い言葉の後から一言もしゃべっていない。微かに苦しそうな寝息が聞こえるだけだ。

「君は、君には時間がないのか」

 そうわたしが言葉を掛けるけど、何も返ってこなかった。

 シンが眠りに落ちて話す相手がいなくなってから、電脳ネットワークでベア大尉と通信を始める。


「彼の命をどうにかすることはできませんか」

「被爆によって発生した癌は、未だ過去に治った試しはない。彼もすでに服用しているがやはりナノマシンでさえも壊死してしまった細胞は再生も代理も出来ない。すでに手遅れだ」

「しかし、彼の知識は世界が誇れるものです。あの年でこの戦争の行方とそれに対する対策法を見出している」

「だとしても一人の少年だ。過大評価はそこまでにしろ。君の任務は現地の調査、そして無名の衆の工作員(スパイ)だ。ストックホルム症候群はやめてくれ」

 その通りだ。わたしはテロ組織――犯罪者に肩入れをしている。このままだとわたしが裏切りの行為、つまりは有事が起きた際にまた行動不能に陥ってしまうかもしれない。

 これだけは言わせてください、とわたしは言い上げて続ける。

「わたしには、シンが中国の思惑から外れて行動しているように思えるんです」

「つまり無名の衆とチャイニーズは違うと……」

「確かに無名の衆は中国人が多い。ですが中にはインド系やアフリカ系の黒人も見受けられます。その誰もが目指している理想があるように思えるんです。だからシンには――彼には彼の、目指している未来があるように、そう思えてならないんです」

 無政府主義者の集まりである無名の衆(ノーネームグループ)。

 その名前の通り、彼らは親から与えられた本当の名前を捨てたかのように偽名を――網膜や指紋などを他人から移植して使っている。

 そうでもしなければ果たせない目的――理想の未来があるように。

 単純な戦争経済の一員として生きるのはもううんざりだとばかりに、シンという放射線に侵された肌を隠している少年はわたしに過去を語った。

 だからわたしは、彼のやろうとしていることが正しいとしか思えない。

 シンの進むべき道が、世界の為になると本気で信じていた。

 わたしとベア大尉に気まずい空気が流れ、次の言葉を探り合っていた時、金属が破裂して熱が漏れる微細な音が聞こえてくる。


 気付いた時には大きな爆発の音に成り変わっていた。

 戦闘だ。

 すぐさまわたしは車にエンジンを掛けてトラックの並んだ隙間を進む。すぐ目の前のトラックが横転して火を噴きだす。この道はダメだと思い、バックして他の隙間へと進路変更すると、その行く手を阻むように緑の作業服を着た社員たちが往来し始める。

「ロケット弾だ、南南西に敵がいるぞ」

 負傷したハードシールド社の社員がそう叫んで銃を指示棒のように突き出している。

 その先にいたのは私服を着た一般人だ。姿を確認できるのは四、五人くらいだが暗闇の奥にはまだまだいるようで突撃銃の連続したマズルフラッシュが瞬き始める。

「フックス」シンがわたしの意識をこちらに向けるために大声を出す。「轢いてもいいから急いで先に進め、後ろが詰まってきているぞ」

 そう言われてわたしは目の前の社員たちに申し訳ない気持ちで警笛を鳴らしアクセルを踏み込んだ。バックミラーを見ると、確かにわたしが出て行ったタイミングで続々と後ろにトラックが続いてくる。

「轢いてもいいなんて言うなよ」仲間なんだから。

「そんな覚悟が無きゃこっちが蜂の巣だ。南を目指せ」

「先に進むっていうのか」

 すぐ傍で戦闘が起きているというのにそれに参加しないことは逃げに走っている気がしたけど、ハードシールド社からみれば、無名の衆は護衛対象なのだ。だから当然、先を急ぐことを優先する。

町の広場から出て行くと、わたしは先頭を務めていた。精一杯にエンジンを吹かして暗闇の道路を走っていく。その行く先々にも武装した一般人は待ち構えている。わたしたちの乗るこのアメ車の外装に銃弾の当たった音が幾つか聞こえてくる。タイヤやエンジンなどの致命的なところに当たらないことを祈りながら真っ直ぐ走る。

「すぐそこの左を曲がれ――すぐそこだ」

 そう急に言われて、ウインカーを出す暇もなく手前の三叉路を車線無視して左に曲がっていく。スピードが出ていたためとても大きな軌跡を描いてやっと左の道に乗った。

 後続に続くトラックたちはわたしの急な動きについてこれなかったのか、それとも真っ直ぐ行くことを最初から決めていたのか、次々と真っ直ぐの道を選んで走っていく。

「この道で合っているのか」

「ああ、この先に敵はいない」

 そうシンが答えるのをわたしはどこかで予感していた。

「君はこの奇襲が起こることをしっていたのか」

 わたしの問いかけにシンは軽く頷いて、

「この先に合流ポイントがある。お前を助けたロシア人もそこで待機しているはずだ」

「ヴォーシミが……」

「ヴォーシミは暗号名だ、これからはオブラソワと呼んでやれ」

 それが彼の、ロシア軍人での偽りの名前だと言う。

 その合流の光がちらちらと光り輝く。青いLEDの小さな光の点滅。緑の軍服を着込んだ兵士たちが三人、暗闇に紛れて佇んでいた。

 その光の前で車を停止させると、運転席のドアに勢いよくスコップがぶつかってきて留め具ごと脆くなったドアが人の手によって引きはがされる。

「な、なんてことをするんだ」

 まだ買って一月(ひとつき)もしてないのに。

 だけど、そんなことをしても許せてしまう相手がドアを壊してしまったのだ。

「すいません、一応これくらい破壊しておかないと後でめんどうくさくなるんです」

 わたしの記憶にもまだ新しい、見覚えのあるあの青年がわたしの目の前に再び現れたのだ。

 ロシア艦で上官に向けて発砲した軍人。凍えるカスピ海でわたしを担いで泳ぎ切り、ドイツに身元を渡してくれた命の恩人。その時の名前をヴォーシミと呼んでいたが、今はオブラソワ。

「そう怒るなよ。乗り降りが楽になってよかったじゃないか」

「君がこれを指示したな」

 わたしの怒りの矛先がシンに向かうと、シンは笑って車外に出て逃げる。捕まえようとしてもどうせ離れていくのだろう。

 シンを追うのを諦めて、わたしはオブラソワに手を差し出す。

「あの時はありがとう、礼を言えなかったから今更になったけど」

「構いませんよ、それよりあなたがまた戦場に戻ってきたことに自分は驚きですけど」

 あんなに人の死に敏感なあなたが、とオブラソワは皮肉を言い足す。相変わらず人の気持ちには鈍感なんだろう。感情の籠っていない言葉が胸に突き刺さる。

 オブラソワの後ろの二人は何のことかさっぱりなようで話には参加してこなかった。その顔にはオブラソワと同じ、青年の若さが溢れている。

 シンはといえば悪ガキのように車のボンネットに乗って、わたしとオブラソワの握手する光景を上から見下げていた。

「それじゃあ要求を言おうか、フックス――いいやドイツ軍」

 まるで、全てを見透かしている神のようにシンはさらに高い位置にある屋根(ルーフ)に乗り上がる。

「急に何をいうんだ」

 彼方から聞こえてくる銃撃の音を他所に、雲一つない星空の前に並び立つシンをわたしは見上げてしまう。身にまとう布が夜風によくなびく。

「これはあくまでも俺個人の要求。そして、お前たちにとっても選ばなければいけない選択、運命だ」

 まるで神様にでもなったかのように少年は要求を言い上げる。




 追記。

 ここで一つ、大きな誤解を解かねばなるまい。

 無名の衆というのは中国の主導によって組織された反政府グループなのである。ベア大尉の言っていたことは的を得ていたことになる。

 そしてその目的は、無政府主義を謳い、各国の政府機関に常に反する組織を成り立たせることで、政情をかく乱、混沌させることが目的であった。

 そのために中国人の体の部位(パーツ)が密輸され、情報機密保全会社(インフォセック)の目を逃れるために移植手術が盛んにおこなわれた。

 無名の衆でのシンは本当にただの一人の人員、生贄だったのだ。

 中国政府はどうしてもアメリカの核を手に入れるために、無名の衆もとい全世界の反政府組織にその理由を押し付けたのだった。

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