第10話第三部2
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ゼロと一の数字が羅列した夢を見て、自我が戻るとわたしはバンクーバーに向かう肉飛行機の席で行儀よく眠っていた。着ているのは黒のティーシャツと暗色系の赤色をしたズボン、それにワンポイントには黄色のベルトだ。わたしはこういうドイツらしい傾向の服装を好んで着るのだが、周りの乗客の反応をみるとわたしは返って目立っているみたいだ。ひざ掛けに使っているコートを着ればよかったと考える。
いや、頭か。わたしはすぐさま産毛もない禿げ頭を隠すために対面の肉椅子(ミートチェアー)に掛けられている帽子を被る。丸く広がった広い鍔に深いつくりをしている、手品師がかぶるような帽子だ。
そんなことより夢の内容によれば、数日前にこのアメリカに最も近い都市には中国からの旅客機が降り立ち、わたしの電子化された記憶の中に映ったテロ集団の何人かの顔が防犯カメラに視認され少なからずそこで降りていたという。
「君の記憶上に保存されている無名の衆という輩は中国人が多かった。その顔には確かに情報機密保全会社(インフォセック)の登録があるのだが、指紋や網膜、顔紋、静脈や脳波など、こいつらはIDを偽装して生きていることが分かった。
もっとも、アメリカの混沌に隣り合わせのカナダの治安も悪い。だから、テロリストを検挙するための監視など名目だけで機能はしていない。今のカナダはよそ者に好き放題踏み荒らされているという事だ」
どうやらチャイニーズ及び無名の衆(ノーネームグループ)は少人数の組を作り、徐々に北米大陸に上陸し集結している様だった。
現在、アメリカはロシアとの宣戦布告のこともあって未曾有の混沌に叩き込まれ、空き巣や銀行強盗はもちろんビル襲撃や文化遺産の破壊まで気が狂った者たちで溢れ返っていて、各政府機関がその後始末に追われてほとんど機能していない。だからNASAが運営する国家地球空間情報局(NGA)の衛星による上空からの詳しい状況もいまだ不明慮だ。
無名の衆がバンクーバーに降り立つ理由は、ここが中国人の楽園と言われるほど街が中国人や中東系のアジア人たちで溢れているからだろう。
近年、著しい中国経済の発展は給料の未払い労働や安上がりの仕事によって停滞してきている。国内に残された開発途中のテーマパークや建設中のビル群が鉄骨をむき出しにして、たくさん残っているのだ。
いくら人がたくさんいるからと言っても企業の評判が良くないと誰も信用して働こうとしない。そうして、利益が出せない中小企業は次々と倒産し、開発途中の土地だけが残った。いまや中国国内は失業者となった農民で溢れている始末だ。
だからみんながみんな、公務員を目指し始めると苛烈な受験競争が始まった。それに落ちて行った者は田舎で貧乏飯を一生食うことになる。
そんな未来が来るのを一部の国民は予想していて、国外に移住することを密かに計画していた。
それに最も適した国がカナダという訳だ。
カナダの難民政策は寛大な物で、船や飛行機で渡ることさえできれば国籍を取得するのは容易になっている。それに一役買っているのが携帯端末の翻訳機能な訳だ。
英語を喋れない知らなくても、携帯端末に搭載されているサポートAIが相手の言語を単語、語感、感情などに小分けして翻訳し会話を成立させる。だから拡張機能を有していない人が、傍から見れば英語と中国語でやり取りをしているという奇妙な光景に出くわす。まるで人と宇宙人がなぜか通じ合っているような異国語コントのような場面だ。
もはや言語の壁は面倒な勉強をしなくても無いに等しくなっている。おかげで通訳者の仕事はめっきり減った。
そして、カナダの都市、バンクーバーにチャイナタウン、ストリートが出来る時間はそうそう時間がかからなかった。
中国人の楽園とはこういう事なのである。
予約したホテルにチェックインを済ませると、怪しい路地裏やら人気のない倉庫付近を彷徨ってみる。
わたしは一刻も早いシンとの再会を果たす為、こうやって治安が悪い、危なげな場所を目当てに出歩くのだ、その道中ですれ違う人々に話しかけては自分の名前を告げる。
時刻は夜になるけれどシンは一向に見つからず、代わりにお金がたくさんなくなった。
情報料と言われてわたしはであった人に差し出すのだけれど、連中は俺が知らないことをあんたは知った、と適当な事を言うのだ。詐欺まがいだとも思うけど、こっちで心当たりがあったら連絡するという関係(パイプ)は繋がった。
ちなみにいえばお金はまだたくさんあって、それこそ銀行に行けばドイツ軍の軍資金から引き出すことが可能だった。
一日目は特になにも情報を得られなかった。
次の日、朝を迎えると早速頭の中にコールが響いた。昨日知り合った連中からのメッセージだ。
歯を磨きながら目の前の拡現(AR)を見ると郊外にあるハンバーガーショップで待ち合せたいのだと言っている。日時は十二時。
そこはアウトバーンのど真ん中で、周りには茶褐色の荒れた大地が広がっていた。その先にはアメリカへと続く道がずっと続いている。
また、メッセージには続きがあって携帯端末の持ち込みを禁止していた。
わたしは早朝で悪い気もしたが目を閉じて電脳ネットワークで暗号名ウォッシングベアに連絡を取った。
「つまり相手は情報漏れを恐れているのか」
「はい。録音、撮影、通信などの外部とのやり取りを拒否しているようです」わたしは忠実に言った。
「もちろん君は携帯端末をもつことなく、脳拡張現実(ブレインオーグメントリアリティ)で秘匿回線によるネットワークを繋げるのだからその場に行っても怪しまれることなくスパイとしての役目を果たせる。ただそれだとフェアじゃないと言いたいのだろう」
「はい。シンは手ごわい奴です。きっとわたしがズルをしていることも見抜いてくるでしょう」
「よろしい。ならばオフラインにて接触を図れ」
それを聞いて、目を開けるとわたしは私服に袖を通してホテルを後にした。
ベア大尉はわたしの自由意志を尊重してそう言ってくれた。わたしが裏切ることなど考えないように。
早速、耐久性には自慢があるというフロントボンネットが大きいアメリカ車を購入してその場所へと向かった。電気とガソリンで走るハイブリット車だ。
アウトバーンの道を二百キロの速度まで上げて走ろうとするけど、車の速度超過システムが法律違反だと警告した。百十キロがこの道路の法定速度らしい。わたしはそれが遅いように思えてならなかったが、法定速度なら仕方ないとアクセルから足を離した。
目的のハンバーガーショップまでやって来ると時刻は約束の二時間前で十時だった。店内には客一人おらず、カウンターにいる老人が一人だけだった。
カウンター席に座ると、帽子の鍔越しに老人と目が合ってコーヒーを頼んだ。
「あんたカナダの人じゃないね」
コーヒーを淹れながら老人が話しかけてくる。
「そうですけど」わたしはネイティブな英語で話していた。「なにか特徴が出てますか……なまりだったり顔の形とか、あと髪や目の色とか……」
わたしの頭の中で生成されたドイツ語が英語に翻訳された文になって、口を自動的に動かし言葉となって吐き出されていく。
あくまでもわたしは老人と友好的な態度でいた。
「勘だよ。長年カウンターを務めていると目を合わせるだけで人の性格が分かる。カナダ人はみんな優しい目をしているよ。あんたはいまにも戦争でも起こしそうな怖い目をしている」
そう言う老人の目は伸びた眉が覆っている。その奥にある瞳は丸々として穏やかで力強さに溢れている。
その言動と雰囲気からは静かな怒りを感じた。
「まさか」
「もめごとなら外でやっておくれよ」
会話はそこで途絶えた。それから二時間もの間、わたしはコーヒーをすすっていたが老人は一言も言わずただテレビと向かい合っていた。客は来ない、もともとこのアメリカ行きの高速道路を走る者なんていないんだろう。ニュースキャスターの真面目と緊張の合わさった声音が聞こえる。またどこかでテロが起きて人がたくさん死んだらしい。それとも昨日のことを報道しているのか、どっちでもいいが、これから起きるテロについては何も教えてくれなかった。
いつものわたしならこの沈黙に耐えかねて他愛のない世間話でも始めていたが、今はそんな気分じゃなかった。わたしから話しかけたら、この老人を私闘に巻き込んでしまう予感がするのだ。
やがて、ハンバーガーショップの表の駐車場に三台ほどの黒塗りの車が一斉に止まる。一人の男が降りて店内に入って来た。
約束の十二時だ。
そいつはわたしの目の前に立って聞いてくる。
「お前がフックスか」
どうやらこの男が待ち合わせの人物らしい。顔を合わせると相手はアジア系で――あのロシア船の艦橋でシンと一緒に並んでいた人物の一人だと気付く。
「シンはどこに……」
「オフラインにしてはあるな」わたしが頷くと、そいつは隣の席に腰かけた。「しかし、あの腰抜けな野郎とは全然外見が違うな、お前は代理人(エージェント)か」
「いいや、本人だ」わたしは袖を捲り肌に刻まれた番号札を男に見せつける。「あの日、わたしは重度の線維筋痛症を負った、その治療として全身の皮膚の移植手術が施された、しかしそれはドイツ連邦の改造手術であることが分かり脱走したのだ」
もちろん嘘(デタラメ)だ。
「よく脱走なんて出来たな」
「その頃にはわたしの改造手術も終わっていてね、警備を強引に突破して運よく逃げ出してきたよ」
アジア系の男はまだ納得した様子を見せなかったが、タバコに火を点けて口にくわえた。話を変えてくる。
「それで、俺たちに接触してきた意味はなんだ、まさか仲間になりたいとでも……」
「そのまさかだ」
大量の煙が換気扇に飲まれていく。男は笑ってしまっていた。
「そいつは無理だ。お前がどうやって俺たちの行方を探し当てたのかわからんし、お前自身が軍に追跡されている可能性もゼロじゃないからな」
「じゃあどうしたら認めてもらえる……」
男は煙をたくさん吐き出して言った。
「シアトルに行け。近いうちにそこで紛争が始まる」
「どうしてそんなことが分かるんだ」
「駐車場にいる連中さ、おっと振り返るなよ」男はわたしに注意をしてきた。「あいつらが原因だ、アメリカに虐殺の渦を起こしている」
「虐殺だって……。どうしてそんな事をさせているんだ」
「見ていれば分かるさ。とりあえず今は通行止めをくらっていてな、それが終われば大量の輸送トラックが通る、そこにはシンもいるはずだ」
「戦争があるから通行止めということなのか」
わたしはそれを聞いたがアジア系の男はチップを机に置く。
「それと忠告しとくが戦いには参加しない方が身のためだぜ」
そう言うと店の外へ去ってしまった。駐車場の黒塗りの車たちと共にアメリカへと続く道を進んでいく。それを見送るとわたしも立ち上がり、ドアノブに手を掛ける。
「あんたも戦争をしに行くのかい」
後ろから老いぼれた声がかかった。カウンターにいる眼力が強い老人からだ。
「戦争を止めに行くんですよ」
「止められやしないよ。連中はそれが仕事なんだ」
そんな老人の諦念がかった言葉を背中に受けて、わたしは先を急いだ。
アメ車に乗り込み一キロ先の三台の黒塗りの車の後を追う。
仕事だからと割り切れるのものなのだろうか。仕事だから人を殺す。仕事だからその為の便利な道具を売る。仕事だからその為に必要なお金を調達する。
人助けをするなら金なんて、見返りなんて本当は求めちゃいけないんだ。金を貸すなら返さなくていいと言える奴になれ。その分、自分の為に使って、他人に迷惑を掛けないように更生して生きていかなくちゃいけないんだ。
だから、そんなのは仕事とはとても呼べない、人助けからは程遠い事。
お金を稼ぐことばかりが仕事ではないはずだろう。
辿り着いたのはやはりアメリカだった。現在アメリカは無政府状態に近い行政府が管理できない状態に陥っており、パスポートなしで国境が渡れるようになっていた。
何時間も飽きることなく走り続け、シアトルの市街地を走っていると三台は十字路で別々に分かれ始めた。
仕方なく、わたしは真っ直ぐの道を走る最後列の車をつけていくと海が見える倉庫にたどり着いた。
遠目からわたしの目が連中を視認する。
そこにはたくさんのコンテナが置いてあってその中身が武器だと知る。連中の黒塗りの車のボンネットには重火器の類が山ほど見られたからだ。それをコンテナにしまい込んでいく。
コンテナには大きな盾、その盾の後ろから何十丁という銃の切っ先が伸びているロゴが描かれている。
「ハードシールド。ブラジルを拠点にしている自衛武器専門の民間軍事資源供給会社(ミリタリー・リソース・サプライヤー)だ。銃のレンタルを売りにして、弾薬で稼いでいる一大企業だな」
ベア大尉はそう言った。BND内ではそれなりに名の通った企業らしい。あのハンバーガーショップの老人は連中の正体を知っていたんだろう。
緑のポケットがたくさん付いたジーパンにTシャツを着ている奴らが多い。とてもラフな格好をした人たち。
「傭兵なんですか」
「いや、傭兵なんかよりよっぽど信頼できる奴らだ」
MRSは個人で営んでいる傭兵と違い、会社として訓練した兵士たちを仕事に就かせるのでその信頼性と給料の安さに評判があるのだ。
「社員と呼ぶのが適切みたいですね」変な話だが、それが彼らの仕事だ。兵士でも戦士でも傭兵でもなくなく社員。
「あの車は武器の輸送をしていた訳だ」
「ええ、おそらく連中がわたしをハンバーガーショップに待ち合せた理由は、そのついで、だったんでしょうね」
バンクーバーからシアトルまでの道のりにその店があるから。
わたしを本気であのフックスだとは思わなかったんだろう。
中国からの渡航便が多いバンクーバーから重火器を密輸し、それをアメリカにばら撒く。現在アメリカでは昔の中東やアフリカのように経済戦争がめぐり回っているのだ。
密輸した武器は自衛のために売り出され、自衛に使われた武器が消耗してくると予備の武器を買い込む。
まるで消費社会だ。重火器も食品と同じ。それがないと生きていけなくなるような厳しい生活が始まっている。
わたしはそのハードシールド社のロゴが描かれた倉庫の観察を続けた。いずれシンがそこに現れるだろう期待を寄せて。
こうして二日目は終わった。
三日目になるとどこかで火事が起こったのか空に煙が上がっていた。街中に警報機の音が鳴り響いて、大勢の叫び声が木霊している。
それに合わせて倉庫の方も人で溢れて、重火器の詰め込まれたコンテナをトラックの荷台に乗せてその騒動の現場へと急がせている。消防や救急活動でもするのだろうか。
わたしもその後を追った。
現場ではすでに銃撃戦が行われていて、白人至上主義者を掲げる人々が黒人たちと戦っていた。
双方負けず劣らずの張り合いで、昨日まで何事もなかった市街地の道路ではバスが横転して爆発したのか煙を上げている。人々は瓦礫や車の陰に隠れて銃弾を定期的に撃ち合う。
問題なのは、さきほどハードシールド社の倉庫から出て行ったトラックが双方の陣へと駆けていき迷彩柄のジャケットと覆面を着込んだ社員たちがそのコンテナを降ろして戦う人たちに重火器を提供している、武器を買わせているのだ。
その買ったばかりの武器を自慢げにぶっ放した黒人は白人を二人殺して他の白人がその黒人を脅威と感じて狙い撃ちして殺してしまった。
それを見てわたしはこの紛争がごっこ遊びだと感じる。
FPSのような画面の中で行なわれるゲームの戦争。彼らは死ぬのが怖くないのか、ただ楽しんで人殺しをしているように思えたのだ。ストレスを発散するように。
「どうして誰も止めないんでしょう」
「分からん。我々には理解できない何かが彼らを動かしているのだろう」
何か。それはきっとナタリーが言っていたような言葉なのか、シンの言うような人の命の軽さなのかは分からない。
だけどこんなのは間違っているとしか思えなかった。
わたしはその小さな戦争を見物して三日目が終わった。
四日目になれば市街地は大量の難民で溢れた。
シアトルの向こう側からやって来た安全な地を目指す人たちの群れ。カナダに続く道を目指しているようだった。それを邪魔しようとするのはやはり白人と黒人たちだ。
白人と黒人の戦いはまだ続いている。
難民たちは紛争の入り口であの迷彩柄のジャケットを着たハードシールド社の社員と話をしていた。
「ここから先は白人と黒人で分かれています。通るのならばあなた方もそれに従って別れ、生き残りながらカナダを目指すしかないでしょう」
そう言いながら、戦いを望んだ者に拳銃や手榴弾などの初期武装を配っている。
「戦場をコントロールしているのか」
ハンバーガーショップで待ち合せていたアジア系の男の言う通り、この難民の群れがこの都市に集結するのを事前に分かっていて、昨日あえて戦いを引き起こしたのだ。
この先は戦争が起きています、武器を使って生き残らなければなりませんと。そう律儀に説明している連中に腹が立つ。
難民たちは争いを避けてここまで来たと言うのに、それを強いられている。
気付くと、わたしは歯噛みをして走り出していた。あの連中を殴り殺してやりたくなる。
「やめるんだ、今はまだその時じゃないだろう」
わたしの体が固まった。
前のめりになって地面に這いつくばる。
そう、わたしの体はもはや自分の物だけではなく、ドイツの物でもあるのだ。ベア大尉がわたしの暴走を止めるために遠隔操作で行動不能(ロック)にした。
「あの人たちはこれから殺し合うんですよ、ここまで仲良く安全な場所を目指し頑張って来たっていうのに」
「切り捨てるんだ、お前の任務はドイツの防衛だろう」
そうだ。
わたしはドイツのために、故国を守るためにここに居た。
難民たちは戦争を受け入れるか、そこから立ち去る者で別れた。
そうしてまた白人と黒人による戦争生活者は増えた。
その日を、わたしはまた見物するだけで夜を越してしまった。
それからのわたしは連中に新しい動きが無いか見守ることにして、銃声音が鳴り止まないシアトルの街を見渡せる高い場所から監視していた。時々、銃弾はわたしの方にもバラついてくるのだけれど臆することはなかった。わたしは撃たれても平気なのだから。
銃の雨を駆け抜けながらイスマイルを思い出す。ジャーナリストとしての使命、いや仕事に全うする生き方を。命が惜しいわたしには到底真似できないことだけど、こうして戦地にいれば嫌でもその気持ちが分かってくる。
要はスリルだ。彼の原動力の源はそこにあって、テレビ局とか家族などの周りの人から英雄扱いされるのがとても名誉だったんだ。
わたしも、この戦争を生き残って、シンの計画を止めることが出来れば、そう呼ばれるのだろうか。
いいや、わたしはそんなものはいらない、見返りなど期待しない。
もともとこれはわたしの私闘だったのだから。
テロが起きる、戦争の仕組みを、真実を知ってしまった代償。
結局、紛争が終わったのは難民が完全に途絶えてからだった。
白人たちはカナダに撤退し、この街、シアトルには数人の黒人たちが残った。
それもその筈だ。ハードシールド社は黒人たちにばかりハイテクな重火器を渡していたのだから。もちろん、白人たちもそれなりの銃を受け取っていたが、人数が拮抗している以上、勝敗は兵器の性能で決まった。
そんな一方的になりつつある戦争を見ながらわたしが考えていたことはシンやアジア系の男の言葉に混ざっていた単語――渦(ボルテックス)のことだった。
平和な日常を送るために戦争をする。戦争をするために武器を買う。武器を買わせるために戦争が起きる。これは矛盾しているようでその実は見事に循環しているのだ。
なるほど、それを表すのに渦というのはうってつけの単語だ。
武器を買う金や、自分の体力が尽きるまで渦は続くのだろう。そして、それが尽きるのは殺す相手を見失った時だ。自分以外誰もいなくなった街で、やっと自由を、平和の日常を掴み取れるのだ。
わたしは何を考えているのだろう。目の前の戦争で生き残った人たちは数人、彼らは一人ずつ街の離れたところで陣取って、我が物顔で食料にありついている。生き残った満足感に浸りながら。
すでに二週間が経っていた。
シンの姿はまだ見えない。
やがて、わたしが来た道――カナダの方から大量の輸送トラックの群れがやっと現れる。荷台にはやはり盾と銃のロゴが見受けられた。
荷台には兵器を積んでいるのだ。次の戦争を始めるために。
トラックは全部数えると百台くらいはある。
わたしはそのトラックの列を凝視しているとやっとお目当ての人物を見つけた。
分厚い布で覆われた荷台の後ろが開いていて、そこに布で覆われた少年が胡坐を掻いて座っているのだ。後列に続くトラックの走る様を眺めながら。
「シンだ」
わたしはそう呟くとすぐさま目の前のトラックの行軍を追っていった。
ようやくわたしの目の前に現れた少年に、わたしは心を躍らせるようにアメ車をトラックの群れに合流させるように近づけていく。
まるで、鳥の群れだ。わたしはその群れに加わる種の違う一羽。
だからシンがこちらに気付くのには時間が掛らなかった。
シンを乗せる車両からそれ以下のトラックの群れが一斉に止まりだす。
運転席から人が出てくるとそれぞれ武器を手に持って警戒の音を上げる。
わたしは車を止めて降りると、戦意が無いことを証明するために帽子を持ち上げながら手を挙げて近づく。
「お前は誰だ」ハードシールド社の社員にそう聞かれる。
「ルクス・フックスだ。そこにいる少年に――シンに会いに来たんだ」
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