第7話第二部3

 3

 エミリアと最後のメールのやり取りをした日。

 エミリア自身が「大丈夫だよ、なんともないから」と書き込んでいた。わたしはそれを見て病院には行った方がいいと散々注意したのだけれど、エミリアは仕事が忙しくて後回しにしていた。

 エミリアの仕事は洋服を作ること。家に籠って発注元が指示する納期に従い、レースやフリルがたくさん付いたフランス人形にでも着飾らせるような子供服を作る仕事。

 エミリアは子供が好きだった。

 だからテロのあの日も、銃弾が飛び交う中、泣き叫び母を求めてさまよっていた子供たちに身を捧げて、守ろうとした。

 だけど、その子供たちの何人かは重軽傷を負ってしまって死亡してしまった子もいた。エミリアはそのことをわたしに教えてくれなくて、その事実を知ったのは遺品整理の時。

 エミリアの母親であるエルマ叔母さんがエミリアの人生を、終わりがある物語を長々と語ってくれた。生まれてから死ぬまで。テロで生き残って、死んでから敗血症と診断されたことまで。

 だけどそれは本当のことなのか。

 わたしはエミリアの母親の涙混じりの切ない言葉に、隠された真実があるのだとすれば、それはエミリアの死因は自殺ということだった。

 なんて不謹慎な考えを巡らせてしまったのだろう。

 だからわたしは葬式の日、ずっと涙は出なかった。まだ終わりを感じてなかった。

 実のところ、エミリアは自殺なのかもしれなかったから。




 鼓膜がいたくなるほどの高周波の音が耳に響いている。

 動こうとすると、誰かが後ろからタックルでぶつかって来るような骨の軋む痛みが背中を襲っている。暑い、いや熱い。

「フックス、ルクス・フックス」

 男の声だ、イスマイルというカタールという国から来た人の声。わたしの名前を呼ぶ。何度も呼び上げている。

 起きたくても体がいう事を聞かなくて起き上がれない、体や精神などが不調な時の、いわゆる寝不足に近い気だるさを感じながら目を覚ました。

「ここは……わたしは……」

 なんとか重い瞼を開けたわたしの視界にイスマイルの笑顔が浮かんでいる。それを確認したイスマイルが何語かよく分からない言葉を喋り出す。それは狂ったようなネイティブな速度で、母音を読み取ることも馬鹿馬鹿しいほど頭が働かない。いやそうではなく、耳が痛いのだ、鼓膜が破けたのかもしれない。いやいやそうではなく、翻訳機能が働いていないのかもしれない。

 くそ。自分の身に何が起きたのか全然理解できない。

 わたしは歯を食いしばって痛みを押し殺し、かろうじて動く腕をポケットに突っ込み携帯端末をいじりだす、拡張端末が起動した。

 拡張現実がわたしに起きた履歴を教えてくれる。

――二十二時三十六分、あなたはテロの爆発に巻き込まれました。

――あなたは十分ほど気絶しました。

――外傷は背から腕、足に続く背面の裂傷と火傷、側頭部の腫れです。

 道理で痛い訳だ、頭や体に手を当てると包帯が巻いてあって大事には至ってないようだ。イスマイルが手当してくれたのだろう。

 履歴には続きがあった。

――あなたはテロ組織の容疑者として現在、拘束状態にあります。

 容疑者だって。

 周りを見ると、ここは船内のようだった。荷物が端にどかされ中央に一時的に広いスペースを作った貨物室のようだった。わたしたちのような客人はそこに丸を作って集められ車座に座らされている。体に拘束器具の類は施されてはないが、長い銃を持ったロシア軍人が見張りをしている。映画やドラマでよく見る銀行強盗のシーンによくある場面だ。

 それに座らされている人たちを見ると、イラン人やら中国人のアジア系ばっかりで、ドイツ人はわたしだけ。ロシア軍人に捕虜として捕まったようにも見える。

 もっとも、そう見えるだけで本当のところは一時的な安全措置の為だとはちゃんと理解していた。

「フックス、水を飲めますか」

「ありがとう」わたしはイスマイルのしてくれた手当、ペットボトルの容器に入れられた水に感謝して聞く。「何が起きたのですか……」

「テロのようです。それに状況は私たちにとって最悪になりつつあります」そう言うイスマイルの顔にも血が滴った後が残っていた。「まず、私たちの乗って来たクルーザーが爆発して、それに巻き込まれたあなたは気絶してしまいました」

「爆発……」

 爆発するようなもの。テロ組織が事前にクルーザーに仕掛けていたのだろうか。

「どうして爆発したのかは未だわかりません。なので、その原因を探るためにクルーザーに乗っていた乗客全てがここに集められているのです」

「なるほど。それで容疑者となった訳ですね」

 爆発した経緯こそ分からないが、つまりわたしはテロに巻き込まれてその挙句、テロを引き起こした犯罪者と疑われている訳だ。

「確かに犯人はこの中にいるのでしょうけれど、とんだとばっちりですね」

 イスマイルは時計を頻りに確認していた、見本市を回る時間が無くなってしまうのだろう。

 そして、乗客たちがわたしの目覚めをいまかいまかと待っていた。周りを見ると迷惑そうな人の視線が注がれているのが分かる。

 やがて、

「残る取り調べは君だけだ。こちらに来たまえ」

 ロシア軍人の一人が目覚めたわたしに淡々と言い、わたしの肩を二人がかりで持って無理やりに立ち上がらせて連れていかれる。

 イスマイルはその乱暴な仕草に不安な視線を送るけど、わたしは大丈夫と手で制して従った。

 取り調べはすぐそこの廊下で行なわれた。手を挙げ他の乗客に聞こえない程度の小声で話せと言われる。個人情報はすでに分かっているのだろう。

 左右をロシア軍人に挟まれ、一人は後ろから長い銃を向けて、正面のロシア軍人が拡張現実に映る記録承認を求めてくる。

「ここで会話する内容は全て記録させてもらう」わたしは流れてきたイエスのコマンドをタップした。「お前はテロ組織の一員か」

「違います」

「それならクルーザーで不審物を見たか」

「そのような物は心当たり在りません」

「お前の預けた手荷物を言え」

「拳銃、ですけど」

 少し胸がざわつく。銃といっても弾丸は込められていないので安全と呼べるものだけれど、よくテロや戦争に使われる武器だったからだ。

「じゃあその拳銃が爆発物の可能性はあるか」

「拳銃が……」

 そんなことあるわけが――あるわけが、ないとは言い切れなかった。

 なぜならその拳銃はシンからもらった物だから。もらった物だから爆発する可能性はある。

「その拳銃のIDを確認させてもらおうか。拳銃が爆発して」ロシア軍人はそう決めつけて言い続けた。「無くなっても所有者ならライセンスを持っているはずだ」

「それは……」

 持っていなかった。

 なぜならその拳銃はもらった物であり、弾丸が込められていない安全な物であり、なにしろ爆発するなんて思ってもみなかったからだ。

 最近になって銃刀法違反に新しく書き込まれた項目。

 所持している銃器にはID申請の登録をすること。

 よくテロとかで使われる銃器はどこから仕入れたものか分かっていないことが多々あった。それを少しでも改善させようとして銃器にIDが付くことになった。もっとも、ID登録にはお金がかかるし、車検のようにメンテナンスなどの手入れもプロによって施され維持費もかかる。管理するという事はそういう事なのだ。

 ここで問題なのは、努力義務なことだ。つまりはIDがなかったとしても銃が持てないという事はなく、ただそう、発砲が許可されていないだけだ。法が適用される前に持ち合わせていた銃器のことを踏まえ、倉庫で眠っているコレクションなどの所持は有事(グレーゾーン)という事になっている。

 わたしの場合はそれが発砲ではなく、爆発ということになっているのだ。そして、銃を常日頃所持しているという事は護身の為、銃を発砲することを前提として所持していることであって、ライセンス――つまりはメタ情報を持ち合わせていないのは極めて怪しい。

「決まりだな」

「しかし、ドイツ人が犯行者だと国際問題に発展しませんか」

 後ろの軍人が緊張を解した感じで言ってくる。

「何を言う。今は緊急事態だ、我々はこれ以上テロに屈することはできない、上層部も武装勢力の殲滅に躍起になっているんだ。いつまでもこんなくだらない犯人捜しに時間を割いている暇はない」

「ですけど、拳銃が爆発した証言をまだ吐いていませんよ」

 正面にいる軍人はわたしの横に立ち、短く呟く。

「怪しい奴はこいつだけなのは明確だろう。ごちゃごちゃ言わずに殺してしまえ」

 そうか。これはつまりわたしは、殺されるのか。

 後ろを振り向こうとすると、ロシア軍人が長い銃の口をわたしの背中、ちょうど心臓が重なる部分へとそれを押し付けてきた。振り向くな。そう言っていた。

 わたしは瞳孔が開いた瞳を閉じ、呼吸が荒くなり過呼吸となってしまう。わたしは殺されるのか。子供の頃に痛いと分かっている注射を打たれるような懐かしい感覚、それが段々とあの時も痛かった、我慢をしていた。辛かった思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡ると、最後には次の瞬間には意識が無くなってしまうという恐怖心が頭いっぱいに広がってきて脂汗が頬を伝って首筋からシャツに垂れては染みてくる。冤罪によって死んでしまうのか。爆発の熱波によって火傷を負っているという体の感覚がどんどん消えていく。手を挙げた指先から足のつま先まで、立っているのか生きているのか分からなくなるけど、銃口がじりじりとまるでタバコの先にある灰をもみ消すように熱く押し付けてくる。なぜまだ撃たない、何時撃つ、それとももう撃たれてしまっているのか。

「なにをしているんだ、早く殺せ」

 耳元でロシア軍人の怒声が響くとダダダン、と何発かの短い銃音が聞こえた。死んだ。数分の間そう思い立ち尽くしていたのだけれどわたしは一向に痛みを感じなかった。

 火薬の燻る匂いに釣られて横を見ると、あの正面にいた、質問と殺害の指示をしてきたロシア軍人の頭から血が滴り床に仰向けで倒れていた。

 それは物言わない死体となって、驚嘆の顔を浮かばせていた。

「な、なんで……」

 なにが起きているんだろう。誰かが助けてくれた、いや違う。

 さっきまで銃を向けていた後ろの軍人がわたしの肩に手を置いてくる。振り向くと、その軍人の笑顔がわたしを和ませてくる。

「安心してください、会話記録は保存していますから」

「あ、あんし、だって」安心なんて出来るものか。まだ心臓が跳ね上がって興奮が止まらない。

「あなたがあちら側の寄越した協力者(エージェント)なのですよね」

 後ろの軍人はわたしではなく、殺せと指示していた仲間、上官を撃ったのか。

 どうしてそんなことを。

 それを口にする前に、向こう側から銃声を聞きつけて走って来る足音が聞こえる。そこへこの軍人は銃弾を何発か撃ち出し牽制し、わたしの腕を掴んで引っ張り通路の影に隠す。

「ひどいもんでしょう、この人これで中尉なんですよ」そう言って今しがた撃ち殺した死体を軽く蹴る。「自分で撃つと目覚めが悪いからいつも部下にやらせるんです」

 この人、というのはこの死体になって横たわっている、わたしに質問をしてきたロシア軍人だろう。

「お前は一体何者なんだ」どうしてわたしの命を助けた……。

「自分はロシア自由解放戦線の一員で、八(ヴォーシミ)とでも呼んでください。あなたは作戦内容を知らされていないのですか」

「作戦内容だって……」

 ヴォーシミは乗客のいる部屋へと向かっていたが、そこからも何人かの軍人が様子を見るようにぞろぞろと出てきた。これでは挟み撃ちだ。ヴォーシミはスピードを落とさず、軍人たちに向かった。

「ええ、この(カスピ海近隣諸国見本市)会場を襲撃し、我々の祖国に蔓延る政府高官どもを暗殺すること、ロシア軍人もアジア人も含めてみんな」

 ヴォーシミに驚いたロシア軍人たちのさらに後ろから三人の乗客たちがやってきて、なんとロシア軍人の背後を取って丸腰で殴りかかっている。それにヴォーシミが加勢し、わたしは乗客たちのいる部屋へと放り投げられてしまった。

 包帯の巻かれた火傷を負った背中が地面に擦れて痛い思いをしながら周りを見ると乗客たちが不安そうな顔を浮かべて、わたしや、ヴォーシミたちの廊下での揉み合いを見やっていた。

 何が起きているのか分かっていないのか立ち尽くしている様だった。

 すぐ傍に誰かが立っていることに気付き、その見慣れた容姿と顔を見て叫ぶ。

「イスマイルさん――」

 わたしは彼の名前を呼んだ。この状況で唯一頼れる人、存在。

 だけどその呼ばれた当人であるイスマイルはなぜだか無反応で、デジタルカメラを覗き込み操作している、目の前の光景を撮るのに没頭していた。

 そのレンズの先へと目を配ると、そこには軍人から長い銃を奪った荒っぽい乗客たちが、その銃床でロシア軍人の頭をタコ殴りにして気絶させている。

「イスマイルさん」無反応を続けるイスマイルに対し、わたしは重い体に鞭を打って立ち上がらせ、反応しない彼の体に寄りかかる。「テロなんですよ、乗客たちを非難させないと――」

「それは君に任せます」

「何を言って」

「私は」イスマイルがわたしを邪魔に思って振りほどく。「今この瞬間を撮るのに忙しいんだ。目の前で銃撃戦が起きるなんて滅多な事、そうそうないんだ」

 その言葉の意味が、わたしは最初は理解できなかった。

 だけど彼が言っていた、ジャーナリストの仕事の事を思い出す。

 平和になりすぎたせいで危険が、仕事が減ったこと。

 ヴォーシミが反抗している乗客たちに銃器の使い方を教えて部屋に入って来る。部屋の端にある貨物を忙しそうに持ち上げては後ろに投げていく。

「あなたは人命より仕事を選ぶんですか」

 わたしはイスマイルから距離をとって、軽蔑するような嫌味の強い口調で言い上げた。

「そうです。私は他の人より自分が大切で、家族の為に命を捧げる義務があるのです」

「そんなのただの死にたがりだ。あなたの家族が本当に望んでいることな訳がない」

 本格的に銃撃戦が始まると、イスマイルはわたしを無視してベストポジションを求めて廊下に顔を出した。軍人を殴っていた乗客たちが向こうの廊下にいるだろうロシア軍人に向けて奪った銃を発砲して応戦している。

 我が物顔で写真を撮り続けるイスマイルに憤りを感じていたわたしの腕をヴォ―シミが掴んで引っ張ってくる。

「このダクトを進めば上階へと昇る通路があります。三叉路になってますが登りの道を進んでください」

 そう言われて、下を見ると確かにそこに通気口があって人間が一応入れるような隙間だった。他の乗客たちはすでにそれに入って進んでいったのだろう。

 そのダクトに入る前にしんがりを努めようとするヴォーシミに顔を合わせる。

「わたしがロシア軍人と敵対する意味はないんだ、ただテロに巻き込まれただけなんだ。そこで撃ちあっている彼らと話し合って止めることは出来ないのか」

 このまま、ヴォーシミの指示に従って進んでいったら、それこそわたしはロシアに対してテロを起こしたテロ組織の一員になるじゃないかと、心配をした。

 もっとも、そのことをテロ組織の一員であるヴォーシミに言う事自体おかしい気もするが、言うだけなら言ってやる。

「でもあのままだと自分に殺されてましたよ」ヴォーシミは素っ気なく言い、「いいですか、今のロシアは悪い人の集まりなんです」

「そんなわけないだろ。ロシア人だって優しい人はいる」

「そんなの一部ですよ、大勢の人は十分な幸せを持ち合わせていてもより高い欲求を求めて人に命令をするんです」

「命令を聞かなければいいじゃないか」

「それじゃあその命令はぼくの友人、もしくはぼくたちの家族が遂行するでしょうね」

 ヴォーシミは淡々とわたしの質問に機械のような速さで即答していく。その語気には覇気も感情さえ籠っていない。

 それにわたしはある種の狂気性(サイコパス)を感じた。

「じゃあどうして君たちはこんなテロを起こすんだ」

 ヴォーシミは頭に手をついて困った仕草をした。その後ろで起きている銃撃戦では、乗客の一人が腹を撃たれて部屋に戻って来る、手を翳して血を抑えている。

「そんなの平和を取り戻すために決まってるでしょう、ぼくたちが不幸なのはぼくたちを支配している人たちがいること、その支配している人たちをみんな殺すことで、やっとぼくたちの不幸は、戦争は終わるんです」

 そんなことで戦争が終わるのか、それに対して世界中のみんなが納得すると思っているのか。

 そう言おうとしたけど、わたしはヴォーシミに足を蹴られた。思いっきりとは思えない蹴りの勢いなのに適格に脛を蹴られたせいで床に這いつくばってしまう。痛すぎる。

「すいません。今しがた、シンという少年がそうしろと、伝言もあります。早くダクトを潜れ、だそうです」

「シンだって……」

 ヴラーソフが拡張現実を操作している仕草を見ていないが、どうやらシンと通じ合っているらしい。わたしが常識ぶった、偉そうなことを言えば、この状況をどこかで盗み見ているだろうシンの笑いを含ませた真実味がある声がどこかから聞こえてくる気がする。

わたしはこのままだと(シンの性格上)もっとひどい事をされると思い、素直にダクトに頭を入れてほとんど腕の力だけで這っていった。後ろからヴラーソフがついてくる。

「すいませんね、ぼくいま、感情が抑制されてるから力加減とか上手くできなくて、いわゆるあれです。ぼくってすごい鈍感になっちゃってるんです。自分でも不思議なくらい」

「鈍感にもほどがあるだろう」

 わたしはそう怒鳴りつけたが、彼にはきっと敵わないからとりあえず今は脅されている状況だと自分に言い聞かせて、指示に従った。

 頭、背中の火傷に続き、足の脛がじんじんと痛みを主張していきている。これ以上怪我でもしたらきっともう動けなくなってしまうんだろう。

 ダクトを進んでいくと、角度がついた登りになっている道を見つける。そこは三叉路になっていたが、ヴラーソフの指示だと真っ直ぐ登りの道を進むのだそうだ。見上げれば照明の薄い光が差し込んでいる。坂を這っていくのはなかなかに体力がいる動きだったが、ヴォーシフが足を持って押してくれているようだ。おかげで楽に進めた。登りきると平坦な角度に戻り、すぐそここには鉄格子の外された跡がある、ダクトを抜けると他の乗客たちが待っている――はずだった。

「なんだ、これは……」

 先ず目に見えた物は人の顔。目をひんむいて驚いた様子でこちらを向いていたけどすでに生気はなく、床には赤黒い血だまりが広がっていた。それを見てしまうと他にも人が倒れて横たわっている姿を見つける。煌びやかだったドレスをボロボロの穴だらけにしてしまった婦人や血とか埃で高級スーツを汚してしまう高官風の男たち。

 みんながみんな、最後は声をだしたのか大口を開けて瞼から涙を垂らしながら手を血が滴っている痛かった部分に当てている。

 ダクトの先にあった物、光景は人間たちの死体だった。

 どこかから靴音が聞こえる。船倉の鉄で出来た床に甲高くも規律正しい音が響いている。

 その音を鳴らしている足先がちらちらと見える。それは暗色系をしていて、長靴(ブーツ)というより繋ぎの様な造りになっていて留め金やらベルトといったズボンとの境界線は見当たらない。

「アメリカ海兵隊(ユナイテッドステイツマリーンコープス)です。大丈夫、ぼくたちの味方ですよ」

 いつの間にかヴォーシミが隣にやってきていて、とんでもないことを言い始める。

「アメリカが、ど、どうして……」どうして乗客たちを皆殺しにするんだ。

「そんなのも知らないんですか」ヴォーシミが常識のような口ぶりで言う。「今、アメリカはロシアと戦争中なんですよ」

「そんなわけないだろう。冷戦はもう終わって――」

「ちっとも終わってなんかいませんよ。少なくともぼくたちの中では全然」

 ヴォーシミがわたしの頭を後ろから押し出してくる。ダクトの先、あの死体たちが横たわる場所、米軍兵だと言われている不確かな兵士のいる戦場へと無理やり突き出された。

 彼らは頭の天辺からつま先までが繋ぎのような暗色系の装甲服で覆われていて、兵士(ソルジャー)と言うよりは暗殺者(アサシン)といえる恰好をしていた。

 その姿は人、と言うよりもロボットのような印象を受ける。

 彼らはわたしを見るなり銃を向ける。トリガーに指を掛けて反応を待っていた。後から出てきたヴォーシミが声を張りあげる。

「こちら、ヴラーソフヴォーシミ。協力者と行動中」

「マリーンズ了解」向けられた銃が下ろされる。「クライアントは艦橋(ブリッジ)にて待機中だ。船内はいまだにホットゾーンのため警戒を怠るな」

「了解」

 ヴォーシミは軽く敬礼を済ませるとまたわたしの腕を強く掴んで海兵隊の進む先とは違う、登り階段へと走っていった。

 その勢いといったらとても走いものだから死体に躓いて足先をぶつけたり、踏んだりしてしまう。その度に吐き気がしたりすいませんの一言が口から出るのだけれど、だけどそれはやっぱり死体だから目も合わせてくれず何も文句は言ってこなかった。それが廊下のどこまでも続いていてその内わたしは口を閉ざして考えるのをやめてただ走っていた。

 そうしていると、自分の中に冷たい、この状況を分析するような理性が湧いてきてついつい踏んでしまう死体たちの姿を凝視して、疑問が生まれた。

「この人たちは金持ちなのか」

 婦人の傍らにあったルイヴィトンの高級バッグ、指や耳、首に飾られた宝石の数々。政府高官風の男性が着ているカシミヤの暖かそうな高級スーツと腕に巻かれた高級時計、その周りに散乱したタバコ。

 そのどれもかれもが、貧民国に住む人のイメージとは合わなかった。でも彼らは肌が浅黒いアジア人だったし、頭に布を覆い被ったイスラム教徒だったし、お腹を細らせた小食者だった。

 つまりいうと、彼らには高級な物がたくさん付いていたけれど、生まれた時から受け継いでいた体や信じている神はみんなと同じだった。

 みんなと違うのは彼らが他の者より金を持て余していたこと。

「見ればわかるでしょう」ヴォーシミが肯定をしてくる。「みんなが一生懸命稼いだお金はほとんどこいつらの物なんです、肉体労働者でも頭脳労働者でもない、出来上がる製品をただ眺めているだけの不労労働者(グレーカラー)なのに」

 例えば、生産工場で生産した品物を買い取って他社に横流しをして中間手数料(マージン)で儲かる商社や、もともとある遺産や盗金を使って銀行などの金融機関(メガバンク)を設立、緩い入会制限で金を貸りられ高い利息で儲かろうとするギャング。

「だけどそんな仕事――商談が成立する訳がないだろう」

「他人から見ればそう思われるのは百も承知でしょうけどね、こいつらは政治と深い関わり合い(太いパイプ)を持っていて他国の介入を頑なに拒否し、自分たちを褒めてくれる国と密約を交わして、国全体ではなく自分の懐だけにお金が入ってくるよう相手を決める。

 国民を支配(コントロール)しているんですよ」

 東アジアやアフリカで建設工事を任されている国はどこだって中国の文字が書かれているんです、とヴォーシミはそう言った。

 どこかで鳴り響く銃撃音を聞いたが、助けることはとても出来なそうだと感じてしまった。

 長い階段を登りながら、ヴォーシミがしゃべり続けていると、やがて扉とそこを守る海兵隊の警護が見えてきて、艦橋がある部屋の前にたどり着いたことを悟る。

「フックス」聞き覚えのある子供の大声だ。

 わたしが部屋の手前へ一歩足を踏み出すけど、特に海兵隊の邪魔が入る様子はない。

 扉を恐る恐る開いて艦橋の中へと邪魔をした。

 中は真っ暗だ。前方は窓張りで海のようなものが揺れていて遠くには光の粒が見える。もしかしたら、イラン船の光かもしれない。

 しかし、今は夜なので室内は暗く、何も見えなかった。

「お前の記事を読ませてもらった」中国語だ。少年の声。

「シン、君はテロ組織の一味だったのか」

「あれじゃあいまいちだな。俺だったら読者を感情移入させるテーマを敗血症にするね。敗血症は小さな傷でも死ぬ恐れがあるとかなんとか」

なぜだか、わたしの言葉を無視して、わたしの書いた地方新聞の記事に文句を言ってきている。

「シンなのか、いままでどこにいたんだ」

「でもそうだな。あの記事の肩書の真似をすれば。銃とは、爆発する危険性があると、いうことも増えたんじゃないか」

「君はわたしを嵌めたのか」

 拳銃を渡してテロの手助けをさせたこと。シンは戦争のことに偉く詳しく語っていたけれど、本当はそういうのが楽しくて観戦する質(たち)かもしれない。

「そうだなぁ、本当はフックスの役は俺の担当だったんだが、フックスがあまりにも興味深々になってるからちょっと学ばせてやろうかなと言う気持ちはあったかもしれない」

 ククク、といたずらな少年を思わせるシンの笑い声。

「君は、最低の人間だ」

 明かりが点いた。白色蛍光がデッキの中を照らすと、右端と左端に何人もの人が立ち並んでいた。黄緑の服を着た人たち、あの中国人たちだ。それと肌の黒いアフリカ系の人や背の高い白人。そこには人種や性別、国境を越えていろんな人が集まっていた。

 まるで裁判でも受けているみたいだ。わたしには何十人もの静謐な視線が注がれている。

 シンはその右端の真ん中に、大人たちの間に挟まれて小さく存在していた、しかしその声の存在感は大きい。

 また、彼の罪も大きい。彼がわたしを犯罪者にしたこと、金持ちの乗客を皆殺しにしたことは許してはならない罪だ。

「そうとも、俺たちは、みんながみんな人間っていう生き物は最低であって、最高を目指すために生きていく。そこに意識がないから厄介であり――」

「君が最低だと言ってるんだ、みんなじゃない」

「みんなだろ、いい加減気づけよフックス。お前の国の月収が外国から見れば有り得ないほど高いんだぜ。お前の持っている携帯端末と拡張端末を持ち合わせている人間が世界には何人いると思っているんだ」シンはさらに声を張り上げてヒステリックになった。「お前は、それでも自分がみんなより劣っていると、一人前に幸せじゃないと本気で思っているのかよ」

 少しの静寂の後、その場にいるわたし以外の人間がゆっくりと首を縦に振って感心しているようだった。

 この場におけるシンの権限は高いのかもしれない。わたしはシンが本当に何者なのかは全く理解できていないが、ひどい奴だという考えは変わらない。

「分かった。君の事はもう責めないよ。だけどこれだけは教えてくれ」シンがこれまた屈託のない笑顔を取り繕って頷いた。「今ここで何が起きているんだ。君たちは何をするつもりなんだ」

 わたしはそれが一番知りたかった。

「それじゃあ見て行けばいいさ。この世界の渦の中心を、これから始まる狂気を。ここはその特等席だ」

 カチリと艦橋の操作盤からレバーの音が傾く音が聞こえた。

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