第3話第一部3

 墓を後にして、鉄道へ。

 まずはフランスに入って指定された空港へと行く必要があった。その空港でしかわたしの行きたい国へと渡る方法がないからだ。ヨーロッパは陸続きの国が多くて、国交関係も親密だ。それも通貨はユーロという共通通貨で(一部の国を除いて)、電子通貨として個人IDさえ登録していれば紙幣として財布を持つ必要もない。だから切符も拡張現実(オーグメント・リアリティ)された視界に浮かぶ半透明のボタンをタップ、フリックするだけで並ばずに切符を購入することが出来る。そして、汽車を乗り換えるだけで国から国へと簡単に渡り歩ける。

 拡張端末(オ-グマー)の充電やパスポートは必要だけど、今やヨーロッパは国の枠を超えて協力し合える大国を築いていた。

 これは決して都会の話をしてるのではなく、ヨーロッパのあちこちがそうなっていることをわたしは実感した。村では豚一頭一頭にもメタ情報が振り分けられ、肉にされた日付を消費者は調べることが出来る。飲んだビールの材料や成分を知りたいと思うだけで、産地の風景画像、成分摂取による後遺症などを詳しく教えてくれる。さらにはそれが過剰摂取と判断されれば警告さえ。

 わたしたちの人生はどうにも昔と比べて、イージーストーリーになっている気もしなくないが、その実、世界はとことん複雑に豚をただの豚だとも呼べないようになっている。


 彼が言っていた。

――こんなことが出来るようになったのは、こんなことをさせるようにしてしまった俺たちの責任問題なのだと。

 食中毒で誰かが吐いてしまう度、家電製品が動かなくてトラブルが起きる度に、誰かが責任を負う必要がある。その誰かとはいままでは会社や国といった大きな枠組みだったのだけれど、真実を突き止めればそれは何人かのミスで起きていることなのだ。だけどそのミスが大きな要因――例えば戦争で使われる銃。銃から弾丸が出てこなかったから我が軍は負けてしまった、兵士が死んでしまった。なんてことが二度、三度起きてしまったから会社や国は責任の全てを取ることを諦め、やっと原因究明と改善策へと乗り出す。

 この循環が何千年も続いてきた結果、昨今のシステム社会が創り出されている、と彼は言っていた。


 わたしはそのシステムを駆使して、飛行機のチケットをすでに予約し、費用は全て銃規制団体が払ってくれるように振込口座を教えた。その認証には紙切れや言葉の必要はなく、数ページのデジタル入力とわたしの目の網膜と指紋、顔紋で簡単に終わった。それが最も効率的かつ簡単で精緻な方法に切り替わったのだ。

 わたしの乗る航空機は他に並んでいた機体と比べれば小型な物で、機内へ入るとそこは公衆バス、それかリムジンのような向かい合わせの席が広がっていた。客室乗務員がわたしのパスポート履歴が初乗りなのを察して乗り方を懇切丁寧に教えてくれる。番号を探し当てて座ると居心地はなかなかにいい。ワインやお菓子がフリーサービスで提供されるという。

 行き先はジョージア。

 この国への出航の需要は少ないようで、また便も週に二回ほどだそう。なにせ、二、三年前まで戦争をしていた国だというから誰も行きたがらないのだろう。観光地としての魅力もほとんど壊されてなくなってしまったと聞く。余程の廃墟マニアかジャーナリスト以外は寄り付かない国だろう。

 機内では携帯端末などの電子機器は電源を切ることが義務付けられていた。最近は太陽フレアやら地震による磁場でメディアがうるさいのだ。そんなことが起きる訳がないとは思うけれど、ある学者が言うにはアフリカの虐殺やらアメリカのテロはそれが一連の原因だと折り線グラフまで用意して太陽の周期と磁場と人口密度を比較した研究がなされている。

 全く無駄な努力だ。

 客室乗務員の指示を聞いて急いで携帯端末を操作する。

「あなた、どこの国の出身……」

 フランス人。色素の薄い茶系の長い髪をふんわりと巻いた髪型、フランス美人と呼ばれる所以のナチュラルメイクを施した女の人。ぴちぴちに張り付いたレディーススーツの胸には、フランスの国旗が張り付いていた。

 その人が飛行機でのわたしの席の隣で、おしゃべりだった。その恰好やら態度を見る限り歳は年上な気がする。

 英語で話しかけてきていた。拡現を切っていたために聞かれた言葉を一つ一つ頭の中で整理して質問を読み解いた。

「ドイツ」わたしは単語だけ言った。英語はまだ不得意だったのだ。

「ドイツね、わたし、あの国のとてもでかい豚肉のかたまり、えーとローストポークを食べたわ」

 フランス人が話したのはドイツ語だった。

「シュヴァイネ・ブラーテン」でも、料理名は英語だった。

「そうそれよ」フランス人は笑いだして「あの時は食べきれるかひやひやしたわ」

「まぁ、わたしも友達とは分け合わないと食べきれませんし、家庭ではなかなか作らない料理です」

「たぶん驚かせるのが目的だったのよ、マグロの頭みたいに」

 マグロの頭……。魚の頭なんて食べるところがあるのだろうか。わたしは自然と口がほころんでいた。

「ドイツ語も話せるんですね」

「ナタリー・リンヌ・プティよ。いろんな国の外交官をやってるの。よろしくね」

 握手を求められた、もちろん返すけどナタリーの白くて華奢なすべすべした手はエミリアの手――傷があった――と重ねてしまって少し嫌気がさした。

 まぁ、あっちは外交官と言っているくらいだし慣れてはいるんだろう。

「ルクス・フックス」

「それじゃあ、ルキね」ナタリーはわたしを愛称(ニックネーム)で呼んだ。「もしかして肉飛行機は初めてかしら……」

 と聞いてくるのは、単にわたしが機内を物珍しそうに目線を走らせていたからに違いない。

 わたしは少し遊ばれている気がしたが、無視するのは心苦しい。

 それに、相手は女性なんだから断ることなどできなかった。

「小さい頃に普通の飛行機に乗ったきりだけど、最近は人工筋肉が採用されているんですよね、それってちょっと――」

「不気味……」ナタリーは意地悪そうな笑みを浮かべてくる。「大丈夫よゾンビみたいなのを想像してるなら全然違う」

「違わないよ、イルカとかの筋肉を剥いで使ってるんだ」

「まぁそうだけど、そのイルカだって野性じゃなくて養殖されたものなのよ。用はそうなるべくこうなった訳」

「そうだね、君は正しいよ」

 わたしはナタリーがイルカの姿を知らないのかと思った。目が丸くて鼻が長い頭のいい哺乳類。確かエミリアが昔、魚みたいでかわいいって分類していた動物たちのひとつ。そいつの肉を剥いでしまうなんてとんでもない。

 そうこうしてるうちに私の座っている肉椅子(ミートチェアー)から、話題の人工筋肉が後ろから腕を伸ばしてわたしを包んできた。感触といえば人間の肌と同じ質感を持っている。

 わたしの身近にある人工筋肉といえば、酒場や倉庫にある鳥脚ポーターや高級マンションの鉄骨代わりになっている。地震が起きても揺れないのが売りだそう。

 体に重力がかかって離陸した。実はこの時の速度はすでに音速を越えていて人工筋肉が体に掛かる負担を極端に軽減してくれているという。

「これ、原価はすごい高いのよ、それこそ養殖業では一番の利益率を持つ。いまや一部の天然のマグロやウナギが絶滅して養殖が希少になっても、イルカの養殖はその倍の価値がある。人工筋肉はそれだけいろんな用途があるし市場がひろがってるのよ」

「所詮お金なんだね」

 まるでゴールドラッシュだ。価値のないと決めつけられた場所から金が取れると分かればみんなこぞって集まってくる。

「そのお金が何に使われているか知ってる……」ナタリーはしばらくの間黙っていたけど、わたしは答えが出なかった。「国のためよ」

「国のため……」わたしは聞き返した。

「国民のためと言い直した方が分かり易いかしら。貧しい国は仕事がないっていうのが現状の時代、安心安全が徹底され偽造なんて困難で、コストさえ最低限に見積もってしまった結果、各地で暴動や紛争が起きたの。我慢の限界が国民にも来たのね」

「それが二、三年前の戦争の理由……」

 二、三年前の中東及びアフリカはひどい戦争状態だった。当時はそれをどうにかしようとアメリカが率先して国連と協力し、沈静化を続けていたみたいだけど、それが逆転したかのようにここ近年はアメリカでテロが起きた事件しか聞かない。

「まだ一理だけどね。それで国連は人々が不満を言わないように仕事を与えた。それも広大な土地や環境の理にかなったいい仕事をね」

 それがイルカの養殖という訳か。海や湖の近くならそれを最大限に利用すればかなり量産できるだろう。内地では穀物を育て、イルカの餌にでもすればいい。確かイルカも品種改良が進んで、植物を食べれるようになったと聞く。まるで豚のようだ。

 ヨーロッパでイルカの養殖なんてしているところ一つもない。昔は実験的にしてたところもあったみたいだけど、それはいわゆる環境破壊にもつながるし、観光地としての景観をぶち壊す。誰が好き好んで網と柵で囲まれた海で写真を撮りたがるのだろう。

 ナタリーがわたしの目をのぞき込んで言ってくる。「ごめんなさい、わたしって仕事柄こういう話を毎日聞いてるものだから。ただそう――」わたしとの最初の会話を思い出しているようだった。「あなたはどうして国外旅行先にジョージアを選んだの……」

 それが聞きたかったみたいだ。わたしは言った通り飛行機に乗ったことなど国内でしかない。しかもそれにはまだ、人工筋肉なんてものは備え付けられてはいないのだ。

 ジョージア、かつて他の国々からグルジアと呼ばれていたこの国は、南から流れた戦争が行き着いた終戦の地だった。ロシアという大きな国が受け皿となってジョージアの先、東欧への侵入を通せんぼしていた。そのおかげで、内戦は激化しひどい虐殺が何度も行われていた。

 だから、観光客が行くにはまだ危険すぎる場所だし、周りを見てみればわかるがスーツを着込んだ外交官だらけ。ジャーナリストなら大きなカメラの一つは首からぶら下げていそうなものだけど。

 あいにくわたしは黒と赤の私服で、荷物は鞄一つだ。観光客にしか見えまい。

「友達に会いに行くんだ」わたしはこれだけでは理由が足りない気がした。「実はわたしは新聞記者で、ネタ探しと言うかジャーナリストに転職しようかなって気分で、なんとなく」

 どもってしまう。ナタリーは不審な目で見てきてるので、本当のことを言わなくちゃいけないけど、わたしの心の内を言えば止められる気がした。

 というのは、わたしはなんとなく彼女が外交官以上の、国際連合やEU軍で仕事をする偉い人だという気がするからだ。

「世界を見て回ろうっていう訳……」

「そうです」

 わたしは身をちじこませて言う。

 ナタリーは困ったような顔をしていた。

「空港から降りたら近くのカフェで一緒にお昼でもどう……」

 わたしはもちろんと首を縦に振ったけど、ナタリーはどこか堅苦しい表情を浮かべていた。連絡先も教え合った。

 空の旅は、三十分という短い時間で終わり、ジョージアに着いてしまった。

 異国といってもドイツと東欧はそうは離れていない距離なのだ。


 空港は立派なものでとても戦争のあった国とは思えないほど、ビルが建ち並んだ市街地に飛行機は降りた。

 先進的な建物の群はドイツの首都でも見られないほど狭い間隔で密集していて、そこが決してマンションやホテルではなく、貿易、商業目的の大手の会社のオフィスであることをナタリーは教えてくれた。

 ナタリーはカフェでパンとコーヒーをテイクアウトすると外で食べましょうと促してきた。わたしも同じものを注文してナタリーの後を追いかけていく。

 その場所は展望台で、ビルもあるけれど、地平線にある黒海が見渡せる絶景の場所だった。ナタリーはパラレルの敷かれた席に着いて黒海を眺めながら、コーヒーを飲んで言った。

「大昔から、この国がジョージアという名前を各国に求めていた理由をあなたは知っているかしら」

「戦争があったから、かな」

「国を変えたかったからよ」ナタリーが北の方角を見て言う。白化粧をしたような山と平地が続くコーカサスの大地。「自国民はサカルトヴェロと言う国。グルジアと言うのはロシアが語源、もともとは旧ソ連の構成国だったのよ。でも戦争が終わってみたらジョージアには旧宗主国であるロシアに対する反発が強く、英語由来のジョージアと呼ばれるようにみんなに呼びかけたわけ」

「それが戦争とは違う理由……」

「もっと正直に言ったら、グルジアはジョージアになったので、もう戦争や貧困は起こりません、ここには夢と希望がある素晴らしい観光地としてアピールしたかったのよ。それが十数年前。その時すでに世界の百七十か国はジョージアと呼んでいたわ。それに移民国で違う宗教を持ってる人たちといっても国民はソ連という枠組みから解放されたいが為に、言語が違っても一致団結していた」

「じゃあ二、三年前はなんで――」なんで戦争なんてしたのさ、そう言う前に遮られた。

「言葉よ」

「言葉……」

 ナタリーは強く言い含めて、怖い顔をした。怒りに満ちていた。

「虐殺を指示したと言われるこの国の元防衛大臣が死んだ日、統制を失った抵抗組織(レジスタンス)はあっという間に鎮圧された。その時の彼らには洗脳的な術式が施されたとしか思えない、共通した思考を持っていたのよ」

「人を殺せっていうこと」

「それに近いもの。例えば、人質。それに対する正義感。報酬を顧みない非効率な人助け。英雄的行動。それがお客様に対する礼儀といったプロセスを踏んで、頭の中で疑似的な使命感を漂わせる」

「死ねと言ったら死ぬってこと」

「いいえ、あくまでも自分自身の意志で。どうせ死ぬなら誰かを殺して人の為、世の為になれ、ということ。単純な命令ではなく複雑な助言として人を操る」

 それを聞いてやっと理解した。同じだ。

「崖から落ちそうな人がいる、沖で溺れた人がいる、ビルから自殺しそうな人がいる。誰かが不幸になって死んでいく、それを助けるために自分も命を捧げて、死んでもいいなんて、かっこいいと思う……」ナタリーは唇を噛みしめた。

 わたしと同じだと思った。

 彼がわたしに教えてくれたこと。正確には彼ではなくアメリカの政治家だけど。彼がそのすでに削除されたという動画を見せてくれたのだからあの言葉は彼の言葉に違いない。

――スペクタルとしての戦争は、常に必要だ。

「まぁその防衛大臣を動かしたのも、とある文化情報次官なのだというけれど、だれの言葉がはじまりなのかなんてわからないものよ」

――どこかで戦争が起こっているということ。どこか自分とは関係ない場所で悲惨な戦争が起こっているということ。

「そういうのって親だったり先生の影響を受けているのかもしれないし、あなた、聞いてる……」

――ぼくらはそれを意識し、目撃することで、事故を規定することが初めて可能になるのだ。

「ねぇルキ――」

「な、なに……」一瞬、エミリアがそこにいた。

 だけどそれはナタリーであり、エミリアとは全然姿形が違う別人だ。

「それで本題なんだけど、ルキ、あなたこの国に死にに来たわけではないのよね」

「まさか」

 わたしは驚いた。どうやらナタリーはわたしが自殺志願者だと思って昼食に誘ったらしい。

「本当に……言っておくけど、ここのドイツの大使館には人なんていないし、みんなヨーロッパが代表している連盟大使館でこぞって仕事をしてるわ。もしもあなたが自殺や人殺しをしたら、その後始末はわたしたちが働くことになる」

 つまり面倒事は起こすな、と。

 昼食は終わってナタリーはそろそろ時間だと言って後ろ姿を見せた。

 わたしはコーヒーを口に含めながらずっと彼の事を考えていたのだけれど、やはり彼の言っていた事や彼自身がわたしを洗脳するような悪人とは思えなくて悩んでいた。

 だからナタリーが帰ってしまう前にと、言葉を漏らしていた。

「あのさ、一つ聞きたいんだけど」わたしは自分の言動に躊躇ったけど、ナタリーは言い終わるまでずっと待ってくれた。わたしの体感としてだけど長い沈黙だった。「自分の国や友達が大切だと思うのはエゴなのかな」

それがわたしの身勝手な行動理由。大切な人たちの死を見たくないという考え。

「そうね」ナタリーもまた熟考して「私自身の素直な考え、としては、大切なのは結果よ。その行動の先には何があるのか、エゴなんて思わないで自分が一番ということを忘れないことよ。自分が死んじゃったら残された者は辛いじゃない」ナタリーは首を傾げた。「どうしてそんなこと聞くの……」

「だってそういう意味だろ、他人の言葉に耳を傾けるのは危ないってこと。それに汚染されちゃだめだってこと」

「ええ、そうよ」ナタリーは優しく言った。

「ありがとう」

 何が本当かは自分の目で確かめること、目の前の不条理を受け入れても自分を見失わないこと。

 ナタリーは外交官だけあっていろんな事をしっているみたいだった。精神科の先生よりよっぽど説得力があった。

「そこまで分かってるのなら心配ないわね」

「ドントウォーリー」わたしは片言だけどそう言った。

「スィーユールキ」

 ナタリーは笑ってそう言い、わたしから離れて行った。

 彼女にも仕事があるのだろう。

 この国を再び観光地として栄えさせるための仕事が。

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