第2話第一部2

 エミリアの葬儀が終わった後、友人たちがわたしの心配をして話しかけてくれた。

「ルキ、大丈夫か。ガールフレンドが死んでもくじけるなよ」

 年上のバシリーがわたしの頭をくしゃくしゃにしながら言ってくる。

 周囲には、わたしとエミリアの関係は交際相手(カップル)と見られていた。でも実際はそんなものじゃなくてセックスもキスさえ本当はしたことないんだ。したかったと言えばしてみたかったけど。

「平気さ、子ども扱いしないでよ」

 わたしがまだ青白い顔で言うものだから、友人たちは肩を寄せて励ましてれる。フランクはわたしの耳元に口を近づけ、他の者に聞かれぬように手を壁にして気まずく聞いてくる。

「これからどうするんだ、仕事を休むって聞いたけど」

「しばらく旅行に出ようと思ってね、外国なんだ」

「そうか。その間、お前の書いた記事が読めなくなるのは寂しいな」

「あんな記事を楽しみにしてる奴なんてお前らだけだよ」

 それを聞くと友人たちはしばらく唸っていたけど、「その方が気が楽になるか」と納得したみたいで酒場に誘ってくれた。

 全然酔える気分ではないのだけれど、景気づけと旅立ちに祝して乾杯するのがここの土地柄なのである。なにせビールと豚肉、あとエミリアが好きだった砂糖菓子がこの国の名産品なのだから。

 酒場では旅行先で死んだりしちゃいけないとか、他にいい女をみつけろとか散々言われた。とても些細なことだが、わたしは友人たちに恵まれていてここには悪い人なんていないのだと思う。

 とても。

 でもわたしは知っていて、例えばバシリーは家族ぐるみで庭に、武器庫と呼んでる車庫(ガレージ)に銃をいくつかコレクションしていて、長くて強そうな自動銃を幾つも持っている。フランクもやはり大きな革製ベルトにこれ見よがしにずんぐりとした拳銃がホルダーに収まったままぶら下がっていて、彼がドイツ国立競技場で行われる早撃ちのシューティングスポーツの選手だということを思い出す。家の中や庭などで西部劇のような早撃ちの練習しているかと思うと吐き気がこみ上げてくる。

 だからわたしはとりとめもない涙や鼻水が出て、それを友人たちがエミリアの死と連想させて慰めてくるけど、違うんだ。

 どうしてわたしたちが銃なんていう凶器を持たなければいけないのか、と再三考え始めるのだ。

 もしもフランクが、酔った勢いで銃を見せびらかして来たら……。それをバシリーがちんけな物だと罵ってきたら殴り合いになるのかもしれない。果てはそれが殺し合いに発展するのだろうか。

 最悪だ。そんなこと起きる訳ないだろ。

 これはもう一種の精神病と言っていいだろう。病院では心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。

「もう帰るよ、きっと眠いんだ」

 わたしはそれをあくびのせいにしてその日はお開きになった。我が家に帰ってもわたしは目が冴えて寝れずにいて、英語を勉強していた。外国では英語が出来ればとりあえずは通じるからだという。


 次の日にわたしが行く場所と言えば行きつけの病院だった。受付から精神科の病棟へと渡り歩いていく。ここでは、テロ被害によって酷い目に合った人たちが治療を受けに集まってきている。

 ドイツといえば世界でも群を抜いて医療が発達している国だと思われがちだけど、それは手術や薬などの技術的なことばかりで、精神的な医療はスイスやアメリカの方が発展している。なぜならドイツはナチスと呼ばれてた時代にそういった精神的なことを誇大妄想だとして批判と弾劾をしていったからだ。

 随分と昔の話だけど、スイスのチューリッヒにある国際精神療法学会の会長を務めていたカール・ユングはナチスの反ユダヤ人政策にはとことん反対をしていた。ユング自身、ユダヤ人ではないがナチスのしている虐殺を見てられなかったのだろう。ドイツ国外に逃げたユダヤ人たちのほとんどはユングの手助けがあったから逃げることが叶ったと言われている。

 だからドイツは、もう過去の事であり二度と繰り返さないと断言していても、他国から精神医療の情報を学ぼうとしても嫌な顔をされてしまった。

 だから、わたしのPTSDは軽度なものと診断され、一週間後には銃の事なんて忘れているかもしれない、と様子見をされている状態だ。何しろ撃たれたのはわたしではなくもう死んでしまったエミリアなのだから、と。

 本当にひどい症状だと息切れや心臓発作を起こしてしまうというのだから、涙と鼻水しか出ないわたしはアレルギーのようなちんけな物なのだと先生は軽口で言う。

「ルクス・フックスさん」

 わたしの名前が看護師の呼びかけで響いている。精神科医の先生が呼んでいるのだ。指定された部屋に入ると先生はカルテを見ながら言った。

「あれからどうですか……」

 わたしが病院に通ってから今日でちょうど一週間が経つのだ。初日は銃やそれを撃たれた人のイラストなんかを見せられて症状の具合を観察させられた。

「体調はいい感じです、でも銃を見るとやっぱり落ち着かなくなります」

「それは恐怖心のようなものかな……」

 恐怖と言われて、それも一概ではないと思ったけど、わたしは正直に自分の気持ちを推理して言い上げた。

「どちらかと言えば、憎しみの方が強いかもしれません」

「ふむ」先生がカルテに何かしら書き込んでいく。「それでは、コミュニティの方はどうでした」と、世間話をする口調になって聞いてくる。

 それは、初日に先生が紹介してくれたわたしと同じ気持ちの人たちがいるグループ、いわゆる銃規制を厳しくすることを志にした団体だ。

「連絡しましたよ。ところどころ怪しいところもあるけれど、わたしと同じ気持ちの人たちがたくさんいますからね。共感はします」

「それは良かった」先生はカルテを置いて「私の持論なのですがね、なにかしらのトラウマを持った人たちは一人で生きていくのはなかなかに難しいと思うのですよ。理由はどうであれ、元気を取り戻すには目標を持つことは大事だと思うのです。その目標に向かって立ち向かう仲間もね」

「わたしの場合は銃規制だったと」

「ええ。このところ各地でテロというニュースも絶えませんから、世界中を探せば銃に対して憎悪感を抱いている方もたくさんいるのですよ。そう言った方々がいることをあなたが知って、生きていく勇気になってくれればと思ったのです」

 なるほど。わたしは頷いていた。食べ物の食中毒ならばその生産過程に抗議をする人々、給料など労働基準を見直すように法律を変えたいと言う人々。この世界のルールに不満を言いたい人なんてたくさんといて、それが団体として集まっている。

 もっとも、反対意見を出しそれが認められていないという事は、大多数の人たちはまた違う考えを持っていて、それが常識という普遍として適用されているのが、世界のルールだが。

 今の世の中、ネットなんて便利なものが普及しているご時世なので、遠い国の人たちとも連絡し合うことは容易であり、共感し世界規模で集合し、行動を起こす力も大きくなっている。

 先生は、その人たちの元気がわたしの元気になれればいいという考えだった。

「それを治療方法としてあなたに教えたのは医者としては投げやりかもしれませんが、最善策であると私は思うのですよ」

 先生はそこまで説明してくれて、最後に頭を下げていた。

「とりあえずは、先生が紹介してくれたコミュニティで頑張ってみます。今度、外国でコミュニティの人たちと会う約束をしているんですよ」

「そうですか、それがあなたの楽しみになって生きる糧になれば、いう事はありません」先生は笑って答えていた。

 別にわたしは、孤独という訳ではないのだけれど、友人や社会とはまた違う、遠くの遥か彼方で住む、肌の色も言語も違った人たちと会い、理解し合えるのが楽しみだと先生はおっしゃっているのだろう。

 確かにそれも楽しみなのだけれど、わたしにしてみれば少し違った。

 なぜなら、わたしがここに帰って来ることなど無いのかもしれないのだから。


 故国(ドイツ)を旅立つ最後の日。

 わたしはエミリアの墓に花を添えた。テロの現場にも。

 そのどちらかにエミリアがいることは確かで、わたしはどうしてもエミリアに顔を見せたかった。

 エミリアが好きそうなピンクと白のアイリス。こういう時の為に好きな花を聞くべきだったな、と後悔をする。エミリアはとても女の子らしい性格で、万年ピンクと白の優しい色合いをしたスカートを選んで着こなしていた。もちろんそれは似合っていて、わたしの頭の中のエミリアに対するイメージカラーもそれに洗脳されてしまったのだけれど――うわ、スカートの色と同じ色と同じ形を選ぶなんて、最低だ。わたしは口を歪めてしまっていた。思い出が溢れてくるとまた胸が痛む。

 泣きたいのか笑いたいのかよく分からなくなっていた。

 花を手向ける。

 この行為には特に意味はなく、また、言葉も出なかった。それがこの土地の人の慣習(ジンクス)なのだといわれればそれが当てはまる。

 黙祷を捧げる。

 わたしとエミリアそしてこの地域の人たちはみんなキリスト教信者であり、御祈りもまたキリストに願った。おかげさまでキリスト教の教えはわたしの頭の中に根付いてなかなか離れないのだけれど、わたしは心の底では本気で神を信じていなかったし、そういった行動は時間の無駄とさえ思い、さらには大勢の人々が天に乞う姿には気持ち悪ささえ感じていた。だからわたしがこうやってエミリアの前で両手を組み御祈りをするのは、エミリアがキリストを好きだったからに過ぎない。

 キリスト教とは赦しの宗教なのだ。

 だからわたしがこの国を去って、辺境の地でこの身を滅ぼすことをどうか赦してほしい。そう願う。

 だけれども、罪悪感があるといえば少し胸がチクリと刺す。それは友人たちが勘違いしていること、精神科の先生の当てが見当はずれだという事。

 わたしが外国に行くと決めたのは母の敵討ちでもなく、旅行をして気を楽にすることでもなく、ましてや銃を憎んでいる訳ではないのだ。

 ただ、わたしがそうしなければ周りの世界が知らず知らずの内に壊れてしまう。無知の焦り。

 そんな気がしてならなかった。


 でも、一つだけイフストーリーを妄想していて、それはたまに夢にでも出てくるのだけれど、嫌になるくらい記憶に残っている。それが甘い砂糖菓子を食べすぎたような、喉の咽る本当の出来事みたいに。

――もしも、エミリアが生きていたとしたらわたしはこうやって外国に行くことなく、ビールと豚肉を食べながら、テロや銃に怯えながら、明日のことさえ危ういこの国で老いて死んでいく夢。


 その夢の最後で。

 わたしは一人、老いていくのだ。

 周りを見殺しにして。

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