第38話 ミラルディの秘密

 夕陽に染まった公園にいる子供たちの声がぴたりと止んで。

 そのときだけ、時が止まったようだった。

 公園にいるのは私たち二人だけのような。

 そんな状況を幻想した。


「日本には『あげまん』って言葉があるんだけどさ。そんな感じ?」


 ヨシュアは私の顔を真正面から見て続けたわ。


「『あげまん』ていう言葉はさ、えーと。男がある女の人と……もし」

「セックスしたら、相手の男の人をアゲるのよ」


 先に告げた私に、ヨシュアはびっくりしたように目を見開いて口を閉じた。私がなんの抵抗もなくさらりとその単語を発するなんて思わなかったみたい。

 そのヨシュアの様子に私はもっとヨシュアを驚かせたいような意地の悪い気持ちが起こった。


 どうにだって誤魔化すことができたと思うわ。

 冗談よ、なんて次の瞬間にヨシュアに笑うことだってできた。だってにわかには信じられないあり得ない話だもの。笑い話にすることなんて簡単よ。


 だけど私はそれをしなかった。


 エインズワース家の女だけの秘密なのよ。

 身を守るために私は秘密をばらしちゃいけないのに。


 なのに、私の口はそんな秘密を語り始めたの。

 わかんない。

 暮れかけている夕涼みの空間が。

 なんだか少し悲しくなるような頰に当たる冷たい風が。


 私をそんな気分にさせたの。


「エインズワース家は代々、そんな能力が女だけに伝わるのよ。昔からそうなの。秦の始皇帝や。マケドニアのアレキサンダー大王。モンゴルのチンギスハーンだって。最近じゃ、ソビエトのスターリンもね。私の先祖と関係を持った結果よ」


 ヨシュアは細い目を丸くして聞いていた。

 私はそんなヨシュアの顔を見つめながら淡々と続けた。


「私のパパが自分の会社を立ち上げて成功しているのも私のママのおかげだし。ギョヒョンおばさまと結婚したとたんにミゲロさんがトントン拍子に出世して副司教になったのもそのせいよ……大恐慌で困窮した曽祖父さまが宝くじに大当たりしたのも、戦時中に少しだけユダヤ人を匿ったことがある宝石商のおじい様がダイヤモンドの恩恵を生涯受け続けているのもね」


 さあ。

 今よ。


 冗談よ、バカね。


 そう言ってヨシュアに笑うのよ。

 今がそのタイミング。


 そう決めて、すう、と私が息を吸い込んだときだった。


「すげえ。お嬢って、ラッキーガールなんだ」


 能天気なヨシュアの感嘆交じりの言葉に。

 私は猛烈に怒りが湧いてきた。


「……何よそれ」

「お嬢は相手を幸せに出来る魔法を持ってる、てことだろ。そんな力を持てて、すごくラッキーじゃないか」

「そんな簡単な話じゃないのよ!」


 私はブランコから立ち上がってヨシュアに怒鳴りつけた。


「誰かれ構わずアゲちゃうってことは、気をつけなければいけないのよ! 相手の選択を誤ると、スターリンみたいな独裁者を誕生させることになるの! 簡単に言わないでよ!」

「だって。そんなの大したことじゃないよ」


 そんなの。

 そんなの……ですって?


「そんなのって、何よ!」


 私は見上げているヨシュアにカッとして叫んだ。


「私の気持ちなんて分からないくせに! よくそんなことが言えるわね!……いいな、て思った男の子を最初から疑って見ないといけない気持ち、あなたに分かるの? 実はサイコパスなんじゃないかとか、すごく野心を持ってるんじゃないかとか、不遇な家庭環境で育ってトラウマ持ってるんじゃないか、とか。そんなことを考えるクセがついちゃった私の気持ちなんてあなたに分かるの!」


 そうよ。みんなして。

 私のおばあさまも、おばさまも。


 その男の子は善良なの?

 小者なの?

 将来、安心できる男の子なの?


 いつも無言の圧力をかけてくる。

 うるさいのよ!


「あたしは、まだ中学生なのよ!」


 中学生の今くらい、自由に恋させてよ。

 他の女の子みたいに、無邪気にコソコソ話で盛り上がりたいのよ。

『あの子のああいうところがカッコいいよね』とか。『◯◯君が好きかも』とか。

 ドキドキ、きゃー、って言いながら、その素敵な気持ちを楽しみたいのに。

 そういうのって今、このときだけでしょう?


 涙が滲んできちゃった。

 私の癇癪に驚いて言葉を失ったようなヨシュアを見下ろしてにらみつける。


「私はね、たった今、目の前にいる男の子を何も考えずに好きになりたいの! 誰にもこの気持ちを邪魔されずに。一生懸命に夢中で好きになりたいのよ!」


 思いっきり、叫びつけて。


 私はハ、とした。


 あ、あら。

 な、なんだか今の。

 ヨシュアへの告白みたいじゃない。


 いえ、みたい、じゃなくて告白そのもの――!?


「なにそれ」


 焦った私の耳に。

 飛び込んできたのは、ヨシュアの低い声だった。


「……え?」

「じゃあ、お嬢は自分が不幸だと思ってんの? そんなすごい力を持っていて、自分がかわいそうだと思ってんの?」


 なによ。ヨシュア怖い。

 なに怒ってんのよ。


 一重の目が鋭い。

 小さい頃からでも滅多に見たことのないヨシュアの怒った顔に私は身じろぎした。

 その私の様子を見て、ヨシュアは急に表情を緩めた。


「ごめん。何も知らないのに、お嬢に怒ったって分かんないよな。……あのさ、お嬢は恵まれてるよ。俺から言わせるとすごく羨ましいよ。すごくマシだよ……俺より」


 ヨシュアは次にとんでもない言葉を口にした。


「あのさ……俺もお嬢と似てるんだよ。でも、全然違うけど。……実は俺。サゲメンなんだ」


 ……え?

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