第37話 ブランコ

 病院を出て、私たちは帰り道に公園の中を通った。

 昔、そういえばこの公園でヨシュアとよく遊んだわね。懐かしいわ。

  私はそんなことを思い出しながら隣のヨシュアを少し睨んだ。


「ねえ、ミゲロさんにいい加減、強く出るのはやめなさいってば。気の毒よ」

「わかったよ」


 ヨシュアはちっとも反省してないような様子で答える。


「どうして強請ろうなんて考えたのよ」

「違うモン。強請ろうなんてしてなかったモン。俺の家庭状況と家計状況を切々と語ったら、勝手にミゲロさんが忖度そんたくして勝手に援助してくれたんだモン」


 何がモン、よ。シラジラしい。

 それが強請りというのよ!


「よくもあなた、そんな大きな気になれたもんね。ミゲロさんと教会相手に」


 私が呆れるとヨシュアは片眉を吊り上げた。


「学費の支払い、滞ってたからさ。つい出来心で。スーゴも言ってただろ。俺は、二百年ぶりに死霊に取りつかれた、ワノトギになるかもしれない可能性の少年、だったからさ。教会としては貴重な逸材だったんだよ」

「罰当たり。いつか神霊に取って食われるわよ」

「大丈夫。俺、あいつらにとっても貴重な存在だから」

「は?」


 直後。

 しまった、と顔を変えたヨシュアに。

 私はピン、ときた。


「あなたまさか」


『試練』を受けたといったけど。

 成功しただけじゃなくて。


「もしかして……聖人……『ワノトギ』になったの?」


 そう聞いた私にヨシュアは。

 無言で微笑んで見せた。


 なんてやつ――!


「どうして、そんなこと黙ってるのよ!」


 試練を受けた者の中には、死霊が離れず、そのまま死霊と共存する者が稀に現れるのだそう。

 その離れない死霊を『トギ』と呼び、トギの宿主のなった者は『ワノトギ』と呼ばれる。

 ワノトギは神霊からもらった欠片も身体に入ったままだから、不思議な力を使えるのですって。


「だってすげえ、面倒くさそうじゃないか。絶対面倒くせえ。マスカダイン教の行事のたびに呼び出されそうだし。パレードの山車に変な衣装着て乗って信者に手を振るとか、俺、絶対嫌だし」

「そうだけど! 大事なことよ、ミゲロさんに言わなきゃ」

「悪霊っていうのが出たら、そのときは名乗り出るよ。それでいいだろ」


 たしかにワノトギが必要なのは悪霊が現れたときだけだわ。

 死霊さえ現れない今の時代、名乗らなくても無事に済みそうだけど……。


 う、いいのかしら。本当に。

 ヨシュアの自由意志を尊重して黙ってあげたほうがいいのかしら。


……ねえ、ちょっと、まって。


 私は思い出して嫌な予感がした。

 さっきのミゲロさんとヨシュアのやりとりを。


 やっぱりおかしかったわよね。

 神霊ネママイアの力は人を操る能力があると聞いてるわ。

 ……もしかして。


 疑いを持って隣のヨシュアを見上げた私はあることに気がついた。

 ヨシュアと私は歩幅が全然違う。

 私はいつもヨシュアと歩くときは、ヨシュアに合わせて、せかせか足を運んでいたわ。

 でも今、ヨシュアは私に合わせてゆっくり歩いてくれていた。


 なんともいえない気持ちになって、私は口が緩まないように唇を噛んだ。


「ワノトギになっても。見かけは全然、変わらないのね」

「うん、俺もいまいち実感がないよ」

「じゃああなたに憑いていた死霊……ユミュール先生の奥様が『トギ』になったのね。どうなの? 話せるんでしょ、お互いに」

「いや、それがさ。俺も勘違いしてたんだけどさ」


 ヨシュアは苦笑した。


「俺に憑いていた死霊は先生の奥さんじゃなかったんだ。ごめん。早とちりだった。『ワノトギ』になってやっとわかったんだ。えーと、おっさん。墓場の近くによくいた酔っ払いのおじさん。ほら、酒飲んで寝ちゃって、冬に墓場前で凍死した男の人いただろ。俺の店にもよく来てたけどさ。俺に憑いたの、その人だった」


 なによ、それ。

 じゃあ、ヨシュアに取り憑いていたのは、全然知らないどこかのおじさんだったわけ?


「俺が話しかけてもまともに答えてくれないんだ、この人。『うっせえ、バッキャーロ』ばっかり。トギになっても酔っぱらったままなのかな。えーと、名前はバッキャンデロさんだっけ。……え、ちがう? ごめんごめん、キャンデロロさんだった」


 なんなのよ、それ。

 拍子抜け過ぎるでしょ。


「あんまりこの人、やる気なさそうだし、俺もやる気ないしさ。このまま普段通りで生きていけそうな感じ。うん、良かったよ。でもワノトギになっちゃって長生きするのだけは嫌だなあ。俺、不摂生な生活を必死で繰り返すよこれから。……でもそう考えると、そんな生活送ってても早死にしないってことはラッキーなのかな。やっぱり俺ってラッキーだな」

「……なに言ってんのよ」


 ぷ。

 私は思わず笑っちゃった。


 だって、聖人になったっていうのに。

 ワノトギになったっていうのに。


 ヨシュアはいつもどおりの中学生なんだもの。

 なんなのよコイツ。


「あはは、おもしろいわね、あんた」


 ものすごく大物なのかしら。

 だったら私の相手にはダメよね。


 考えた瞬間に私の胸の奥がぴり、とひきつれて。私は笑うのをやめた。


「ワノトギのネタはまたなにか欲しい時にミゲロさんに使わせてもらうよ。切り札、てやつ」

「ワノトギになったっていえば、その方がいくらでも教会に優遇してもらえそうじゃない。大学まで行かせてくれるんじゃないの?」

「うん、まあそれも思うけどね。最後の手段にとっておくよ」

「そんなにマスカダイン学園が好きだったの? あなた」


 安い公立の学校より。そんなにいいのかしら。

 ヨシュアを見てると、そこまで学校が好きなように見えないけど。


 ヨシュアは私を見て微笑んだ。


「……お嬢と一緒の学校だからね」


 その顔を見た私の中で。

 そのときなにかがはじけたわ。


 私は一気に蘇った記憶に思わず息をのむ。


 ……いえ、ちがうわ。

 本当はもともと、公立の中学にヨシュアは行くはずだった……のよ。


 そうよ。ヨシュアが同じ中学には行けないことを知って。

 それを私が泣きわめいて一緒の中学に行きたいと頼んだのよ。


 たしか、それは、八歳ぐらいのときだったかしら。

 困ったようなおばさんに、ヨシュアも一緒に頼んでくれた。

 それを知ったパパも、もしものときは援助する、って……。


 やだ、こんな大事なこと、どうして今まで忘れていたのかしら。


 かあ、と私は顔があつくなった。


「お嬢が言ったんだよ。俺とずっと同じ学校に行きたいって」

「……ええ、そうね」


 高校もあなたと一緒なら。

 私、嬉しいわ。




「なあ、ブランコ乗らない? お嬢」


 ふいに、ヨシュアが公園の片隅を指した。

 小さな子供がブランコから降りて、お母さんに手を引かれて帰って行くところだった。


 昔、よく二人で乗って靴をどっちが遠くまで飛ばせるか競ったわよね。靴を拾って飛ばすのを繰り返して。面白かった。


「いいわよ」


 懐かしくなって私は支柱からぶら下がっている二台のブランコに駆け寄った。

 鎖をつかんで、座ろうとして。

 私は顔をしかめた。


「やだ、お尻がキツイんだけど」

「お嬢、ケツがデカくなったもんね」


 隣のブランコに座ったヨシュアがそう言うのを聞きながら、私は無理やり窮屈な場所にお尻を押し込めた。


「俺の膝にすわ」

「嫌よ」


 鎖を持ちながら後ろに下がると私は、足を地面から離してすい、と前に漕ぎ出す。


「ねえ、なんでスカート履かなくなっちゃったの、お嬢。昔は毎日、履いてたじゃん」


 ジーンズを履いた脚を伸ばしたり曲げたりする私に、ヨシュアはブランコを漕ぐことなく話しかけた。

 スカートブランコに何を期待してんのよ。


「いいじゃない、別に。ジーンズの方が動きやすいもの」

「それでも、最近ずっとズボンばかりじゃん。たまには履けば」

「私もポリアンナみたいに脚が綺麗ならいくらでもスカートを履くわよ。ミニでもなんでも。脚に自信が無いの」


 ラスカル様みたいに長くもないし、ポリアンナみたいに細いわけでもないもの。


「なんで。スカート履けば可愛いのに。お嬢は可愛いよ、ウサギみたいだし」


 ヨシュアの横を通った瞬間にヨシュアの顔をちらりと見たら。

 ヨシュアがこっちを見て微笑んでいたから私はドギマギした。


「ど、どのへんがよ」

「ふわふわしてるところ」


 髪の毛の話じゃない! もう!

 私はブランコの揺れになびく、自分の茶色の癖っ毛を恨めしげに見る。


「フリマでさ。ポリアンナ委員長が着てたような服。あんな服持ってないの、お嬢。あれ、委員長よりお嬢が着た方がすごい似合って可愛いと思ったんだ。だから委員長に売ってくれないか、ってあのとき頼んだんだ。断られたけど」


 なにそれ。

 じゃあ、私へのプレゼントだった、ってことなの?


「ポリアンナの着た服なんて嫌よ」

「だからそれは内緒で渡そうと思ってたんだよ……どうしよう。あのぬいぐるみもマスカダイン教のものになっちゃったし。お嬢の誕生日にあげるものが無くなった」


 どういう風の吹きまわしなのかしら。

 いつも誕生日にくれるプレゼントはあなたが作った『スペシャルモダンミックス焼き広島系ややチヂミ風』のお好み焼きだったでしょ。それ以外の物をくれたことなんてなかったじゃない、あなた。


「何も要らないわよ……あなたが同じ高校に行けるようになっただけで十分よ」


 私は前を見たまま、ブランコを勢いよくこいだ。


 顔、赤くなってないわよね?

 大丈夫よね? 私の顔。

 風に当たって、早く冷まさなきゃ。


「ねえ……お嬢。聞きたいことがあるんだけど」


 恥ずかしさを隠すために勢いを増してブランコを漕ぎ続ける私に、ヨシュアが少しためらいがちな声で言った。


「あのとき。ダッチワイフ工場で、俺、あの男がお嬢に話してたことがよくわかんなくて」


 私は足を地面におろしてブランコを漕ぐのをやめた。

 ざざ、と擦りながらブランコを止めた私は、ヨシュアの顔を鎖越しに見た。


「あれって、どういう意味。お嬢も。気を失ったあの韓国人の色っぽいおねーさんも。……二人とも男をアゲる血筋って」

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