第36話 新しい眷属

『ユミュール先生は気がついてないよ』


 傍らのヨシュアがそう私の耳元で囁いた。


『ヨシュア』


 あなたは気がついていたのね。


「お花に水を入れてきますね」


 私はそう言って、病室の棚の上の花瓶をとると、ヨシュアに目で促した。

 花を持ったヨシュアと病室の外に出る。

 数歩歩いた先で、私は隣のヨシュアを見上げた。


「よく気が付いたわね」

「うん。俺、世界にいる俺以外のイケメンはだいたいゲイだと思ってるからさ」


 なにその独断的な思想。


「イケメンだけどユミュール先生の方は完璧にノーマル。結構、いろいろユミュール先生にカマかけてみたけど。まったくノーマルの反応しかしなかったし」


 私は思い出した。

 まさか。

 授業での夏目漱石の「こころ」の回答は。

 あなた、そういうことだったの――?


「マスカダイン教の聖職者だぜ。昔だったら、ミゲロさん、ポリアンナ嬢によって火あぶりだよ」


 そうね。

 だから、ミゲロさんは想いを秘めたのね。

 ユミュール先生への想いを絶って、ギョヒョンおばさまと結婚までした。

 でも、ミゲロさんはユミュール先生を忘れられなかったのね。


 ギョヒョンおばさまも気の毒だけど。

 ミゲロさんも哀れだわ。


 私はトイレ前の手洗い場で花瓶に水を注いだ。

 ヨシュアが渡す花を花瓶に入れる。


「ねえ、それにしてもあなた、どうしてあのときあんなふざけたぬいぐるみを持ってたのよ。自分の部屋に飾る気だったの?」

「いや。お嬢、もうすぐ誕生日だろ。アレをプレゼントしようかと思ってた」


 はあ?


  「フリマでアレを発見した時、思いついてさ。ウケ狙いで。『お嬢、これを俺だと思って可愛がって』とか『お嬢、俺だと思って一緒に寝てやって』とか。まあ、なんて言って渡すかは考え中だったんだけど。……かなり凹んでただろお嬢、あの時。だからネタで笑い飛ばせるかなって」


  私は秘伝のお粥のことを思い出して、微笑んだ。


  「……下半身は卑猥だけど、アレは顔は可愛いわね」

  「だろ」


 ヨシュアが顔をほころばせた。

 珍しい。一重の目がほとんどなくなっちゃう滅多にない心からの笑顔だわ。あなたのその笑顔、あのふざけたぬいぐるみにちょっと似てるわね。

 この笑顔をもう少しで見られなくなっちゃうところだったのね。


 ……もしヨシュアがネママイアの器になっていたとしたら。


 心の中で思い出して、私はひやりとした。


「あなたが器になったんじゃなくて、試練を受けることができて。本当によかったわ」

「うん……実はあの時さ。ネママイアは俺じゃなくてお嬢の中に入ろうとしてたんだよ」


 ええ。わかってたわ。


 ヨシュアは言いにくそうに続けた。


「あの場の人間で。神霊の声を聞くことが出来たのは、死霊憑きの俺だけだった。ネママイアはあの中でお嬢をすぐに選んだんだ。お嬢が器にふさわしいって」

「どうして私を?」

「選ぶ基準は知らないけど。そういうものなんだよ、きっと。神霊自身が選ぶんだ。ネママイアがお嬢じゃなくてアレに入ってくれて本当によかった。アレがこの先何百年もネママイアの器になってしまうのはマスカダイン教には確かに悪かったかな、とは思うけど」


 ヨシュアは視線を私から外して足下の廊下を見つめた後、戻して私の顔を見た。


「あのさ、マスカダイン教徒じゃないお嬢だけには言うけど。神霊の声を聞くことが出来た俺だけに分かったことがあるんだ」


 なによ。


「マスカダイン教は嘘だらけなんだよ」

「嘘?」

「嘘、ていうか。全員が演技してるんだよな。全員が神霊の正体を隠そうと嘘をつきまくってるんだ。器の正体を泥人形だと眷属には黙っていた神官も嘘つきだし、オルニオ派を悪者に仕立てたのも嘘だろ。特に、神霊の言葉を聞くことが出来るスーゴたち眷属が一番嘘つきだよ。あのバカそうなアルバトロスでさえ、俺たちに一芝居うってるんだぜ。知ったうえで、みんながお互いに真実を隠し合ってるんだよ。なんていうのかな。体制を保つための大人の事情、てやつなんだと思うけど」


 なによ、それ。どういうことなの。


「俺は、マスカダイン教徒じゃないから、先入観のないまっさらな頭だから言えるけど……。あのさ。神霊っていいモノじゃないよ。俺から見たら、ペットセメタリ―の悪霊と同じだ。奴ら……すげえ飢えてる」


宙を見ているヨシュアの目は暗かった。


「ぶどうのマスカダインが奴らの力の源なんだよ。人形の器じゃマスカダインを食うことができないから、あいつらヒトの身体に戻りたがってる。『食わせろ、ニンゲンに戻せ』の怨みや怒りの言葉ばっかりだったよ。腹が減りすぎてほとんど正気じゃないんだ、あいつら。実際、あいつらとはろくに会話もできないくらいだった。今でも気味が悪いよ。特に、お嬢の身体に狙いを定めたときの嬉しそうなネママイアの声」


 私はゾッとした。


「ネママイア以外の神霊たちは俺の試練を嫌がって拒否したんじゃない。本当は弱りすぎてて、そんな力が無いから俺に欠片を与えることが出来なかっただけなんだ……ミゲロさんや信者のポリアンナ嬢やラスカル様の手前、俺も空気読んで取り繕うスーゴたちの嘘に合わせたけどさ」


あなた、空気読めるのね。


「……多分、遠い未来に神霊たちは滅ぶよ。みんな本当はそれを待ってるんだと思う。神霊の器は祀ってるんじゃなくて、封印してる、って言った方が近いんじゃないかな」


 封印。

 ギョヒョンおばさまの言葉を私は思い出した。


『多分。マスカダイン教はこれから失われていく宗教だよ。それで良いんだと思うけど』


 そういうことなのね。





 私はヨシュアに花瓶をもたせて、ユミュール先生の病室に戻った。

 部屋の中では、ユミュール先生とミゲロさんが談笑していた。


「君はこれからが大変だろうな。新しい器のお披露目に。その祭事に」

「言わないでくれ」


 ユミュール先生の言葉にミゲロさんが眉を寄せて悲痛な表情をつくった。

 ああ、美形は苦しんでる顔がまたそそるわね。


「あの器をどうすればまともに信者に受け入れてもらえるか必死で皆で考えてるんだが。何も思い浮かばない。今までのように影武者を立てる案もある」

「ミゲロさん。アレはアレだし、もうどうしようもないじゃん」


 口を挟んだヨシュアにミゲロさんは恐ろしい目で睨み返した。


 「お前のせいだろうが」

「でも、あの工場にあった人形より俺のぬいぐるみの方がマシだと思うよ。そう思わない?」

「っ……! た、確かに……」

「ね、そう考えようよ」

「そ、そうだ……な……そ、そう……か?」


ミゲロさんはしばらく自問自答を繰り返した。うーん、ヨシュアに言いくるめられてるわね。


「加えてネママイア様の次の眷属をどうするかもみんなで悩んでいるんだ。候補として早死にした先代のヘビの子孫をあげてるんだが」

「ヘビ? やめようぜ、ミゲロさん、そんなの。次の眷属はもっと可愛いのにしようよ」


 ヨシュアがよせばいいのにまた口を挟む。


「お前の意見は聞いてない。日系人。頼むから教会に関わろうとするな」


 ミゲロさん、辛辣ね。

 でもヨシュアはやめなかった。


「兎にしようぜ、兎。モコモコのチンチラ兎。駅前のペットショップにすげえ可愛いのがいるんだよ」

「だからお前の意見は聞いてないと言ってるだろう!」


 イライラしてミゲロさんがとうとう怒鳴った。かわいそうに。また、ストレスで頭がハゲちゃうわ。


 ヨシュアは昔から可愛いものが好きだものね。まあ、私もヘビはいかがなものかしらと思うからヨシュアに賛成だけど。


「俺が飼うから、世話代は教会が出してね。俺、可愛いウサちゃんとイチャイチャ寝食共にするのが小さい頃からの夢だったんだ」

「だから……」

「わかった? ミゲロさん」


 ヨシュアは少し声を大きくすると。

 真っ黒な目でミゲロさんを見つめてゆっくりと言葉を続けた。


「駅前のペットショップの一番高いチンチラ兎。世話代は教会持ちで、俺の家で飼う。名前は『ラウラちゃん』にするから」

「……」


 ミゲロさんは口をつぐんで、ヨシュアとしばらく見合っていた。


「……わかった、世話代は教会持ちで、お前の家で飼う。名前はラウラだな」

「うん、そうそう」


 甘いわね!

 私はあっさりと折れたミゲロさんに拍子抜けした。


 まだアレかしら。

 ヨシュアに強請られていたトラウマから抜け出せていないのかしら。

 私はミゲロさんを哀れに思う。


 それから四人で少し話したのち、私とヨシュアはミゲロさんとユミュール先生と別れて病院を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る