第33話 キャットファイト

 私はポリアンナに掴みかかった。

 勢いに任せてポリアンナを押し倒し、上に乗っかる。

 ポリアンナも対抗して私の顔を引っ掻いたから、私は更に逆上したわ。


 この女、もともと前から気に入らなかったのよ。

 そうよ、ラスカル様をいつも独り占めだしさ。いい子ぶってるし、可愛いし、スカートの似合う美脚だし。細いくせにDカップとか、委員長のくせにどんないやらしい身体してんのよ!

 この際、ヤキ入れてやるわよ!


 めちゃくちゃにポリアンナを叩き出した私をヨシュアが後ろから羽交い締めにして引き剥がした。


「お嬢、落ち着いて」

「離しなさいよ!」


 あなたの命がかかってるの!


「イチロー!」


 はあはあ、と私は息を荒げながら蜘蛛の眷属の名を呼ぶ。


「はいよ」


 耳元で返事が聞こえた。


「あの女を痛めつけてやって!」

「……いや、それは。すまねえ、俺は女子供には手はあげられねえ、嬢ちゃん」


 なんですって?

 役に立たないわね。こんなときにしょうもない漢気出すんじゃないわよ!

 イラっとした私に


「ミラルディ。あたしが手を貸すわよ」


 耳元でモスキート音とともに囁き声がした。

 やっぱり、頼りになるのは女同士ね。


「ヨシュア君みたいな甘い汗の男をむざむざ死なせないわよ。どうする? あの女、やっちゃう? 殺っちまう?」

「ええ……あの女の血を吸い尽くしてやってちょうだい……!」


 私がマドモアゼルにそう命じたとき。


 床に座り込んだままのポリアンナを、ラスカル様が引っぱって勢いよく立ち上がらせた。


 ぱあん!


 次にはポリアンナの頰を打つ、ラスカル様の平手打ちの音が響き渡る。


「ポリアンナ! いい加減にしな!」


 凛とした美しい声が部屋の中を制した。


「聞き分けのないこと言うんじゃない!」

「ラ、ラスカル」


 びっくりしたように目を見開くポリアンナ。


 気高く美しいラスカル様のお顔が歪む。

 打たれたポリアンナの頰より、ポリアンナを打ったラスカル様のその御手の方が。

 痛くて辛いことを私は知っていた。

 うう。見てるこっちの胸が苦しいわ。


「だ、だって……」

「だってもクソもない!」


 ぱあんっ!


 二発目の平手打ちの音が響く。


「おじい様が悲しむよ、馬鹿っ!!」


 厳しいラスカル様の言葉に。

 頰を押さえたポリアンナの目に涙がみるみるうちに盛り上がる。


「ラスカル……」


 うわあああ、とポリアンナは泣き出して。

 ラスカル様に抱きついた。


「ラスカルーっ!!」


 そんな彼女を優しく抱いて、背中を撫でてやるラスカル様。


 その姿を見守っていた私たちは、ぼんやりとしちゃった。

 ああ、心に響くわね。なんて美しくて清らかなのかしら。


 ミゲロさんも、ヨシュアも、私も。

 高潔なラスカル様には誰も及ばないんだわ。

 ラスカル様は正真正銘の特別なお人なの。

 天から選ばれたトップスターなのよ。百人に一人、ていう生まれながらのスターなのだから。


「お嬢」


 隣のヨシュアが私と同じく目の前の光景に見惚れながら声をかけてきた。


「オブライエ……ラスカル様ってカッコいいね」


 なによ、今頃ラスカル様の魅力に気がついたの。


「週末にさ……俺にベルばら、全巻貸してくれる?」

「いいわよ」


 あなたにも、やっとあの世界の美しさが理解出来たってわけね。いいわ、今までバカにされた過去は忘れてあげる。仲間に入れてあげるわよ。


「はい、良かった!」


 パン、とユミュール先生がいきなり手を叩いてびっくりするような大きな音を出した。


「うん、なんとも素敵な美談の即興だったね。オブライエン、チェンチ。歌を入れるならここだろうね。なかなかいい出来だったよ」


 一気に場の雰囲気が絶たれたわ。

 ユミュール先生は続けてミゲロさんに顔を向けた。


「君の実力は大学の時から知ってるが、ミゲロ。ちょっと発声が弱いかな。舞台から離れて何年も経つから仕方ないとは思うが信者に説く時に発声は大事だろう。もう少し鍛え直したらどうかな」


 ああ。

 どうしよう。


 ユミュール先生。


 完璧に勘違いして、演劇部顧問として私たちへのダメ出しを真剣に始めちゃったわ。

 どうしたらいいのかしら。


「エインズワース。君は感情がほとばしるようでなかなか良かったよ。でも、観客に伝えるには抑えた演技というのも必要でね。常にハイテンションという演技もあるが、強弱をつけることが出来るようになればもっといいね。初心者には見えなかった。演劇部に入るかい?」


 ちょっと。勧誘されちゃったわよ。


「あー、そしてモリモト。君はどうもニヤけるのがやめられないんだね。シリアスなシーンの時には、それに合った表情をしてほしいな。折角、整った顔をしてるんだ。大日本帝国軍人のような面構えをしてみせろとまでは言わない。少しの間くらい、ニヤけるのを止めることは出来ないかい?」

「いえ、先生。俺ニヤけてません。もともとこれが地顔なんです」


 そうね。

 あなた、小さい時から常にニヤけてるわよね。

 目が一重で細いせいかしら。

 小学校の先生にも、怒られてる時に「怒られてるのにニヤけるな」って更に怒られてたわね。不憫だったわ。


 ユミュール先生の真面目なダメ出しに、私たちはあっけにとられて毒気を抜かれちゃって。

 感情の置き場と、この先の展開をどうすればいいかわからなかったわ。


 その中で一番最初に自分を取り戻したのは、やはりラスカル様だった。


「モリモト」


 抱いていたポリアンナから離れて、床に置いてあった紙袋を持ち上げて。


「お前が置いていった荷物だ。ポリアンナが預かっていたぞ」


 ヨシュアに渡した。

 フリマで買った大きな荷物ね。一体、何が中に入ってるのよ。


「ありがとう、チェンチ委員長」


 大きな紙袋を受け取ったヨシュアはポリアンナに御礼を言った。

 ポリアンナは俯いていたけど、バックに手を入れて可愛い花柄のハンカチを出したわ。

 畳まれていたそれをゆっくり手のひらの上でひらいていく。焦れったい、と思ったら。

 布の真ん中に。

 小さな泥人形が一つ、現れた。


「あなたに。渡すわ。モリモト君」


 本物の。

 ネママイアね。


 私はほっとして胸をなでおろした。

 さあ、あんたがヨシュアに試練をさせてくれれば私は満足よ。やってくれるわよね。

 そうしてくれれば、私がマスカダイン教にお年玉を毎年寄付してあげるわよ。


「ありがとう。委員長」


 ヨシュアが微笑んで手を伸ばした時だったわ。


 何もしないのに。

 ネママイアの泥人形がボロッと砕けた。

 ポリアンナの手のひらの上で。ハンカチの中の泥人形は。

 一瞬で砂となり、さらりとその姿を崩した。


 ちょっと。

 何? 何が起こったの?


 皆が声を失って塵と消えた器を凝視したわ。


 どきん。


 何?


 突然、私は息が出来なくなった。

 途端に、金縛りが起こる。


 やだ、何よ。身体が動かないじゃない。

 私の身体の上から。

 何か巨大なものが覆いかぶさってるよう。


 次の瞬間、ヨシュアが勢いよく私の方を振り向いた。


「……やめろよ」


 何よ、ヨシュア。その怖い顔。

 訳がわからない私は苦しくて声を出そうとしたけど。

 声は出てこず、口を開けただけでヨシュアを見返すことしか出来なかった。


「やめろ! お嬢に入るな……!」


 ヨシュアが私に向かってきた。

 必死のヨシュアの形相に、私はとんでもないことが自分の身に起こるのを予感して、恐怖に震えた。


 やだ、何よこれ。


 悲鳴が喉に張り付く。


 嫌よ、助けて……!


「俺に入れよ馬鹿野郎!」


 ヨシュアが棒のように立ち尽くす私に背を向けてなにか・・・に立ちはだかった直後。


 足下が揺れた。

 地震?


 きゃあ、とポリアンナが叫ぶ声が聞こえる。


 ふいにいきなり大きく揺れて。

 ユミュール先生の後ろにあった大きなステンレス製の棚が。


 倒れた。








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