第30話 ミゲロ
「ミゲロおじ様」
私は姿を現したギョヒョンおばさまの旦那様に驚いた。
教会で何か行事でもしていたのかしら。
すらっとしたミゲロおじ様はマスカダイン教独特のライラック色の丈の長い衣装に、濃い紫の丸い帽子姿だった。
端正な顔立ちの中の憂いを帯びた瞳はびっくりするほど深い青色で、その肌はとても白くてきめ細やか。
ちょっと中性的な美形なのよね。
ギョヒョンおばさまが一目惚れしたのも頷けるわ。
「遅いよ、ミゲロさん」
「これでもとるものもとりあえず出てきたんだ」
ヨシュアの非難するような声にミゲロさんは返してから
「君を巻き込んでしまってすまなかった、ミラルディ。実は犯人がポリアンナ様だということも薄々私は感づいていたのだが。彼女にどうやったら器を返していただけるか考えていたうちにこんなことになってしまって。申し訳ない」
と私に頭を下げた。
「なんだよ、ミゲロさん、気づいてたのかよ」
ヨシュアが毒づく。
「なら早く教えてくれよー。俺たち無駄に犯人探ししちゃったじゃないか」
「てっきり、ユミュール先生という人だと思ったじゃけえ」
「彼は違うと言っただろう!」
ミゲロさんが珍しく厳しい顔で、激昂したから私は少しびっくりした。
あら怖い。こんな顔もする人だったのね。いつも静かで優しい印象だったから面食らっちゃうわ。
「彼と私は大学の同期生だ。彼の人となりは知ってる。そんなことを彼がするわけがない!」
まあ。
ユミュール先生とミゲロおじ様って懇意だったのね。そういえば同じような年齢だわ。
「気持ちはわかりますが、ポリアンナ嬢の疑いをお持ちなら我々に少しでも話して欲しかったですな。ミゲロ殿。ユミュールという教師について報告した我々へのあなたの否定する過剰な態度で、もしやあなたも一枚噛んでいるのではないかと私は少しあなた様を疑ったのですぞ」
少し非難をこめて言うスーゴちゃん。
「すまなかった、スーゴ。私自身も混乱していてね。前任者のイサーク様について調べるうち、彼がオルニオ派だと判明して、この事実をどうするべきか迷っていた。恥ずかしながら本道やオルニオ派の真実の関係も私はそれまで知らなかった。私自身は生まれてからずっと今まで本道の人間なんだ。今まで真実だと思っていた事実が全てひっくり返ったんだ。自らの立ち位置に迷っていた。……だが、決めたよ」
ミゲロおじ様は、私たちの背後を見つめて告げた。
「宗派は関係なく、私自身の考えだ。これまでの過去に我々がオルニオ派について隠蔽してきた歴史を白日に晒そうと思う。そして、火刑に処されたオルニオ派の故人何人かを聖人に推薦したいと思うよ。ギョヒョン」
「あなた」
私が振り返ると、気を失っていたはずのギョヒョンおばさまがそこには立っていた。
「時代はすでに変わってるし、これからはオルニオ派と本道が手をとるべき流れなんだと思う。だから、どうか私に手を貸してくれないかな、ギョヒョン」
ミゲロおじ様の言葉に、おばさまはゆっくりと首を横に振った。
「それはできないわ、あなた」
「私はオルニオ派の人間と繋がりはない。君がいてくれれば」
「違うの。お願い、私とは別れて」
おおっと。
ギョヒョンおばさまの答えに私は動揺して隣のヨシュアを見あげた。
ヨシュアも私を見て、どうするよ、みたいな感じで一重の目を少し見開いてみせる。
そうよね。ここからは二人の大人の話でしょ。第三者の私たち、この場にいない方がいいんじゃないかしら。
そんな私たちの前で二人は私たちの存在を忘れてしまったかのように話を進める。
「ギョヒョン。私は君がオルニオ派と繋がりがあるのを知ったと同時に、その男と会ってたことも知ってたんだ。……もう一度私は君とやり直したいと思っている。君にもその気持ちがあるなら、これからも私と共に居てくれないか」
「よく言うわね、あなた」
ギョヒョンおばさまは、あはは、と声を出して笑った。
それからうっすらと目に涙を光らせて。
さっきと同じ悲しい笑みを浮かべた。
「ねえ、もう演技しないで。お願い。かえって傷ついちゃう」
ミゲロおじ様の頰がこわばったように見えたわ。
「女をまともに愛せないくせに」
「……」
どういうこと?
黙り込むミゲロさんから目を外し、ギョヒョンおばさまは私を見た。
「ミラルディ。こういうことだよ。私も、おばあさまと同じで、ホントに男を見る目がないみたい。だから、前に言った私の言葉、信じなくていいからね。あんたの好きな男、好きなように選びな、ね」
おばさまは私の隣のヨシュアをちらりと見て、私に目を戻し微笑んだ。
「おばさま」
「あたしは島を出る。もう帰ってこないよ。だって、私は追放された災厄女の子孫だからね」
おばさまはミゲロさんを再び見た。
「さようなら、あなた。でも、メールだけは時々出すわ……近況の返事だけはしてちょうだいね」
私はぐ、と胸が詰まった。
一度関係を持った男のことは最後まで責任を持つ。
普通の女なら、別れた男のことなんて振り返らずに、さっさと新しい男に飛び込めるのに。
エインズワース家の女にはそれが出来ないの。
それがエインズワース家の女として生まれたおばさまのけじめなのね。
でも、それじゃ傷はいつまでたってもふさがらない。辛くて悲しすぎるわよ、そんなの。
おばさまは床に転がっている無残に蚊の攻撃を受けたヤドゥンのそばに跪いた。
手加減したわよ、って私の肩に止まっているマドモアゼルが私に囁いたけど。
大量の蚊に刺されれば、失血死も可能、って聞いたことあるわ。大丈夫かしら。
「こういう男こそ、あたしがついてやんなきゃいけないんだろうな」
自嘲するように言って笑うと、おばさまはヤドゥンを抱き起こして自分の肩にヤドゥンの腕をつかまらせた。よかった、ヤドゥンの意識はあるみたいね。
「じゃあね、ミラルディ」
おぼつかない足取りのヤドゥンをギョヒョンおばさまは支えて。
そのまま振り返らずに歩き去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます