第27話 九つの器

 私のジーンズにヤドゥンが手をかけたとき。


『やめろ。愚か者』


 しゃがれた老人のような声が聞こえたわ。


『根拠のない予言に振り回されおって、情けない』


「だれだ!」


 叫んで手を離したヤドゥンに私はそのまま床にへたりこんだ。

 気付いて、次には両手をくくりつけられたパイプ管にあわてて私は抱きついた。

 ガクガク震える身体で私はパイプ菅にしがみつく。

 そうよ、このままここにひっついて。

 絶対にこいつに私を犯させない。


「おい! だれか居るのか!」


 ヤドゥンが声を再度あげる。


『神の声もわからぬのか。愚か者め』


 ヤドゥンも私も、机の上に思わず目をやった。

 そこにはあったはずの泥人形が……今は一体もなかったわ。


 おばさまに目をやるけど、おばさまは机の下で気を失って倒れたままよ。

 一体、だれが。


『吾らは常にそばに居る。器の中だけにとどまらず、お前たち人間どもの傍に常に居るのだ』


 あ。また声が変わった。

 今度は少し高い声よ。キイキイ公園で鳴いているリスに似た声だわ。


 私は声が上から降ってきたような気がして、天井に目をやってみた。

 蜘蛛の巣だらけの廃工場の天井の片隅に黒いものが逆さまにぶら下がっているのが見えた。

 あれってコウモリかしら。


 私はピンときた。

 まだ会ったことがなかったけど、あれはもしかして火の神霊イオヴェズの眷属、コウモリのアッサラフじゃないかしら。

 更に私は目を走らせた。

 空っぽのステンレス棚の上に茶色いものがじっとしているのが目に入ったわ。

 もこもこしたあの感じは愛くるしい系の小動物ね。

 確か、草木の神霊シャンケルの眷属ってムササビだと言ってなかったっけ。

 じゃあ、きっとあれがそのスーリネというムササビね。


 考えていたら、つー、と大きな黒い毛だらけの八本足が目の前に下りてきたものだから、私は悲鳴をあげそうになった。


『よう、嬢ちゃん。もう大丈夫だぜ。安心しな』


 押し殺した声で囁いたのは蜘蛛のイチローさん!

 緑色に金属的に輝いている八つの目はおぞましかったけど、私は安堵のあまり体の力が抜けちゃった。


 プーン。

 ……ああ。

 いつもは耳障りなモスキート音も今の私にとっては天使の歌声に聞こえるわ。


『よかったわ、間に合って。あなたみたいなまな板にも欲情するなんて、あの男、筋金入りの変態ロリ男ね。絶対、余罪があるわよ』


 マドモアゼル嬢の悪気のない暴言も今の私にはちっとも気にならないわ。


 みんなが助けに来てくれたのね!


「神霊……さま、であられるのですか?」


 ヤドゥンは疑いながらも、どこに向けていいかわからないように人気のない空間に声をかけた。

 ヤドゥンは眷属の存在を知らないのかもしれない。動物や虫が言葉を話せるということも。


『まさしく。吾は神霊ミュナである』


 あ、この声はスーゴちゃんだわ。この部屋のどこかにいるのね。


『オイ……吾は神霊チム=レサじゃあ』


 アルバトロス。


『吾は神霊フラサオ』


 可愛い声はイシガメのかめ吉……じゃない、ポフィ君ね。


『げほっ……わ、われは……神霊ヲン=フドワ』


 きゃー、無理しないでいいわよ! カタツムリのナギニーユちゃん。


『神霊イオヴェズ』

『神霊シャンケル』

『神霊クヴォニス』

『神霊ユシャワティン』


 コウモリのアッサラフ、ムササビのスーリネ、蜘蛛のイチロー、蚊のマドモアゼルが次々に名乗った。


 間を置いて、最後に。


『そして、吾がお主の求める神霊ネママイアじゃ』


 ひいいい!

 ミッキーマウスの裏声!


 声と共に、横に倒れたステンレス製の整理棚の向こうに一体のマネキンがゆらりと立つのが見えた。


「ネ、ネママイア様! もしやもう、その人形の中にお入りに!」


 ヤドゥンのショックをうけたような声が響く。


『たわけ。逸るでない。この人形はとりあえずの仮のやしろである』


 ヤドゥンに冷たく気持ち悪い裏声で答えるネママイア。


 そのマネキンはなぜか口がおかしかった。

 異様に口が大きくてぱっくり穴が開いていたの。

 こんなマネキン見たことないわ。

 ……とそこまで考えた私はやっとそこで気が付いた。


 ちがうわよ、これ、マネキンじゃない。

 気付いた瞬間、私は身体中が総毛立った。


 てっきり部屋の中にある人形すべてをショーウィンドー用のマネキンだと私は今の今まで思い込んでいたわ。

 ちがう。

 よく見れば、異様に胸が大きい女性型人形しかいない。

 じゃあ、あの人形も、さっき私が突っ込んだ人形たちも、足元の人形も……。


 いやああああ!

 ここってそういう人形を作る工場だったの!?


『おぬしが真に吾の器にふさわしい男か見定めたい。お前、吾の傍に来い』


 ネママイアを騙る男性専用人形はヤドゥンに話し続けた。


 どうでもいいけどアイツ、ノリノリね。腹話術じゃないけど、こんな才能があったの?


「ネママイア様」


 ヤドゥンは信じたみたい。ふらふらと忌まわしい人形に近づいて行き、膝を床について頭を下げた。


「偉大なる暗黒神ネママイア女神よ。長い年月の間、お待ち申し上げておりました。我身をあなた様に捧げとうございます。どうすれば私のもとへ降りて来てくださるのでしょうか」

『試練をお前に与える』

「試練?」

『そうじゃ。吾を抱いてみせよ』


 ……ちょっと。やめなさいよ。


私は吹きそうになるのをすんででこらえた。


 ヤドゥンはネママイアの言葉に絶句した。そりゃ、そうよね。


「……い、今のあなた様の御身を私に抱け、とお、おっしゃるのですか?」


 動揺しつつも、しばらくしてヤドゥンはやっとのこと口を開いて聞き返す。


『そうだ』

「あ、あの。女を抱くように?」

『それ以外に他の意味があるのか。吾は快楽の女神、夜の女王様、暗黒神ネママイア。吾を満足させたならば、お前を器として認め、お前の身体に降りる』


 やめなさいってば。幾ら何でもふざけすぎでしょ。

 あきれかけた私の前で


「わ、分かりました」


 でも、ヤドゥンはそう答えた。

 

 嘘! 信じたの!? おかしいんじゃない!?


 狂信的な信者ってこういうところがあるわよね。常識的に考えればおかしいことをおかしいと思わないのよね。


 立ち上がり近づくヤドゥンにネママイアが囁く。


『そうよ、来て……こっちに……欲しいの……あなたが……』


 やめて!

 こんなことにそんな声でそんな人形で熱演しないで!


「ネママイア様」

『こっちに……もっと、ちこう……』


 ネママイアまであと一歩、というところで。

 ヤドゥンに手を差し伸べていたネママイアの片腕がもげたかと思うと。

 次の瞬間にはヤドゥンの股間にその片腕がめり込んでた。








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