第26話 ヤドゥン

「それより儀式をさっさと始めたら。早くこの子のボーイフレンドを救ってやらなきゃ」


 ギョヒョンおばさまはさっきまでが噓のようにきりっと表情を切り替えると、硬い声で隣のヤドゥンに言った。


「さっさとそのへんの人形にでもネママイアを乗り移らせましょ」


 え?


 私は言葉を聞いて面食らった。


 マネキンを器にするの? 

 今までどおりに人形から人形へ?

 てっきり、私は人間に器をさせるのだと思っていたのだけれど。


「どういうこと? 何をする気なの、おばさま」

「何って、予言通りだよ」


 おばさまは私にため息をついて答えた。


「あのねえ、ミラルディ。ほとんどの人が勘違いしてるようだけれど。本当のオルニオ派の予言は違うんだよ。ドラゴンボールをパクったような予言はマスカダイン教の本道の奴らの方が作り出したデマなの。本当の予言……ていうのかな。オルニオ派に伝わる本来の言い伝えはこう。

『ネママイアの代替わりの時期、九つの器を集め儀式を行うならば悪魔が産まれ、世界は終焉を迎えるであろう』

 オルニオ派は代々、悪魔誕生を阻止してきたの。本道の奴らはネママイアの器になった絶対的な超人が欲しかったんだよね。多分、超人を使って世界征服でもしたかったんじゃないの。毎回それを邪魔してきたのがオルニオ派の信者なの。超人なんて禍のもとにしかならないもの。エインズワース家のわたしたちなら身を以てよくわかるでしょ」


 おばさまの言葉に私は目をぱちくりさせた。


「実際、現在の本道の神官や信者の人たちが今もそんなこと思ってるのかなんてわからないけどさ。ミゲロさんを見てても、実のところ、予言の真実やオルニオ派や本道の本当の関係を知らないんじゃないかなと思うけど。多分、マスカダイン教はこれから失われていく宗教だよ。それで良いんだと思うけど」

「ええと。じゃあ、こういうわけ?」


 私は頭を整理するためにおばさまに聞き直した。


「オルニオ派って悪者じゃなくて。毎回、代替わりの時期に平和を守るためにネママイアを人形から人形へと入れ替えてきたってわけね。今回もそうしようとしているだけなのね?」

「そうだよ」


 なんだ。

 拍子抜けしちゃったじゃない。


「じゃあ、早く移し替えちゃって。おばさま。問題なしよ」

「そのつもりだよ……っていっても、あたしもどうやったらいいかわかんないんだけどね。ヤドゥン。あんたが知ってるでしょ」


 ヤドゥンは机の上に九体の人形が並んでいるのを眺めていた。


「本来、必要なのはネママイアの器だけで他の神霊の器はいらなかったはずなんだけどね。イサークさんがボケちゃってたのか、九体全部集めちゃってたみたいだからさ。また各地に他の神霊の器を返しに行かなきゃならないって話だよ。全く手間のかかる。……ちょっと、聞いてるの? ヤドゥン」


 ヤドゥンは人形から目を離さない。

 おばさまの声が聞こえてないのかしら。ぼんやりしちゃって。

 ああ、仕事が出来ない感じ。

 うだつの上がらない男ってこういう特徴があるのね。覚えておくわ。


「ヤドゥンってば。なに、ぼんやりしてるの」


 私がそんなヤドゥンにイラっとしたとき、ヤドゥンの酷薄そうな薄い唇の端がゆっくりともち上がるのが見えた。


「冗談だろ、ギョヒョン。ここまで舞台がそろってるっていうのに。宝の山が目の前にあるってのにおかしいんじゃないか?」


 なに。

 私は寒気がした。

 私がヤドゥンを見ると、まだヤドゥンは人形をみつめたまま微笑んでいたわ。

 でも、さっきまでのヤドゥンとはなにかが違った。


「なに、言ってんのよ、ヤドゥン。冗談よして。器が揃ってるのを見たら欲が湧いてきたって? 神霊様のケに当てられた? あはは、ウソ、あんたそんなタマじゃないでしょ」

「本当に好都合だよ。あとは処女の生贄が必要だったんだが。お前が何もかも用意してくれた。まさにお前は幸運の女神ってわけだな」


 ヤドゥンは顔をあげてにっこりと私たちに笑った。


 ごくっ。


 私は唾を飲み込んだ。


 なに。怖い。


 さっきまでの野卑だけど情けなさそうで、惜しいけれど残念な感じは今のヤドゥンにはどこにもなかった。

 そこに居た男はなにかがぬぐい取られたように、強くて、禍々しくて、それでいて少し神々しかった。


 これが。

 きっと本当のヤドゥン。


 今までの姿は演技だった。

 私はそんな気がした。


「ちょっとヤドゥン」

「お前はしっかりしてそうで、抜けてるよな。ギョヒョン。そこに可愛げがあったぜ」


 彼の整った顔も、金髪も。笑顔もとても美しかったわ。

 その目は根拠のない自信に満ちていて、誇らしげに輝いていた。


 あの目だわ。

 私は見覚えのあるその目に身体の奥がひやりとした。

 昼間、ロウレンティア神殿の資料館で見た、オルニオ派に火あぶりを命じていた蝋人形と同じ。

 ワノトギに火刑を命じながら、きらきらと目を輝かせて誇らしげに笑みを浮かべていたあの女神官と。


「オルニオ派のイサーク爺さんがマスカダイン教会に潜入してたのと同じように、本道の人間もオルニオ派にもぐりこんでたんだよ。あはは、お互い様だな。考えることは同じってわけだ」

「ヤドゥン……何、言ってるの」

「それが俺の爺さんだったんだよ。そしてそんな俺の爺さんに惚れてオルニオ派に傾倒して、同じくこの島を九十年前に追い出された馬鹿女がお前の婆さんなんだよ、ギョヒョン。知らなかったのか」


 ヤドゥンの目は冷たく唇は歪んでいて、おばさまを軽蔑していた。


「お前の頭と尻の軽さは婆さん譲りなんだな、ギョヒョン。お前の婆さんはお前よりも更に口も軽かったようだが。俺の爺さんからお前の一族の秘密は聞いてるぜ。あいにく、爺さんも俺もお前の一族の恩恵には預かれなくて残念だった……と思ってたんだが。こうなると俺の場合は話は違ってくるな。今からが俺の人生の始まりってわけだ」


 ギョヒョンおばさまはヤドゥンが言い終わるよりも先に素早く手を伸ばして机の上の人形を取ろうとした。

 ヤドゥンはそれを予想していたのか、おばさまの手をつかんでひねり上げた。


「いたっ!」

「馬鹿女が。お前の考えることはわかる」

「ミラルディ、逃げて!」


 叫ぶおばさまを捕まえて、ヤドゥンはおばさまの首を押さえた。

 数秒後、おばさまは声もなく、そのまま気を失ったのか、崩れ落ちる。


「おばさま!?」


 何をしたの?

 柔道部だった子が部活中に頸動脈を押さえられて気を失ったことがあったけど。あれかしら。

 やだ。この男、こんなことに慣れてるんだわ。訓練を受けたみたいに。

 祖父の代からのマスカダイン教本道のスパイだったのよ。こいつ。


 床に倒れたおばさまを確認すると、ヤドゥンは私の方を向いた。

 怖い。

 まるでモノでも見るような目つき。


「おい、お前は中学生だろ。もちろん処女だよな」


 本能的に。

 もちろん私は身を翻らせて逃げ出した。


 でも。

 もちろん逃げ出せるわけはなく。


 たやすく私はヤドゥンに後ろから取り押さえられる。

 おばさまと同じようにヤドゥンは私の首に手を伸ばそうとした。


 首を押さえられたら、ダメ!


 私は必死にもがきながら肩をすくめて、ヤドゥンの手から逃れようとする。


 抵抗する私に、ち、とヤドゥンが舌打ちする音が聞こえたかと思うと、私はいきなり投げ飛ばされた。

 重ねてあったマネキン人形たちの山に放り投げられた私は派手な音を立てて、それらに突っ込む。


 全身が痛い。

 衝撃でくらくらして一瞬身動きが取れなかった私の両手をヤドゥンが素早く掴み上げて、自らのベルトを外し、絡ませた。


「ギョヒョンより賢い子だな。気を失ったほうが楽だろうに。まあ、そっちが希望なら俺も付き合ってやるさ」

「放して!」

「人間を器にする儀式には処女の破瓜の血が必要なんだってよ。文献にそう書いてある」


 ヤドゥンはベルトごと私を引きずると、無理矢理に工場のパイプ管へとつないだ。


「『処女の破瓜の血を纏いし者、暗黒の女神ネママイアがその身に下り立つであろう』。マスカダイン教の救世主の誕生に一役買えるんだ。お前も光栄だろう」


 私は目の前で繋がれた両手を力いっぱい動かしたけれど、ベルトが私の手首の肌を無情にこするだけだった。


 嘘。

 いやよ。


「ギョヒョンと同じでお前も抱かれた男をアゲる血筋なんだろうが。その血筋の女を二人も抱いたなんて男は俺ぐらいなんじゃないか」


 軽く笑いながら言って、私の頭を上から押さえつけ、腰を引き寄せるヤドゥン。

 腰に回るヤドゥンの手と。後ろで押し付けられたヤドゥンの腰に。

 私は嫌悪感と恐怖で青ざめた。


 いやよ、これって。

 あれと同じじゃない。


 私は私のおばあ様から小さいときに聞いた話を思い出した。


 モンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンは。

 征服した先の女たちを老女も子供も尻を出して、木にくくりつけて。

 片っ端から犯していったのよ。

 その中に私の先祖、エインズワース家の女がいたのよ。


 その話を聞いた時、私は悔しくて悲しくて泣いた。

 自分を手籠めにした男が世界の覇者になるなんて。

 私の先祖の女たちはどんな気持ちだったかしら。

 秦の始皇帝も。アレキサンダー大王も。

 教科書に載ってるだけで英雄なんかじゃない。

 みんな最低な男たちよ。


 それと同じじゃない。


 いやよ。

 絶対にいやよ!








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る