第25話 カタツムリのナギニーユ

 私は思い出した。

 この子がもしかして、アレじゃないかしら。

 神霊の器とともに行方不明になっていた、風の神霊ヲン=フドワの眷属よ。


 私は靴紐を結び直すフリをしてそっと手の中にそのカタツムリを拾い上げた。

 泥人形にひっついていたのかしら。

 人形とおんなじような色の殻してるから、今まで気がつかれなかったのかも。


 ギョヒョンおばさまが隣の男と器を机に並べて話し始めたから、私は髪の毛を整えるフリをして手の中のカタツムリを耳に近づけた。


「ねえ、あなた、ヲン=フドワの眷属のナギニーユでしょ」

「……」


 囁いてみたけど、殻の中のカタツムリは答えない。


 警戒してるのかしら。それとも普通のカタツムリなのかしら。

 眷属は神官としか話さないという決まりを守っているのかもしれないわね。


「大丈夫よ。眷属のスーゴちゃんとアルバトロスから話は聞いてるわ。私はミラルディ」

「……スーゴとアルバトロスをご存知なの?」


 か細い声が聞こえた。


「やっぱり。今まで器をよく守ってくれたわね。ナギニーユ。ありがとう」

「申し訳ないわ。ヲン=フドワ様の器の一部のフリをしていたのだけれど。逃げ出す機会が無くて。私が早く逃げ出せていたらみんなに器の場所を知らせることが出来たのに」


 どうやらナギニーユは女のコみたいね。

 でも、すごく弱々しい感じ。大丈夫かしら。


「ポーチの中に閉じ込められてたんでしょ。逃げ出すなんて無理よ。気にしなくていいわ。それより元気がないけど平気なの?」

「ずっと飲まず食わずなの。今にも気を失いそうなほどよ」

「可哀想に。もう少し我慢してて。キャベツの葉っぱをたくさんあとであげるわ」


 隣のヨシュアのお家はお好み焼き屋さんだもの。一番外側の葉っぱならいつでもいっぱいあるわよ。


「あの女のコ、勘違いしてるの。真相を教えてあげたかったけど、話していいものか判断がつきかねて。でもこんなことになるのだったらば、話せばよかったわ」

「女のコってポリアンナのこと? 真相ってなんなの」


「こら、お前! 何を口を動かしている! 隠しマイクでも持ってるのか?」


 おばさまと話していた金髪の男が私に気づいて近づき、ナギニーユを持っている手をつかんだ。


「いたっ!」

「ちょっと乱暴はやめて、ヤドゥン! あたしの親戚だよ!」


 おばさまが怒鳴った。

 あたしは手を掴まれた瞬間、とっさに手の中のナギニーユを放した。ナギニーユは音もなくころころ転がって部屋の隅に行っちゃった。今回も幸いに小さいカタツムリのナギニーユは気づかれなかったみたい。


「マイクなんて持ってないわよ! 私は警察でもなんでもないんだから!」


 あたしは手首をつかまれたまま、目の前のヤドゥンという大人の男をにらみあげた。

 やっぱり嫌な感じの男だわ。

 顔も綺麗で、スタイルもいいけど、野卑な感じが隠せない。

 昔の男だか、オルニオ派だかなんだか知らないけど、素敵な旦那様のミゲロ叔父様に内緒でこんな男と会ってるなんて。おばさまが分かんない。


「おばさま、もしかしてミゲロおじ様に近づいたのは、彼の……オルニオ派のためなの?」


 ヤドゥンからギョヒョンおばさまに視線を移して疑って睨みつけたあたしに、おばさまは目を見開いたあと、微笑んだ。


「全然違うよ、ミラルディ。ヤドゥンと別れてこの島に来たあたしが、ただあの人に一目ぼれしただけ」

「まあ、でも好都合だったな。お前が、教会のナンバー2の男と結婚してたのは。お前が連絡をくれたときは嬉しかったぜ」


 バカね。おばさまと結婚したからこそ、ミゲロ叔父様はナンバー2まで出世したのよ。分かってないわね。


 ヤドゥンの言葉に私は心の中でつっこむ。

 そんな私のことはつゆ知らず、ヤドゥンは続けた。


「お前と別れてから、俺は何もかも全て上手くいかなくなって。ギョヒョン。お前と居た時が一番波に乗ってたよ。お前と別れるんじゃなかった。お前が運をいつも運んでくれるんだ、俺に。今回だって」


 うわあ。

 私は『超稀少例』の男を目の当たりにして驚いて目を見張っちゃった。


 このヤドゥンという男、まれに見るどうしようもない男なんだわ。


 普通、エインズワース家の女と関係した男は、別れたとしてもその後も出世の道を歩み続けるわ。

 そうならなかったというのなら、この男自身があまりにも悪すぎて、エインズワース家の力も及ばなかったということよ。


 栄光の男の歴史を数々作ってきたエインズワース家の女の力をもってしても、鳴かず飛ばずの男が極たまに存在すると聞いたことがある。

 彼らのような男は正真正銘、器が超小さくて運の悪い星の下に生まれてるのよ。

 お気の毒だから、そういう男こそ、エインズワース家の女が関係を持ってやるのがいいのでしょうけれども。

 やっぱり、そんな男になるだけの理由があるものだから、普通の女もエインズワース家の女も、結局は男を捨てちゃうのよね。


「あんな男と別れて、俺のところに戻って来いよ。ギョヒョン。俺たち体の相性は良かっただろ」


 ちょっと。中坊のあたしの前でそんな会話はやめて。


「おばさま。どうして」


 私は非難を込めてギョヒョンおばさまを見た。


 あんなにミゲロおじ様のことが好きだったでしょ。あんなに幸せそうだったのに。どうして、こんなミゲロおじ様を裏切るようなこと。


 おばさまは悲しそうに目を細めて。

 私に笑った。


 どきっ。

 なんなの。その、なんともいえない悲しい微笑み。


「大人のジジョーってやつだね、ミラルディ」


 おばさまの表情にあたしはなんにも言えなくなってしまった。



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