第17話 秘伝のおかゆ

 その日、ヨシュアが早退して。

 授業が終わった放課後、学校の門から出たら。


「やっほー、ミラルディ。ついでだから迎えに来たよ」


 ギョヒョンおばさまの真っ赤な車がそこには待ち構えていた。

 おばさまは今日はゼブラ柄のワンピースを着ている。

 うわあ、目立つわね。車もおばさまも。


「乗りな、乗りな」

「ありがとう」


 私は早速、みんなの視線を浴びながらおばさまの車に乗り込んだ。


「明日のお願いを聞いてくれてありがとう、おばさま」

「ううん、私も楽しみ。ロウレンティアの山登りはまだ行ったことがないからさ。声をかけてくれてありがとうね」


 ギョヒョンおばさまがはしゃいだ声をあげたから、私はホッとした。

 明日の資料博物館に行くために、ギョヒョンおばさまに車を出して欲しい、と頼んだの。おばさまは快く承諾してくれた。

 実は私のパパ、車を持ってないのよね。

 ペーパードライバーなの。

 もちろんヨシュアのお母さんは車なんて持ってないし。


「隣の男の子も来るんだろ? いいね、保護者付きのデートだ。それなら安全だ。認めるよ」

「……そんなつもりじゃないんだけど。えーとね、その子の飼ってる猫と犬も一緒に乗せて連れて行ってもいい?」

「いいよ。最後、毛を掃除してくれるんならね」


 ギョヒョンおばさまはウキウキ言いながら、サングラスをかけると車を発進させた。


「ねえ、これから特製のお粥、家で作ろうと思ってんの。あんたも一緒に作る? ミラルディ」

「お粥?」

「後部座席を見てみな」


 私が目をやると、後ろの席にはビニール袋に入った色々な食材が見えた。妙なにおいもするわ。

 見慣れないものばかりね。なんだかパッケージに難しい漢字が書いてある。これって漢方薬?


「私の韓国のおばあさまから教えてもらった秘伝のお粥なの。中華料理食材店で材料、全部買い揃えたんだよ。すっごく男の人を元気にさせるお粥。良くきいて、味もいいんだよ。あんたにも教えてあげる」

「元気にさせる?」

「ドラッグストアに売ってる栄養ドリンクより全然きくよ。すごいんだから」


 滋養強壮、疲労回復、ってことかしら。


「それ、少し貰ってもいい?」

「お父さんにかい? あんたのお父さん、やもめだけどねえ。まあ、いっか。あの人、いつも弱々しい感じだもんねえ。うん。持って帰って食べさせてやりなよ」

「ありがとう」


 ヨシュアに食べさせたら、ちょうどいいかもしれないわ。


「ダーリンがね、元気がないの。最近、しょぼくれちゃってさ。円形脱毛ハゲ、あるって話したよね。ストレスが多いのかなあ」


 ギョヒョンおばさまはハンドルを切りながら、話し続ける。


「まだ、新婚だからね。もっと仲良くしたいじゃない」

「素敵ね」


 本当にミゲロおじさまが好きなのね。

 ギョヒョンおばさまの明るい声を聞きながら、私はうらやましく思った。

 ミゲロおじさまは上品な美男子なのよ。

 ギョヒョンおばさまが一目惚れして。猛烈なアタックでおじさまを手に入れたの。

 大好きな人と結婚できて、本当にギョヒョンおばさまは幸せそう。


 こんなのを見れば、ミゲロおじさまが罷免になる事態はやっぱり避けてあげたいと思うわよね。


 私はそれからギョヒョンおばさまの家のキッチンでおばさまを手伝って、薬膳粥を作った。

 器に入れたそれを、帰りにヨシュアの家に寄って、ヨシュアに食べさせるようにおばさんに言って渡した。



 * * *




 次の日。

 目覚めて朝ご飯を食べると。

 私は動きやすいよう、チェックのシャツとジーンズに着替えて、髪を三つ編みおさげにし、ヨシュアを迎えにお隣さんに行った。


 にゃーご。

 ドア前で待ち構えていたスーゴちゃんがなんだか物悲しそうに鳴いたわ。

 隣のアルバトロスもはしゃいで飛びかかることはなく、座って私を見つめるだけだった。


 どうしたの? いつもと違うわね。


「ミラルディちゃん」


 ヨシュアのお母さんのアガニが出てきて、すまなそうに私に言ったわ。


「ごめんね。あの子、なんだか具合が悪いのか布団から出てこようとしないのよ。今日は行かないって」


 具合が悪い?


「おばさん。ちょっとヨシュアと話していい?」


 心配になった私は、中に入れてもらった。

 階段を上り、ノックして部屋に入ると、ヨシュアはベッドに横向きで背中を丸めていたわ。


「お嬢」


 潤んだようなヨシュアの目が私を見た。


「ヨシュア、熱でもあるの?」


 顔が赤いわ。


「ねえ、お嬢……昨日、俺に何を食べさせたの」


 ヨシュアの声は弱々しい。


「ええ? お粥のこと?」

「うん、あの材料何……」

「漢方よ。冬虫夏草と高麗人参と、なんだっけ、蛇の粉とか、なんかのキノコだとか、鹿の角とか、オットセイとか……」


 言いながら、ヨシュアの瞳が絶望的な色に染まるのを見て、私も気付いた。


「俺……ミミズ腫れの場所、言ったよね……」


 涙目のヨシュアに、私は自分のしでかした恐ろしい過ちに声を失う。


 そんな。


「ごめん……なさい」


 私はなんてことをしてしまったの。


「悪いと思うなら、鎮痛剤、母さんからもらってきて。下から氷水も。袋に入れて」


 ヨシュアは寝返って背中を向けた。


「わかったわ」


 涙声で私は答えた。


「そして……俺を一人にして」

「わかった……」


 私は回れ右して、部屋を出、階段を下りた。


「おばさん、氷水ちょうだいね。そして、ヨシュアに痛み止めの薬、あげて」


 ひっく、ひっく、としゃくりあげながら冷凍庫を開ける私に、おばさんは驚いたみたい。


「どうしたの」

「なんでもないわ」


 氷水を袋に入れて私は再び階段を上る。

 ドアを開けて、ベッド前に私は氷水を置くと、ヨシュアに言った。


「本当にごめんなさい」


 ヨシュアは後ろを向いたまま、答えなかった。

 私がヨシュアの家を出ると、前にギョヒョンおばさまの車が止まっていた。


「おはよう、ミラルディ! あの子は?」


 おばさまが運転席から顔をのぞかせて元気に手を振る。


「具合が悪くて行けないの」


 私の沈んだ声と涙ぐんだ目に気付いたおばさまはそれ以上、聞かなかったわ。


「……そう、乗りな」


 後部座席のドアを開けて、待ち構えていたスーゴちゃんとアルバトロスを乗せて。

 私は助手席に乗り込む。


 最低だわ、私。

 女の子だから予想がつかなかった、てのは言い訳にならないわよね。


 ヨシュアの顔を思い浮かべて、私は涙がこぼれそうになるのを必死で我慢した。









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