第15話 イチローとマドモアゼルとポフィ

 私は大声で叫んだ。

 私は、蜘蛛が大っ嫌いなの!


「ミラルディ? どうした?」


 私の悲鳴に地下の工房からパパの声がした。


「クモっ……」


 私が答えようとしたら、ヨシュアが目で合図した。


「な、なんでもないわ、パパ。ゴキブリが出ただけ。ヨシュアに退治してもらう」

「そうか」


 私がパパに大きな声でそう返事すると、目の前の蜘蛛はこれみよがしに空中で上下してみせた。


「女子供はこれだからいけねえや。ぎゃあぎゃあうるさくてかなわねえ」

「いきなりおどろかすからでしょ!」


 私は彼の正体がわかった。

 アルバトロスが言ってた、イチさんとかいう眷属のうちの一匹よ。

 半冬眠とかで、器が入れ代わったことに気が付かなかった眷属ね。


「なによ、眷属って虫もいるの?」

「おうおうおう、聞き捨てならねえな。虫じゃいけねえってのかよ。俺は「神霊クヴォニス」様の眷属よ。蜘蛛ってのは、古代クヴォニスの器様がひとしおに愛した愛玩動物ってのを知らねえのかよ」


 言いながら、目の前の蜘蛛――イチローは毛の生えた足を何本か振り上げて見せた。

 ひいいい。

 気持ち悪い。

 ぞわぞわする悪寒を我慢しながら、私は目の前のイチローを観察した。

 手のひらぐらいの大きな手足の長い蜘蛛よ。歩き回ってるアシダカグモとよく似てるけど、糸をだしてるから違う種類なのかしら。八個ある目は緑色に金属的に輝いている。


「昨日言ってた他の眷属。お嬢に紹介しておこうと思って連れて来たんだ。「土の神霊クヴォニス」の眷属、イチロー」

「よ、よろしく」


 私は鳥肌のたった二の腕を撫でながら、挨拶した。


「実は、お嬢には言ってなかったけど、前からイチローはお嬢の家にお世話になってるんだ」

「は?」

「俺の子孫たちを置く宿が欲しかったのよ。でも、ヨシュア坊の家は飲食店だろ。息子たちがちらりとでも店の客の目に入っちまったらエライことになるからよ。だから嬢ちゃんの屋根裏部屋をお借りしてるぜ」


 はあああ?


「なによ、勝手に! 断りもなく」

「知らなきゃ知らないままのほうがいいかな、と思って」

「普通、嬢ちゃんみたいな女の子は俺らのことを嫌がるだろうが。なら、だまって借りるほうがいいかとヨシュア坊と話したんだよ。知らぬが仏、ってやつだ」

「お嬢も眷属のこと知っちゃったからさ。スーゴが話しておいた方がいいって言うから。でも俺はやめた方がいいと思ったんだけどなあ」


 屋根裏部屋は私の部屋の上にあるわ。


「な、何匹ぐらいいるの」

「ざっと五千万匹かな」


 いやああああああああああああ!!!


 私の頭の上に蜘蛛がわさわさ敷き詰められているなんて!


「なんで黙っておいてくれなかったのよ!」

「ほら、やっぱりそうだろ」

「嬢ちゃん、心配はいらねえぜ。俺の子供たちはちゃんとしつけてある。便所は外でちゃんとする。家の害虫はやつらが掃除してくれるぜ。安心しな」

「そういう問題じゃないわよ!」


 気持ち悪い! ベッドに寝ころんで天井を見るたびに想像しちゃうじゃない!


『肝っ玉の小さい女ねえ。ションベン臭い女ってだから嫌いよ』


 嫌な耳障りの声がしたわ。

 プーーーーン。

 不快なモスキート音。

 耳のそばで聞こえたそれに、私は思わず手で振り払った。


「ちょっと! 乱暴な女ね! つぶれちゃうところでしょ!」


 キャンキャン言いながら、その女はふらふらと飛び、ヨシュアが差し出した手の甲に止まった。


「お嬢。このひとはマドモアゼル」

「ヨシュア君の汗のにおい……好みだわ」


 蚊?

 私はヨシュアの手の甲にゆっくりと顔を近づける。

 大きな薄褐色の身体。こんな大きさの蚊なんて見たことないわ。化け物みたい。

 やだ、血を吸うのかしら。


「この間、ドバーっと出産を終えたばかりよ。血は今は吸わない」


 私の心の声が聞こえたかのように彼女は答えた。


「子供がいるのに、マドモアゼルなの?」

「うるさいわね。女はいつでもマドモアゼルなのよ」


 マドモアゼルは高い声でそう返す。


「ねえ、それよりあなた、もう中学生なんだから女らしく身体の処置をしなさいよ。まだ子供だからって、気を抜きすぎじゃない? 見えてるわよ、そのわきの下のボーボー」


 カッ、と私は赤くなった。部屋着としてタンクトップの上にパーカーを羽織っていた私はあわてて前を合わせてファスナーをあげた。

 な、なによ。ボーボーってほどでも無いでしょ。今晩、シャワーの時に剃ろうと思ってたのよ!


「女のコってたいへんだねえ」


 ヨシュアが私を見てニヤニヤ笑う。


「私は『金の神霊ユシャワティン』様の眷属、カ・マドモアゼル。よろしくね」

「よ、よろしく。ミラルディよ」

「それで、これがカメきち


 ヨシュアが手に蚊を乗せたまま、足元を見下ろした。


「いえ、ヨシュアさん。ポフィです」


 ちょこちょこ、とリビングの床の上を小さなイシガメが滑りながら歩いてきた。


「僕の名前はポフィカント」


 可愛らしい声でイシガメは訂正すると、首を伸ばして私を見上げた。


「初めまして。ミラルディさん」

「初めまして。ポフィカントくん」


 この子が今日知り合った眷属では一番マシだわ。


「カメ吉は「水の神霊フラサオ」の眷属。足が遅いからさ、ヒヤシンス神殿を出て、やっと今日きたところ」

「ヨシュアさん、僕の名前はポフィカント、です」

「うん。カメ吉」


 性格、悪っ。

 私はあきれてヨシュアを見た。

 ヨシュアはこの子のことを気に入ったんだわ。こいつ、こういう可愛いもの好きだもの。

 昔、そういえば、「カメ吉」っていう名前の亀をこいつ飼ってたわよね。


「ポフィカントです。ポフィ、とお呼びを」


 そんなヨシュアに辛抱強く、穏やかな声でポフィくんは繰り返した。

 あら、ポフィ君も負けてないわね。


「あとは、「火の神霊イオヴェズ」の眷属がコウモリのアッサラフ。「草木の神霊シャンケル」の眷属がムササビのスーリネ。この二匹は夜行性だからさ。また、いつか夜にでも紹介するよ。そして、今、行方不明になっているのが「風の神霊ヲン=フドワ」の」

「待って、私に当てさせて!」


 私はヨシュアの言葉を遮った。

 わくわくしながら、自信をもって答える。


「風の神霊だから、鳥? でしょう? ちがう? 人形も鳥の羽だし!」

「ううん。カタツムリ、のナギニーユ」


 かたつむり?!


 意表をついた答えに私は唖然とした。


「あさはかねえ。風イコール鳥、なんて」


 マドモアゼルのバカにした声がする。


「あとは、「神霊ネママイア」の眷属でアオダイショウが居たそうなんだけど。二年前に車で轢かれたんだって」


 死んだ眷属がへび。


 私はヨシュアの言葉にホッとした。

 良かった。私、この世でへびが一番嫌いなの。

 居たら、卒倒してたところよ。


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