第5話 おしおき

「わざとでしょ、あなた」


 放課後。

 夕陽の差し込むがらんとした教室で。


 私は罰として椅子に座り、せっせと印刷物を二つ折りにする隣のヨシュアに言った。

 結局、ヨシュアは授業の最後に、演劇部の顧問であるユミュール先生から

「モリモト君。少し頼みたいことがあるのだけどいいかな」

 と優しいお言葉とお仕事をもらった。


「だってあの先生、すごく真面目過ぎるからさ」


 ヨシュアは片眉をあげてこっちを見る。

 ちょっと、日本人のくせにどうして片眉をあげるなんて芸当がそんなにきれいに出来るのよ。

 なかなかできないはずでしょう?

 ちなみに私はできないわよ。


「先生をからかうんじゃないわよ」


 下ネタ大魔人が。

 あんたのせいで、クラスの女子は「日本人の男イコール下ネタ大好き」て思い始めてるんですからね。変な印象、同じ民族につけるんじゃないわよ。


 私は呆れて、小さくため息をついた。


 わかってるのよ。

 あんた、ユミュール先生が好きなのよね。

 構ってほしいんでしょ。


 ヨシュアは自分のお父さんを小さいころに亡くしている。

 そのお父さんはユミュール先生にすごく似ていた。

 写真で見る限りでは、顔も、雰囲気も。


 ただの構ってちゃん、なのよね。こいつ。

 ファザコンが。

 目をつけられたユミュール先生も気の毒よ。


 私は席を立って、ヨシュアの前の席に移動し、机をヨシュアの机とくっつけた。

 遊ばせていた髪をまとめて、後ろでゴムでひっつめる。

 私の髪ってめちゃくちゃ多いの。茶色で癖っ毛で。


「手伝ってあげるわよ」


 私はヨシュアの机にのっている紙の山を半分とった。

 こんな古典的な罰。いまどき、あるのね。


「ありがとう」


 ヨシュアは言って小さく笑った。

 それだけでヨシュアの一重の目はほとんどがなくなる。

 もっと笑うと消えちゃうわ。

 それがいいよね、って女の子の誰かが言ってた。

 めったに笑わないけどね。


 ヨシュアへの罰とされたのは「演劇部の台本を綴じること」だった。

 ページのセリフの羅列群に私は目を走らせる。


 まあ、いいんじゃない。

 ユミュール先生は演劇部だし、動揺させてしまったラスカル様、怒らせてしまったポリアンナも演劇部だもの。


「お嬢」


 ヨシュアが私を呼んだ。

 ヨシュアは私のことを昔からそう呼ぶ。


「ケイタイ、貸して」


 差し出す手のひらの上に、私は私のそれを鞄から出して乗せてやった。


「なんに使うのよ」

「今日、バイト入ってたんだ。バイト先とバイト先の仲間にかける」


 それからヨシュアは、電話をかけて、本日入っていたバイトを別のだれかに頼んで交代してもらったみたい。学校でバイトは禁止なんだけれどね。ひそかにしてたのね。

 それ以外にもヨシュアは毎朝、新聞配達もしてる。


「電話番号なんか、よく覚えてるわね」

「覚えてるよ」


 ケイタイ、持ってないものね。


「ありがとう」


 また小さく笑ってお礼を言い、ヨシュアは私にケイタイを返す。


 ヨシュアの家は貧乏なの。

 私が知っている限りでは初めて会った時から、貧乏だったわね。

 彼のお父さんが亡くなってから、彼はお母さんと二人で暮らしてる。


 ヨシュアのお母さんはなにかといつも仕事をしているけど、いつもうまくいかない。

 これはヨシュアのお母さんに仕事のセンスがないとか、努力がないとか、そういうのじゃないという気がするの。

 なんというか、そういう不幸な生まれの女の人。

 そんな気がするわ。その星のもとに生まれちゃった感じよ。

 不憫だけど。どうしようもない感じ。


 私はちらりとヨシュアの顔を見た。

 夕陽に当たった黒髪がきれい。自分で適当にカットしてるんだそうだけど。そう見えない。

 ろくなものを食べていないからかもしれないけど。ちょっと最近、やつれたわよね。

 すっきりとした首筋も、他の子と違ってニキビのない肌も、きれい。


 最近、少し、考えるのよ。ちょっと考えるだけよ。

 もっと成長して、私が大人に近づいたら。


 もし。

 もしもよ。


 私が。

 彼と。

 したら。


 ヨシュアは今の生活から浮上出来たりするのかしら。

 彼の器がどんなものか知らないけれど。

 少なくとも余裕のない生活からは脱出できるんじゃないかしら。

 まさか独裁者の誕生になったりしないわよね。


「モリモト」

「きゃあ!」


 私は背後からいきなりかけられた声にびっくりして声をあげた。

 ちょっと人目をはばかるようなこと考えてたからドキドキよ。

 振り向くと。


「おどろかせてすまぬ、ミラルディ」

「ラスカル様」


 そこには麗しきラスカル様のお姿があった。

 すっきりと伸びた長い手足と大きな目は女鹿のよう。シンプルなモノトーンのシャツとパンツ姿がなんてお似合いになること。

 憂いをおびた瞳は見るものの心を打つわ。

 ああ、なんて美しいの。


 うっとりする私とは対照的にヨシュアはその美しいお姿には興味のない様子で応える。


「なに、オブライエンさん」

「私も手伝おう」


 ハスキーな声でラスカル様はそう言ってヨシュアの机から紙の束をとった。


「部活、行かなくていいの?」

「今日から、テスト休みだろう?」

「あ、そうか」


 そうだったわね。私もヨシュアも帰宅部だから、気が付かなかったわ。

 どおりでいつもより静かだと思ったわよ。


「ありがとう」

「うむ」


 ヨシュアの言葉にあっさりとラスカル様は頷き、ヨシュアの隣の席に座った。


 ラスカル様は無口な方なの。

 マスカダイン島が王政だったとき、ラスカル様の御家は近衛兵の家系だったのですって。

 彼女、剣も習っていて、多少扱えるみたい。

 世が世ならラスカル様は本当にオスカル様だったのかもしれないのよねえ。素敵。

 想像すると、少し昔に戻ってほしくなっちゃうわ。


「モリモト」

「なに」

「私は……モリモトの解釈もありだと思うぞ」


 言葉少ななラスカル様の御言葉だけれど。

 ヨシュアも私も現代文の授業でのヨシュアの回答について話しているのだと分かった。


「ありがとう。同じように考えている人がいることも知って俺もうれしいよ」


 ヨシュアはにこ、と目を細めて笑った。

 あら珍しい。目が無くなっちゃった。

 心からの笑顔だわ。


「うむ」


 ラスカル様はまた頷き、目の前の紙を折りだした。


「マスカダイン教、ってさ、今時遅れてるよね」


 ヨシュアは言ったけど、ラスカル様は無言だった。


 私たちはそれから黙々と作業を続けた。


 何事にも興味がなさそうなヨシュアだけど、ラスカル様の恋については知っているのよね。








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