第3話 こころ
おおお、とクラスが再びざわめく。
『なんと斬新な!』
『ユミュール先生に対する挑戦か?』
ユミュール先生の頬はひきつっている。
ちょっと、どうするつもりなのよ、ヨシュア。
私が呆れると同時に、ガタッ、と派手な音がしてヨシュアの右隣りにいた女生徒がいきなり立ち上がった。
「どうしたのかな、オブライエンさん」
「いえ……なんでも」
声をかけたユミュール先生にそう答えて、彼女は再び席に着いた。
彼女の名前はラスカル=オブライエン。
演劇部に所属する高身長女子。
彼女、傍目には美少年にしか見えない。
モデル体型で潔いベリーショート、硬質な整った顔立ちの彼女は、この間の文化祭では「ベルばら」のヒロインを務めたの。
そのまんまだけど、ラスカル様、ってみんな呼んでる。
実を言うと、私も密かに憧れてるわ。
彼女の動揺したような行動の理由にクラスのみんなは気がついていた。
ただ一人を除いてはね。
「それは面白い答えだな。モリモト君。そう思った理由を聞かせてもらおう」
「はい」
ヨシュアはクラス中の注目を浴びながら、しれっとした態度で語り始めた。
「二つ前の授業で、Kが「私」を押し倒そうとしたシーンがありましたよね」
そんなシーン、ないわよ!
「すみません。少し誇張しすぎたかも。言い直します。深夜、Kが「私」の部屋を訪れた場面がありましたよね」
ええ、確かにそんな場面を授業で読み込んだわね。
お互いに同じ女性「お嬢さん」を好きになってしまった二人の男、Kと私。
Kは私にお嬢さんへの気持ちを確かめようとした。そして自分の気持ちも打ち明けて、宣戦布告、もしくは牽制しようとでもしたのではないかしら。多分ね。
「Kはそのとき、襖をあけたものの、躊躇するばかりで「私」の部屋の中に入ってこようとしなかった。これで僕はピンときました。Kは感情と理性の狭間で闘っているのだと。つまり、とうとうKは狂おしい熱情と欲情に打ち勝つことが出来ず、その思いの丈を身も心も「私」にぶつける覚悟で深夜、「私」の部屋に訪れたのだと」
ひえええ! なんてこというのよ!
漱石先生、ごめんなさい!
「Kは真宗寺の男です。「私」への恋心を否定し続けてきた。いえ、決してばれぬように隠し続けてきたのです。崇高な男の友情を貫きとおすつもりだった。しかし、お嬢さんという存在が現れて、Kの心をかき乱しました。……愛する「私」が「お嬢さん」に奪われていくのをそばでただ見守るのはKにとってはあまりにもつらいことでした。Kはわざと演じたのです。「私」の目の前で。「お嬢さん」に恋に落ちるという偽りの男の姿を。「私」の「お嬢さん」への恋心をなんとかして妨げたかったのもあるでしょうし、自身との友情と「お嬢さん」への恋愛感情、「私」がどちらを選ぶのか試したかったのかもしれません」
ごくり。
私は息をのんだ。
「こころ」の全文を読んだわけじゃないけれども、なんだか、そう言われればその可能性も否定できない気がしてきたかも。
そう思ったのは私だけではないようで、クラスのあちこちでささやき声がした。
『なるほど、一理あるような気がしてきたぜ』
『男の嫉妬が引き起こした茶番劇かよ』
『やだ。その場面を読むと、そうしかありえないような気がしちゃって、ドキドキ』
私は二つ前の授業で渡されたプリントを引き出し、もう一度読んでみる。
そ、そんな気がしてきたかも。私も。
特にKが襖から覗いて、部屋に入ろうか入るまいかためらっているところなんて、なんだか切なくて応援したくなっちゃうわよ…………ハッ!
ただならぬ雰囲気を感じて私はヨシュアの右隣に目を移した。
ラスカル様が美しくも悲しいお姿で、目にうっすらと涙を浮かべながら、ある一方向に視線を注いでいたわ。
その視線の先には。
一番前の席に座る一人の少女。
ポリアンナ=チェンチ。
可憐な三つ編みおさげの美少女よ。
小柄で美声を持つ彼女はラスカル様と同じ演劇部でこのクラスの委員長でもある。
文化祭で彼女はラスカル様演じるヒロインに恋い焦がれる可憐な貧しき少女ロザリー(でも実は貴族の生まれ)を熱演したわ。
彼女、ポリアンナは。
ラスカル様の想い人なの。
ええ、クラス中のみんなが気づいている。
気が付いていないのは
中二全開男子でさえも、そんなラスカル様をからかうような子は一人もいない。
だって、ラスカル様は才色兼備で、高貴で、すごくいい人で。
まるで雲の上の人みたいなありえない人なのよ。
そういうことがためらわれるようなキャラなのよね。
だから、私たちクラスメイト全員はいつも切ない想いで彼女たち二人を見守っているの。
クラスのみんなもラスカル様の様子に気が付いたようで、私と同じく切ない目でラスカル様を見守っている。
それには全く気づくことなく、ユミュール先生はヨシュアの言葉を聞き続けていた。
「この夜、耐えきれずKは「私」の部屋を訪れました。もう待ってはいられなかった。「私」が「お嬢さん」に奪われることは時間の問題でした。それならばいっそこの手で……もうどうなろうともKは構わなかった。自分と「私」との間に築いてきた友情が壊れることも、真宗寺の家に生まれた自分も、聖人を気取った今までの生活のすべてを破壊しようとも……「私」に自分の想いを告白し、その唇を奪い、その身体を我が物にせんと組み伏せる……」
「ストップ! それ以上は言わなくていい」
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