第2話 授業

 マスカダイン学園中等部。

 ――この私、ミラルディ=エインズワースが通う学校。


 二年C組。

 ――二十八名の生徒が在籍する私のクラス。


 ユミュール=テレジコワ。

 ――この学園で私たちの授業を担当するナイスミドルの現代文男性教諭。


 ヨシュア=モリモト。

 ――私のクラスメイトでもあり、幼馴染でもある十四歳の日系人の少年。


 今、二限目現代文の授業をしている私の教室は、ただならぬ緊張感に支配されていたわ。

 私の右隣の席に座り、まぶたに目を描き、いびきをかくこの黒髪の少年によってね……!


「あー、モリモト君」


 白板に文字を書いていた手を止めて、茶色の髪をオールバックにしたユミュール先生は落ち着いた第一声をあげた。


 きた。

 ゆっくりとこっちに来るスーツ姿のユミュール先生は真面目で硬い先生。端正な顔立ちをしているものだからちょっと近寄り難い雰囲気があるのよね。そして、滅多に怒らないけれど、いったん怒らせると超怖い先生として知られている。

 まずいわよ、ヨシュア。

 ただでさえ、あんた、ユミュール先生に目をつけられてるんだから。


 みんなが見守る中、もちろんヨシュアは目を覚まさない。

 まぶたに描いたソレでバレないとでも本当に思ったのかしら。それとも、ツッコミを待っていたら、本当に寝ちゃったのかしら。


 ユミュール先生は、一番後ろの席のヨシュアの前に来た。


「モリモト!」

「はい」


 さすがにそれには起きたのか、ヨシュアはゆっくりと目を開けた。

 一重だけど力のある、スッキリと涼やかな東洋人の目。

 片目尻には小さなほくろがある。

 クラスの女の子たちにはミステリアスで素敵、とたまに騒がれているわね。


「君は今、寝ていたね」

「はい。寝ていました」


 答えながらヨシュアは席を立つ。


 デカっ。

 立ち上がったヨシュアはユミュール先生よりも少し高かった。

 ちょっとこいつ、また伸びたんじゃないの?


 ヨシュアは東洋人のくせにデカいのよね。

 加えて、日本の親戚からもらった……ガクラン? ……なんていう真っ黒な制服を着ているものだから、威圧感がある。


 日本じゃ中学生はこれを着るのですってね。最初、どこの士官学校の制服かと思ったわよ。

 マスカダイン学園は私服なのに、ヨシュアは常にそれを着ている。

 服代を浮かすため――なのですって。


「授業中、眠くなるのは仕方ないと思う。しかし、眠気と戦う努力というのはしてほしい。君のように最初から戦いを放棄する姿勢はどうかと思う」


 ユミュール先生は冷静に、穏やかにヨシュアをたしなめた。


「先生、僕は確かにまぶたに仮の目を描き、しばしの休息をとりました。しかし、それは先生の授業を邪魔したくなかったからです」


 おお、とクラス全員がヨシュアの返事に心の中で反応する。


 ちょっと、何言ってるのよ、この男は!


「どういうことだね」

「図体のデカい僕が白眼でこっくりこっくり船を漕ぐ動作は、ユミュール先生から見ると不快極まりなく、いえ、非常に滑稽な姿でしょう。先生の集中力を妨げて授業進行に影響を及ぼすかもしれない。それならばいっそ、潔く仮の姿に徹して休息を取った方が良いのではないかと考えたのが理由です」


 いや、その姿こそ、十分滑稽で不愉快だわよ!


「モリモト君。私が残念に思うのは、眠る眠らないではなく、君が授業の邪魔をするかしないかではなく、君が私の授業を最初から聴く気はないというその姿勢だ」

「僕は先生の授業を常に聴いてます。そして見ています」


 ヨシュアはさらりと述べた。


「心の目と耳で」


 おおお……!

 クラスがざわついた。


『あれが、ジャパニーズ……! ニッポンジンならあんな受け答えが許されるというのか……?』

『サムライ……いや、オンミョージ……オンミョージか?』


 ユミュール先生は絶句していたようだけど、咳払いして調子を取り戻した。


「なるほど。よろしい。今まで君は私の授業では常に目を閉じていたが、それは目を閉じているだけであって、実際には私の話を漏らさずに聴いていたということかね? その、心の目と耳とやらで」


 さっきより、口調が荒いし早いわ。

 ヨシュア、ユミュール先生を怒らせたわね……!


「そうです」

「よろしい!」


 ユミュール先生は、踵を返して教壇に戻った。


「なら、君にこそ答えてもらおう。今まで読み込んできた『こころ』について。心の目と耳とで深く読み込んできた君にこそ答えてほしい」


 最近、授業で題材にしていたのはニホンブンガク、夏目漱石の『こころ』。

 ユミュール先生の完璧な趣味だと思うわ。先生、この話が大好きみたい。


「問題だ。……なぜ、Kは自分の命を絶ったのか。答えなさい」


 あら、よかった。王道の問題ね。


 答えはいろいろあると思うけど。


 まず、お嬢さんを愛していたのに、親友だった「私」に裏切られたからよね。

 お嬢さんへの失恋。喪失感。

 そして、Kは聖人を目指す真面目な仏門の男だもの。

 そんな色事に揺れ動いている自分自身が許せない……そんなところじゃないかしら。

 私は頭を巡らせて考える。


 ヨシュアが全く授業を聴いていなかったら答えられるかどうかわからないけれど。

 ヨシュアは日本人だし、多分すでにこの「こころ」は読んでいたんじゃないかしら。

 日本人男性の鬱陶しい心理も同じ民族として少しは解せるんじゃないの?


 安心して成り行きを見守る私の目の前で、ヨシュアは口を開いた。


「はい。Kが自殺をしたのはもちろん、同性である『私』への愛に目覚め、苦悩したからです」


 だから、何を言ってんのよ、この男は!










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