第8話 食は東部にあり

 姉さん、大変です。

 私、こんなところでやっていけない。




 うっすらと涙目で女は商工会組合の女たちを見返した。

 顔以外は黒の民族衣装ですっぽりと覆った東部女たちがずらりと並んで、品定めをするように西部女の顔を凝視する。


 女たちの目の前のテーブルには様々な料理の皿が置かれている。


 コウモリの串焼き。

 サソリと、蚕の蛹の唐揚げ。

 アリの炒め物。

 イモムシの甘辛煮。

 ヘビのスープ。

 黄身からヒヨコになる途中のゆで卵。


 別の席にいる西部女の夫は既に赤い顔で、酒を飲みながら大きな声で談笑し、女の前に置かれたそれと同じものを口にしている。


 どうしてあの人は平気なのかしら。

 私はあの人の図太さが欲しい。


 西部女は自分の夫を恨めしく思いながら、女たちの視線に気圧されて、そろそろと皿に盛られた卵に手を伸ばした。

 香辛料と酢をまぶされたヒヨコとも黄身ともつかぬものを思い切って口に入れる。


「まあ。本当に、黄身と鶏肉のいいとこ取りのようなお味だわ」


 飲み込んだ女は笑顔をつくり、眼前に座る黒ずくめの女たちにそう感想を述べた。

 パリパリとした食感の嘴と舌触りの悪い羽毛が不快だった。


 顔では笑いながら。

 女は心の中で泣いていた。



 * * *



「また吐いているのか」


 風呂場で洗面器にひたすら嘔吐している女の背後から、夫が覗き込み声をかけた。

 女は恨めしげに夫を振り返る。


「いい加減に慣れろよ。結構、美味いぞ。サソリなんかあんなの川海老だ、川海老」


 女は応える気力もなく、ただ夫に向かって首を横に振った。


 貴方はいいわね。

 なんでも食べて、すぐにここの人たちに受け入れられた。

 私は駄目。

 未だにあの人たちからすればよそ者の女。


 また吐き気がこみ上げ、女は嘔吐した。

 洗面器の中で羽毛のようなものが目にとまり、一緒に飲み込んでしまったのね、と思う。


 吐き気は日を追うごとに酷くなってくる。女の身体はここの生活を受け付けられないのだ。

 それでも三日に一度の組合の会合ゲテモノ食宴には出ないといけない。そうでないと、ここでは仲間として認めてもらえない。


『東部の人間が食べないのは石ぐらい』


 それがここ、東部の食文化。

 東部の誇る食に親しむことが、東部の人間との関係を築く礎となるのだ。


「……なあ」


 後ろにいた夫が奇妙に優しく女の背中を撫でだした。


「弱っているお前を見たら……なんだか」


 女が振り返ると、夫は期待を込めた上目遣いで女を見つめていた。


「……また? やめてよ」


 拒否した女に夫は首を横に振り、そのまま女に飛びかかった。


「東部の料理のせいだと思うんだ。こっち方面が若返った気がする」


 女は抗う気力もなく夫に風呂場の床へと押し倒される。



 ……姉さん。

 私、こんなところで生きていけない。


 東部は大変なところです。

 東部の男は夜、女を寝かせない。



 女は目に涙を浮かべて静かに泣いた。



 * * *



 今日も相変わらずの閑古鳥の店内で、女は鬱々としたため息をついた。


 故郷の西部でともにランジェリーを売っていた姉に頼まれ、新天地の東部に進出したのは三ヶ月前だ。

 バザールのある一角を買い、西部産の布織物を売る夫の店の隣に下着屋を構えた。

 西部と違い、東部の女は飾り気がない。

 黒ずくめの民族衣装は仕方がないと思うが、その下にある下着にいたっては何の情緒もなかった。

 妊婦用かと思うようなビックサイズのベージュやピンクの綿下着しか、この地にはなかったのだ。


 『キエスタの女たちに、見えないお洒落の楽しみを私たちが教えてあげましょう』


 姉と熱く誓い合ったのはもう随分前。

 そしてようやくここまで来た。

 すんなり受け入れられるとは思ってなかったが、ここまで客が来ないと心が折れそうになる。


 店内に入ってさえくれれば。


 見たこともないだろう、色とりどりの美しい下着はたちまち女たちを魅了して心を離さないと思うのに。

 モノがモノだけに、おおっぴらに商品を展示出来ないのがキエスタという国の辛いところである。

 今までに来店した客は外国人と西部出身の女だけだった。


「気分が少し悪いの。外を歩いてくるわ」


 隣接した夫の店を覗くと、夫は客と話しながらチラリと女を見てかすかに頷いた。


 主人の方は上々だ。

 西部の布織物はどこの地方でも重宝される。


 店のシャッターを下げ、バザールから離れるように女は歩きだした。

 綺麗に舗道された道はすぐに砂と土と石ころの大地へと変わり、地方からやってくるキエスタ人の脚として軽トラや自転車や馬や驢馬などが置かれている。


 それを越えると朽ちた家跡の黄色い土壁がゴロゴロと転がっていた。

 女はその前を通り過ぎたあと、思い直したように戻った。

 足下の土壁の土を見つめる。

 何故だか、それがとても甘美なものに思えて仕方がなかった。

 女は蹲り、土を手で崩し取った。

 生唾を飲み込み、手の中の土をそのまま貪るようにして女は食べ始めた。

 土を食べる女の姿を見ても、東部の民で気にして立ち止まる者はいなかった。

 それが東部人なのだ。


 しかし一人の老婆だけが通り過ぎることなく女の背後で立ち止まり、その様子を眺めていた。

 夢中で土を食んでいた女は老婆の視線にやがて気がつき、振り向いた。


「こ、こんにちは」


 女はあわてて挨拶をする。

 老婆は組合長の母親だった。

 組合の者からは『大叔母さま』と呼ばれて畏れられている婦人だ。


 シワの深く刻まれた年季の入った顔で『大叔母さま』は女をじっと見つめたあと、何も言わずにくるりと背を向け、バザールへと歩き去った。


 女は目に涙が盛り上がり、その老婆の小さな黒い姿を見送った。


 私は。

 頑張ってるわ。


 東部の黒ずくめ衣装だって着ているし、ゲテモノ料理も食べている。

 変なイントネーションの東部語だって話してる。

 こっちに必死に合わせている。


 なのに、どうしてあなたたちは私を受け入れてくれないの。


 涙が溢れ、女は泣きながら土を食べ続けた。


 私、何しているのかしら。

 どうして土なんか食べているの。

 こっちに来て、とうとうおかしくなっちゃったのかしら。


 こんなに涙もろい女じゃなかったわ。

 私は強い女だと思っていた。


 自分はもっと強い女だと。

 西部ではそう思っていた。


 土が喉に詰まり、激しく咳き込んで女は土を出した。

 吐き出した土を見下ろしたあと、女はその場で大声をあげて泣いた。

 今度も女を気にして立ち止まる者などいなかった。



 * * *



 夫に泣いたことがばれるかしら。

 ため息をつかれて、呆れた顔をされるわね。

 なんとかして誤魔化せないかしら。


 考えながらもその方法が思いつかないまま、目を腫らした女は自分の店へと戻った。

 隣の夫には声をかけず、シャッターをあげ、外から中が見えぬよう垂らした布の隙間から店内へと入る。

 下着の積み重なった部屋の奥の間で、椅子に足を投げ出して座り一息ついたとき、


「こんにちは」


 声がして一人の女が入ってきた。


「これ、売れ残りそうだからさ。良かったら」


 果物屋の女だった。

 女は布に包んだ何かの果実を手に抱えながら言葉を止め、立ち止まって店内を物色した。


「はあ。派手で綺麗なもんだねえ。異国の女はこんなの身につけてんのかい」

「西部の女もですわ。今はキエスタの女もこんな下着をつけてもおかしくない時代です」


 東部語は今でも聞き取りにくい。特に早口だと。

 なんとか聞き取った女の言葉からスルスルと出た自分の口上に女は驚くとともに客が来た久しぶりの緊張感に身震いした。


 果物屋の女はジロジロと商品を眺めわたしたあと、机の上に果物を置きだした。


「酸っぱいものが欲しくなるだろうと思ってさ。パッションフルーツ。これくらいパンチのきいたものがいいだろう?」


 ゴロゴロと暗赤色の丸い果実が次々に現れる。


「ねえ、あんた。会合には匂いのキツイものも多いから無理して出なくたっていいんだよ。旦那さんさえ出ればいいのさ。ね?」


 果物屋の女は早口で言ったあと、なんて答えようかと考えている女を置いて背中を向けた。

 あわてて女は果物屋の女に声をかける。


「ありがとうございます!」

「これから財布を取りに戻るんだよ。また、すぐに来るから」


 そう言って去っていく果物屋の女の姿を見送りながら女はあっけにとられる。


 もしかして、商品を買ってくれるつもりなのかしら。


 そう思う間も無く、店へと次の女が入って来た。


「こんにちは。果物屋の姐さんが入っていくのを見たからつい」


 うふふ、と笑いながらこっちに来る女は、はんなりとした老舗茶屋の若奥様だった。


「誰かが最初に入るのを待っていたの。ごめんなさいね。本当はもっと早く来たかったのだけれど。やっぱり一人目になるのは勇気がいるもの。うちの主人からも毎日せっつかれていたのよ。あなたのご主人からお話を聞いて、早く買いに行ってこい、て」


 机の上にお茶屋の若奥様が置いたのは、袋に入った茶葉だった。


「こういう機会でもないと、なかなかお店に入れなくて……このお茶ね、吐き気を抑えてくれる効能があるの。飲み過ぎには注意してね。一日三杯以下を守って」


 お茶屋の若奥様は顔を女に寄せると、次には急に声を小さくして躊躇いがちに言った。


「ところで……透けた生地のがあるのですって? それを見せていただける?」


 答える間も無く、次々に店に客が現れた。


「こんにちは」「こんにちは」


 女たちが怒濤の勢いで店内に押し寄せる。

 それからはてんやわんやだった。



 * * *


 久しぶりの労働に追われたあと、波が引くように急に人が途切れ、女はようやく椅子に腰を下ろすことができた。


 残念ながら商品のいくつかはドサクサに紛れて万引きされた手応えがある。


 それでも嬉しいわ。

 一体、今日はどうしたのかしら。


 金と様々な手土産を置いていった女たちを不思議に思い、理由について考えていた女は、いつの間にか隣に立っていた小柄な老婆の存在に気がつき、きゃあ、と悲鳴をあげた。


 大叔母さまだった。


「……女はその土地で子供を産んで、やっとその土地の女になるのさ」


 後ろで手を組んだ大叔母さまは、女の顔を見ながら続ける。


「これから更に精進するんだよ。頑張りな」


 そう告げたあと、大叔母さまはくるりと背を向けて店を出て行った。

 大叔母さまの言葉の意味について考えていた女は


「あ」


 と呟いた。


 そういえば月経がふた月もなかった。

 体調が悪いのは慣れない生活のせいだと思い込んでいた。

 今まで子供が出来ずにもう諦めていたから、まさかそれが理由だとは思わなかったのだ。


 パッションフルーツ。

 吐き気を抑えるお茶。

 口当たりのよい食材。


 女たちが置いて行った手土産に目を配り、女は自分の下腹に手を置いた。

 ぼんやりと腹を見下ろしていた女の前に、隣の店から来た夫が現れた。


「今日は大変だったろう」

「ええ。びっくりしたわ」


 夫は女に近づくと、頭を垂れた。


「すまなかったよ。気がつかず。大叔母さまに怒られたよ。旦那が労ってやらなきゃ誰があの子を労るんだい、ラミレス男神のようにネーデ女神に逃げられるよ、てね」


 私も気がつかなかったのよ、という言葉を女は飲み込むことにした。


「俺も『温室育ち』だと舐められないように必死で。こっちの人間と関係を作るのに一生懸命だった。でもこれからここで共に過ごすお前との関係を一番大事にしなければいけないことを忘れてたよ」


 夫は下腹に置かれた女の手を取り、包み込んだ。


「大変だけれども。俺たち三人、ここでやっていこう。な?」


 夫の言葉と手の温かさに、女はゆっくりと頷くしかなかった。




 * * *





『西部から来たあの店の子、子供が出来たようだね。かわいそうに、さっき土壁をかじっていたよ。悪阻がひどいんだ。みんなで大事にしてあげな』





 * * *





 姉さん。

 東部は大変なところです。

 こちらでは諦めていた子供が出来ました。


 子供が生まれた後のことを考えると、今から目眩がするけれども、それでも私たちなんとか頑張ってやっていこうと思います。

 お店の方はうまくいったりいかなかったり。

 まだまだこれからです。


 一度こっちに遊びに来てください。

 食は東部にあり、ていうけれど本当ね。

 食文化だけは東部は世界のどこにも負けないと思うわ。

 こっちの食事には最初驚いたけど、素晴らしさに感動の連続よ。

 今まで私たち、ずいぶん人生損していたわね、てよく主人と話すの。

 悪阻が過ぎたら、お気に入りの食材がぐんと増えた。お姉さんにも美味しいものをいっぱい教えてあげる。

 ※ そうそう、そっちでもたまに売ってるけど、孵化前の卵は十八日目がオススメよ。
























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