第5話 三人の男

「シアンという名前の女の子なんだ。美人だろう。かわいいだろう」


 腕の中で寝入っている赤子を見下ろして、目の前の修道士はとろけ落ちそうな笑顔で話した。


「三人目は可愛いというがここまでとは。初めての女の子だし、この子だけは特別扱いになってしまいそうなんだ」


 アクリル板越しに修道士の彼が見せてくれる赤ん坊の顔は幼いながらも美しさが際立っていたが、囚人の男にはたいして感動も起こらなかった。


「君に子供を任せて奥方は外で買い物三昧か」


 冷めた声で問えば、


「まあそんなところだ。北部には西部のように品物がないからね。美しい衣装の数々に妻は久々にとても嬉しそうだったよ」


 自身も嬉しそうに答えた修道士に囚人の男はあきれるしかなかった。


 他の男の子供をよくもまあ。


 そんなに可愛がれるものだ。

 開いた口がふさがらないとはこういうことか。

 自分には信じられない。

 修道士とはこんなものなのかもしれないが。


 件の修道士は名残惜しそうに女児を足元の籠製簡易ベビーベッドの中へと戻すと、今度は持参したバスケットを膝の上で開いた。


「君の友達も連れてきた」


 片脚の曲がった茶色の猫がにゃあ、と鳴いてバスケットから飛び出す。

 アクリル板に近づいた猫は立ち上がり、肉球を押し付けた後、透明な壁をかりかりと掻いた。

 囚人の男は微かに笑みを浮かべ、手を伸ばして壁越しに猫を撫でた。


「君のことをよく覚えているんだな」

「そうだろうか」

「猫は恩知らずだと聞くけれど私はそんなことはないと思う」


 言いながら修道士はもう一つのバスケットから袋に入ったいくつかの焼き菓子を取り出した。

 タルト生地に囲まれた丸いその菓子はどうやらチーズタルトらしい。


「テス教の祭日にいつも売り出す商品なんだけどね。君の意見を参考にしたいと思って作ってきたんだ。材料のチーズはそれぞれ仕入先の家が違う。ひとつは酸味が強くて、もうひとつは脂肪分が多くてコクがある。のこりの一つはその中間といった感じなんだ。好みにもよるだろうけど、どれが一番いいのかと思ってね」

「君は菓子屋にでもなるつもりか」

「ああ、いいね。でも二足の草鞋は大変そうだし、西部ならまだしも北部では菓子を購入する人も少ないだろうから難しいかな」


 やんわりと修道士は言ってから、刑務官の方に渡しておくからあとで意見を手紙にでも書いてくれないか、もちろん刑務官の方々の分もある、と告げた。


「君が甘いものを好きなのは意外だったな、本当に。喜んでくれるなら何度でも作ろう」

「菓子だけだ、菓子だけ。料理で甘いのはうんざりくる」

「やはり、南部で育った君は辛い物がいいのかな」

「南部ほどは求めてないが。ここの食事は香辛料が基本的に足りないから。いつも物足りない感じだ」

「なるほど。なら香辛料を差し入れすればよかったかな。次はそうしよう」


 君と違って私は実は辛い物は苦手でね、でも妻は反対に大好きなんだ。


 修道士はそう告白すると、それを皮ぎりに自らの細君についてつらつらと語りだした。


 彼女は家事はこなしてくれるんだが、どうしても私とやり方が違うのでね、私は彼女にいつも口を出してしまうんだ。それが気に入らないのか、最近では嫌がるようになってしまって。私としても、私一人でこなした方がはやくうまくいくことに最近気が付いて……。


 そんなことを話しにここに来たのか。


 囚人はあきれて聞いていた。


 そんな話を聞いてくれる者を修道士の彼は探していたのかもしれない。

 聞きたい話ではないが、囚人である自分は特に彼に話す話題も持っていない。

 そういうわけで彼の話を聞いてやるしかないだろう。

 適当に相槌を打ちながら、囚人の男は延々と続く修道士の話を聞いた。


 ……子供が出来ればそういう欲がなくなる女性が多いと話には聞いていたのだが、妻は幸いにそういう女性ではなかったようで幸せだと思うよ。巷では同衾さえ気嫌いしてしてくれない女性が多いとよく聞く……。


「おい」


 囚人の男は遮った。


「君は修道士でここはキエスタで、俺は死刑囚だぞ。ここでふる話題か」

「ちゃんと聞いてくれてたんだな。ありがとう」


 眉根を寄せた嫌悪の表情で責めれば、修道士はにっこりと輝くばかりの清廉な笑顔で返す。


 ただの自慢か。

 人間離れした美女を手に入れた修道士の彼は囚人の男が想像するよりもはるかに幸せなのかもしれない。


「テス教は思ったよりも厳格な宗教ではなさそうだな」


 皮肉をこめて囚人の男は言ったつもりだったが、修道士の彼にはそう聞こえなかったらしく彼は目を輝かせた。


「君がもし、テス教に興味があるなら」

「テス教に改宗する気はないといっただろう」

「そうだったね、すまない。私はほら、修道士だから一応」


 にらんでいる囚人に気にすることなく修道士は微笑んでから、ああそういえば、と思い出したように口にした。


「首席で入学したナジェールだが今期の試験でもトップだったらしい。頭のいい子だ」

「そうなのか、親譲りだな」

「また私と一緒に君に会いにくるかもしれないからそのつもりでいてほしい」

「……わかった」


 囚人の男はナジェールという少年とはいつも何を話せばいいのかわからず、結局彼の父親の思い出話くらいしかできない。それでもナジェールという少年は自分に会いに来る。


「あ、それからレンが三度目の結婚を決めたと。このあいだ新聞で読んだ。次は長く続くといいね」

「三度目」

「写真では彼は相変わらず元気そうだったよ」


 囚人の男はため息をついた。


「二度も失敗したものを何故繰り返すんだ。グレートルイス人は節操がないな」

「グレートルイス人じゃなくて彼が、の話だろうな」


 愉快そうに修道士の彼は目を細める。


「彼はベーカー家の一員だから。別格だ」


 その言葉に頷きながら、囚人の男は過去に彼らと顔を合わせた場面を頭の中で掘り起こす。


 グレートルイス人の裕福な彼と。

 キエスタ人の自分と。

 ゼルダ人の目の前の彼。


 キエスタ人の自分から見ると、目の前の彼もかなり節操がないように思えたこともあったが。

 十年も経てば変わるのだろう。人も、国も。

 いろいろな思いを込めて囚人の男が修道士を見やると、妻の話を続けていいかな、と彼は当然の権利のように、にこにこと問うてきた。


「どうぞ、好きにしたらいい」


 苦笑して囚人が答えると、修道士は嬉々として話を切りだす。

 話の半分を聞き流しながら、囚人の男は何回も繰り返し考えたことをまた心の中で考えた。


 目の前の彼と、まさかこのような話をする関係になるとは過去に思いもしなかったと。






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