第3話 鳥葬、遥かなり
はぁ、鳥葬。
葬儀屋の男は気の抜けた声で受けた。
もとは北部の東の方の
故人について説明した女の言葉に葬儀屋は頭を巡らせた。
さあ、困った。
ここ西部では母なるオデッサ河に死体を流す水葬が主である。
自分はもちろん今まで水葬の手配しかしたことはない。
キエスタ各地で葬儀方法は異なる。
西部は水葬であるし、東部や南部は土葬もしくは火葬の文化である。(特に南部では男は南部の守護神である火の神にあやかって火葬、卑しい女は土葬と決まっている)
遊牧民が住む草原地帯のキエスタ北部では昔ながらの鳥葬が今でも主流だ。
ということは死体を北部まで運べ、ということである。
早くせねば死体が腐る。
しかし、依頼主のお大尽は贅を凝らした葬儀にせよとご所望だ。
葬儀屋は大急ぎでまずは西部式の葬儀を取りはからった。
河に流す前までの流れをいつも通りで行い、その後、死体を北部まで連れて行こうと思ったのだ。
お大尽は南部出身のお方である。
南部人の男の機嫌を損なうと恐ろしいことになる、というのは散々聞く話だったので、葬儀屋は粗相がないよう緊張しながら、この孤独な老人に貴人並みの葬儀を手配した。
合わせて、未知の北部への
困って行きつけの酒場の親父に相談したところ、親父が一人の男と引き合わせてくれた。
ダンナさん、オーケー。ワタシ、北部に知り合いイッパイ居るネ。心配ないヨ。ワタシに任せるがヨロシ。オーケーオーケー。
お前、
突っ込みたくなる程、北部でも東部でも南部でもない訛りでニヤケて話すその男は怪しいことこの上なかったが、選んでもいられず葬儀屋はその男に頼むことにした。
それからが忙しかった。
死体を包む最上級の布を手に入れ、花は花屋をまるごと買い占める。泣き女と踊り子、近所の住民に振る舞う酒と食事、給仕の人間を手配する。
故人が住んでいた集合住宅の中庭にテントを立て、大宴会をした。
久々の大仕事である。
西部の人間は見栄を張ることで有名だ。
特に婚姻と葬儀だけは貧しい者であっても借金してまで大盤振る舞いするのが西部人である。
宴もたけなわを過ぎた頃、遅れて宴会に参加したお大尽から声がかかった。
先払いか後払いか、との言葉であった。
あとは故人の身体を北部まで運び、鳥葬職人に依頼するだけだと考えていた葬儀屋は、お大尽の気が変わらないうちに、と少々ふっかけた値でお大尽に先払い代金を伝えた。
南部男のお大尽は二つ返事で承知した。
南部人に良い印象を持っていなかった葬儀屋だったが、太っ腹で素晴らしい、と南部人を称賛した。
宴が終わるや否や、葬儀屋は怪しい雇い人を隣に、故人を後ろに乗せ、きらびやかな葬儀車で早速出発した。
無数の花と大量のドライアイスで敷き詰められた巨大なクーラーボックスの中の身体は、それでも急がねば腐り始めるだろう。
夜っぴて車を走らせ、隣の男が話す十中八九のデマ話を適当に流しながら葬儀屋は西部の北の果てまで辿り着いた。
キエスタ西部と北部の間にはケダン山脈が走っている。北か南に迂回しないと北部には行けない。
南部周りは物騒なので、葬儀屋は北を回るルートを選んだ。
夜が明け、葬儀屋は隣国ゼルダの国境にほど近い集落にて停車した。
少し仮眠しようと思ったのだ。
朝日の下、集落の者が子供を中心にわらわらと寄ってきて葬儀屋に笑みを向けた。
葬儀車が珍しいのか。気の良さそうな連中だ。
最近までさらい婚をしていたというびっくりするような田舎者たちだからこそのこの笑顔なのだろう。
疲れていた葬儀屋は、子供たちに笑みを返すと既に爆睡している男の隣で目を閉じた――
ねぇ旦那さん。車がえらく地味になっちゃったヨ。
小用を果たして外から戻って来た隣の男の言葉に、眠っていた葬儀屋は飛び起きた。
あわてて車を降りると、父の自慢であった金細工の装飾が忽然と消えていた。
それだけではない。
タイヤが全てパンクしていた。
やられた。
絶句した葬儀屋の目線の先で、換えのタイヤを用意した子供たちがニコニコと笑って手招きするのが見えた。
* * *
法外な値のタイヤを購入させられた葬儀屋はイライラしながら車を運転する。
旦那さん、よくあることネ、気にしない気にしない。
隣の男が言う言葉に足して、今回の報酬額を思い出した葬儀屋はやっと溜飲を下げた。
車は北部へと入り、ステップを走る。
見渡す限りの草原。
どこを見ても草と羊しか見えない。
もう少しすれば邑があるからネ、と隣の男が言ってから三時間。
ようやく集落を見つけた。
昔のような移動式住居に住んでいる者が多いらしく、幾人かが物珍しげにその中から出てきて車を眺めた。
北部の民は白い貫頭衣にサンダル、染めた糸で編んだ帽子といった民族衣裳のいでたちだ。
隣の男は車を降りて、その中の一人と大袈裟に抱擁を交わした後、話しだした。
さあこれで、一件落着。
あとは死体を引き渡して、職人に鳥葬場まで運んでもらい、鳥が食べやすいよう斧でぶつ切りにしてもらうだけだ。
ハンドルにもたれかかりため息をついた葬儀屋に
旦那さん、死体を出して。
邑人と話をつけたらしい男が戻ってきてそう言った。
葬儀屋は車を降りて後ろの荷台を開けた。
途端に邑人の一人が何か大声を上げ、移動式住居から次々に人が出てきたので葬儀屋は仰天する。
人々が押し寄せてあっという間にクーラーボックスを荷台から引き出した。
呆気にとられて目を白黒させる葬儀屋に、隣の男はニヤケたようだった顔を急に真顔にして言った。
旦那さん、これから邑中をあげてみんながこのお爺さんに北部式葬儀をやってくれるからネ。
ぽかんとして葬儀屋は立ち尽くした。
男が何を言ってるかわからない。
出会った時に、酒場で前もって商談したではないか。
葬儀は済ませるので後は鳥葬職人の手で死体を処理してくれるだけでいいと。
隣の男の顔を見返したが、先程と同じく男の目は笑っていない。
一瞬の自失の後、
ち、違う! 違う!
気付いた葬儀屋はあわてて死体に群がる人々の中に飛び込んだ。
違うんだ、葬儀はいい! もういい! 死体の処理だけしてくれればいいんだ!
わめきながら必死に抵抗したが、既に死体はクーラーボックスから出され、運ばれていた。
何人かの女が大仰に泣き喚き、手を芝居かかったように振り回す。
男たちは、しゃがんだ姿勢のままで脚を互いに素早く前後に出すという踊りを始めた。
老人は弦楽器を持ち出してかき鳴らし、物悲しい声で歌い始める。
止めようがなかった。
ま、まてまて、何をしてる!
クーラーボックスを覆っていた掛布を女たちが奪い合うのを見て、葬儀屋は悲鳴をあげた。
西部の刺繍技術を結集した最高傑作の掛布である。それだけは毎回使い回しの布である。
ある女の手によって奪われたその布は別の女の手に渡り、そのまた隣の女の手、というふうにたちまち遠ざかっていく。
返せ! その布は私の物だ!
叫んで後を追おうとした葬儀屋は人波によって押し返される。
氷と花に包まれていた死体には、人々が馬乳酒を次々にかけだした。
子供たちは帽子をとって手で振り回しながら走り回り、歌を歌っている。
今や邑中の人間がその北部式葬儀に参加していた。
為すすべがない。
葬儀屋は乱痴気騒ぎがおさまるのを呆然として見守るしかなかった。
* * *
鳥葬のプロはネ、ココじゃなくてもうひとつ隣の邑に居るネ、旦那さん。
邑中をあげての北部式葬儀が終息したあと、ニコニコした顔で隣の男が言った。
ふざけるなよ。
睨みつけた葬儀屋の目を無視して隣の男は続ける。
ココの連中は気が長いからネー、遊牧民だから。支払いの残りがどんなに遅れても気にしないヨ、旦那さん。大丈夫ネ。でもネ、踏み倒すのだけはヤメタ方がいいネ。まだ罪人には皮剥ぎをしてるような連中だからネー。
その言葉に葬儀屋は蒼白になった。
北部の遊牧民には昔ながらの残虐な刑を今でも行う一族がある、と聞いたことがある。
ワタシが間に立つから大丈夫ヨ。そんなことさせないヨー、安心して旦那さん。足りない分はワタシが立て替えとくヨ。
隣の男に力なく葬儀屋は従い、再び死体をクーラーボックスに戻すと荷台に乗せた。
またもや法外な価格のガソリンを補充し、更に二時間、隣邑へと車を走らせる。
先程の邑以上に素朴で小さな邑に辿り着く。
邑の奥から汚らしい、髪も髭も伸び放題の男が出てきて、鳥葬を生業としている、と名乗った。
金額を聞き、葬儀屋が依頼すると、鳥葬職人はあっさりと引き受けた。
クーラーボックスの死体を見せると職人はそのまま置いていけ、と言い、なおかつ先程聞いた二倍の額を請求してきた。
今日は今朝に一人、鳥葬した。聖なる鳥、ザイラスは一日に一人しか引き受けてくださらない。明日の朝にこの死体の鳥葬を行う。今夜一晩の死体引き取り料も兼ねて二日分だ。
それが鳥葬職人の言い分だった。
隣の雇い人に目をやると、男はまた有無を言わさない真顔で見つめてきた。
西部の葬儀屋は言われるがままだった。
* * *
西部の葬儀が終わってからこっち、今までの費用を計算すると報酬額をはるかに上回る。
後払いにしておくべきだった。
がくりと脱力して後悔し、草っ原に座りこんだ葬儀屋に
旦那さん、コレ、ワタシの気持ちネ。
葬儀屋を北部へと連れてきた男が、ニコニコしながらやってきてビール缶を手渡した。
お疲れさんネ。あのお爺さん、旦那さんにとても感謝してるネ。あんな豪華な葬儀、行うこと最近はもうないヨ。
プルタブを引き上げて口に含むとなんとも気の抜けた
缶の底の賞味期限を確認すると半年前であった。
身寄りの無いお爺さんにしちゃ、ふってわいたような幸運ネ。幸せ者ネ、あのお爺さん。
男は言って隣に座り、自らも手に持ったビール缶を開けた。
葬儀屋の男は頷きながら目の前の雄大な景色を眺めた。
視界を遮るものなど何もない地平線に赤い玉が落日するところだった。
西部に居れば一生、お目にかかれない光景である。
『人を簡単には信用するな。しかし西部人だけは信用してもいい』
西部人には名誉か不名誉か、キエスタにはそんな言葉があった。
葬儀屋をはじめ、西部人は他の地域のキエスタ人からは「温室育ち」と称される。国内外を問わず、キエスタ西部人はいいカモだ。
親の仕事を継いだだけの西部人の俺だ。まあこんなものだろう。
葬儀屋は自嘲して気の抜けたビールを口に含む。
この景色を見ることが出来ただけで、ここまで来た価値はあったと満足してしまう自分は、やはり甘ちゃんな西部人なのだろう。
旦那さん、また何かあったらワタシがするネ。呼んでちょうだいネ。
何事もなかったかのように話しかける隣の男に葬儀屋は声を出して笑い、寝転んで草原に大の字になると、天空を見上げた。
ああ、また何かあったら頼むよ。
一番星が青紫色の空に輝き出した。涼やかな夕風が微かに頬を通り過ぎる。
今日は、いい日だな。
これから交響曲を奏でるような大量の星が降るのだろう。
その夜空を仰ぎ見ることが出来れば、大損をしたことなんぞ西部育ちの俺にはどうでも良くなるのだろうな。
その予感に葬儀屋は大いに期待を膨らませ、口元に笑みを浮かべると残りの温いビールを流し込んだ。
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