登録者数:9027 我が、我であるために
コメントが、静まり返っている。
聞き惚れているのだと、ムミカは思った。
自分の歌声に言葉も出ないのだと。
だが、違った。
その場に居合わせた全員は──呆然としていたのだ。
ただ、釘づけにされていたのだ。
魔王が突然始めた……その食事に。
「ずるずるずる~……ぷはぁ! いやぁー、やっぱりヌードルはチョーサイコーですねぇー!」
食べていた。
ヌードルを。
実物のヌードルを。
CGの真字野マオが。
恐ろしいほど滑らかに、摂取していた。
彼女の可憐な口唇が、ちぢれ麺がちゅるちゅると吸い込んでいく。
麺は踊り、つゆの飛沫を飛ばし、確実な現実味を持って、食されていく。
だが、それを食べているのはCGなのだ。
魔王という、CGにしか見えない現実の存在なのだ。
そして、メシの顔。
仮にも美少女である魔王、渾身のとろけ顔。
「ぷはぁ……」
恍惚とともに放たれる、なんとも言えない色気がこもった至福の吐息を聞いて。
コメントが、爆発した。
▷マオちゃんだあああああああああああ!!?
▷これ知ってる!
▷ツイッターで見た
▷あの有名なやつやん!
▷ちょっとリアルすぎない? え、これどうやってんの?
▷ヌードルの麺圧が……消えた……?
「ま──まさかッ!!!」
ムミカは気が付く。
だが、もう遅い。
それは、真字野マオが爆発的にヒットするきっかけとなった、動画の内容。
【驚愕】ぬるぬる動く美少女が、メシの顔でヌードルを食べる動画【可愛い】
まだなにも知らなかった頃、ムミカはその動画を、にゃむろPに勧められて視聴した。
視聴して、すごく面白いと思って。
そして彼女は、自主的にブログを書いたのだ。
皮肉にも、ムミカ自身が評価した魔王の唯一の取り柄が、いま場の空気を一変させていたのである。
「だ、だけど本物のヌードルなんて、いつ持ち込んで……そんなもの、なかったはずなのに!?」
歌うことも忘れ、ヒステリックに取り乱すムミカ。
魔王は苦笑する。
「あなたは、自分で言ったんじゃないですか」
「なにが──」
「ひとりじゃ、ないって」
「──!?」
何度目だろうか、ムミカが魔王に驚かされ、気が付かされるのは。
魔王へと、ヌードルを届けた人物。
それは、全身をクロマキー用のタイツに包んだ、にゃむろPだったのだ。
事前に魔王が彼に頼んでいたのは、差し入れだったのである。
(この世界の我は、とっても無力です)
(ニートニアで世界を幾度も滅ぼした我のような、最強の力はありません。きっとスライム一匹にすら勝てないでしょう、弱いほうの)
(我は本当に愚かで、哀れで、みじめで、ひとりではなにもできなくて)
(でも、だからこそ──)
初めから、魔王は一人で戦っていたわけではなかったのだ。
彼女は最初の最初から。
真字野マオとは初めから──にゃむろPと、二人三脚のバーチューバーだったのだから。
「────」
歌声が途絶えた。
そのもの悲しい調べは、もはやどこにも響かない。
ライブで配信されるのは、ただ麺をすする、おいしそうな音だけだった。
▷これが、バーチャルヌードルハラスメント……
そんな、ドヤ顔のユーザーコメントが書き込まれたころ、
「ごちそうさまでした──ぷひゅー! 我、大満足です!」
魔王は、食事を終えた。
彼女はにっこり微笑むと、ムミカに訊ねる。
「それじゃあ、もうひとりの我、審判を仰ぎましょうか」
「そんなの、聞くまでもないじゃない……」
がっくりと、ムミカは崩れ落ちた。
その姿が、CGが、実際のムミカの動きをトレースしきれず、ゆがむ。
答えは、あまりに明確だった。
だって、コメント欄は──
▷おかえり、真字野マオ!!
その文字で、溢れかえっていたのだから。
アンチのギスギスした悪意ではない。
興味本位な視聴者の、不本意に対立をあおる熱気でもない。
悲しい歌に揺らいだ、ユーザーのため息でもない。
その場に満ちていたのは、笑顔だった。
真字野マオをみて楽しいと思える、心から笑える人たちの、優しい言葉の数々だった。
同時に、ムミカをたたえる声もあった。
彼女のことを好きだと、ニセモノではないと訴える声が。
そのコメントたちを眺めて。
やがてムミカは、静かに退場する。
あとに残されたのは、魔王ただひとり。
そう、この場にいるのは、たったひとり。
彼女こそが──
「我が名は真字野マオ! 世界初の本物魔王系バーチューバーなのですよ!」
彼女は高く、高くこぶしを突き上げたのだった。
§§
「……魔王さん、お疲れさまでした」
編集作業に追われながら、にゃむろPがつぶやいたそんな言葉は、だれにも届かないぐらい小さかった。
彼はPCのリソースを少しだけ割くと、ムミカへも同じ内容のメールを、送信したのだった。
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