登録人数: ■ ■ ■ ■ 鷺沢ムミカへの挑戦状

「お゛はよー! 魔王系バーチューバーの真字野マオだよー! みんなー、起きてー! マオが起きてる今が、地球の夜明けだからー!」


 鷺沢ムミカは、自分とは似ても似つかない声を演じながら、ふと思い返す。

 思えば、これまでの人生に、自分というものがあっただろうかと。


(考えるまでもなく、自分はいませんでした。私にはなにも取り柄がなくて、陰気で、根暗で……でも、声だけは……初めて出会ったとき、あの人だけが認めてくれた声だけは……)


 うららかな春の日差しが差し込む学食で、彼女は本を、読んでいた。

 なんてことのない平凡その日。

 たまたま気分が高揚して鼻歌を口ずさんだのが、すべてのきっかけだった。


「……あの、とてもきれいな声質ですね? もしよかったら、バーチャルユーチューバーに、興味はありませんか?」


 そんな声をかけてきた人物を、彼女はいまだに、よく覚えている。大切に、覚えている。

 困るとすぐに、首元をおさえる癖のある男性だった。

 彼にスカウトされて、彼女はバーチューバーになった。

 まだ黎明期のころの話だ。


(私は、自分が光の中にいるのだと、感じていました)


 彼とともに生きた日々は、眩い輝きの中にあった。

 二人ともよくわからないながら、それでも必死に勉強し、バーチューバとしての自分たちを組み上げていった。

 機材や、ソフト、全部ちぐはぐなのは理解していても、なにが間違いなのかもわからないまま。

 そのまま、走り続けた。


「今日はー、マオー、ちょっといい気分なんで、一曲披露したいと思いまーす! では聞いてください、アメイジングレイス!」


(あのひとは、私の歌声をほめてくれた。きれいだと、人の心に響く歌声だと)


 それは事実であり。

 それこそを武器にして、鷺沢ムミカはバーチューバーの階段を駆け上がった。

 CGは、お世辞にも出来がいいとは言えなかった。

 関節なんてすぐに変な方向に曲がってしまうし、機材の不調で音声が消えるなんて日常茶飯事だった。

 視聴者たちからいくつもの嘲笑を浴びせられて、ほとんど笑いもの同然で。

 それでも彼女がバーチューバーでいられたのは、ひとえにプロデューサーが支え続けてくれたからだ。


(ウケているとか、すべっているとか、そんなことはどうでもよくて)

(ただ、その期待にこたえたかった)

(それだけの、はずだったのに……)


 彼女は、いつしかもっとと、望んでいた。

 もっと自分を美しく。

 もっと視聴者からの賛美の声をと。

 いつからか、そう望んでいたのだ。


(あの人は言った、承認欲求は、決して悪いものではないと。だからもっと自分が努力すると。私が満足できるまで頑張ると。世界に羽ばたくための翼を作ると)


 そうして、彼女のCGは改良を重ねられて。

 羽ばたき。

 高く、高く舞い上がって。

 ──ある日、失墜した。


大いなる恵みアメイジングレイスその甘美なる響きよハウスイートザサウンド


 もっともっとという願いは、いつのまにか傲慢な欲望となっていた。

 欲望に肥え太った翼は、自重に耐え切れず、地に落ちた。

 燃料はいつもそこにあった。

 彼女をけなそうとする者たちは、常に潜在的に存在した。


(なぜなら私は、視聴者を見ていなかったから。視聴者を、見下していたから。私が見ていたのは、見ていたかったのは──)


 権利的に問題のある技術を使用した鷺沢ムミカは、その批判者たちの手によってすべてを暴き立てられ、謝罪の暇すらなく、脆くも炎上した。

 彼女は抗弁した。

 だが、それが逆に炎の勢いを強くしてしまった。

 自分が熱くなりやすい性格だと、彼女が気が付いたとき。

 そのときには、もはや手遅れだった。

 なにをしても延焼するばかりで。

 やがて醜聞は、消すこともできない業火となって、彼女を焼き尽くした。


(私は、断罪された。そして、いなかったことにされた。世界のすべてが、私の敵だった。なにより私自身が、私を許せなかった。私があんなにも大切だったものを、私はこの手で、地の底に突き落としてしまったのだから)


 彼女の精神は混乱を極め、あれほど信頼を寄せたプロデューサーだった男の声も、もはや届かなかった。

 そうして、鷺沢ムミカは消滅したのだ。

 バーチューバーという世界から、塵一つ残さず、燃やし尽くされたのだ。


(すべては私の自業自得だった。でも──あのひとは、もう一度、私を見つけ出してくれた)


 それは、バーチューバーとしての復帰の道……ではなかった。

 新しく後進を育てる道を選ばないかと、彼は提案したのだ。

 彼女はいちにもなく飛びついた。

 バーチューバーなどどうでもよかった、ただ彼のそばに、もう一度いたかったから。


(なのに……なのに!)


「──っと、どーですか! 我の歌声は! こんな美声を聞けるなんて、いやー、役得じゃん定命ものたちー! ほらーもっと喜んでー!」


(こいつが、こいつが、こいつが……! こんなわけのわからない小娘が……! なんで視聴者にウケるの!? どうして、あのひとのそばにいるの!?)


 真字野マオ。

 そのが、にゃむろPと同棲していると、彼女が知ったのはつい最近のことだった。

 もし初めからそれを知っていたのなら、鷺沢ムミカは協力などしなかっただろう。

 そして、それを知った今だからこそ。


(すべてを、台無しにしてやる……! 真字野マオ、おまえがいる場所は、本当は私がいるはずの場所なんだから……!)


 彼女は、完全に真字野マオを乗っ取ることを、選んだのだ。

 そしていま、彼女になりきって、生放送を行っていた。

 そんな時──


▷ニセモノさん、我と、勝負をしませんか?


 コメント欄に、その言葉は、書き込まれた。


▷次の日曜日、19時から、我と──真字野マオと、コラボしましょう。そして、どちらが本物か、雌雄を決しましょう!

▷方法は、視聴者のコメントで

▷それとも、逃げますか……?



「…………ッ」


 挑戦者の、そんな言葉を受けて。

 彼女は、いびつに笑う。

 壊れたように、壊すために。


(ふざけるな、ふざけるな……ッ! なにが、なにが独りきりだ! なにが魔王だ! プロデューサーの、お荷物のくせに!)

(やってやる、完膚なきまでに叩き潰して、私こそが本物になってやる……!)


 かくして、鷺沢ムミカは魔王との戦いを承諾した。

 彼女たちの戦いが、幕を開ける──

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