第8節「第二宇宙速度(後編)」
基本的に三人でセットな雪たちが、二人だけでいるというのは珍しい。そういう機会をわざわざ作らなければ、なかなか浩樹と二人という状況はない。とりあえず、浩樹に「放課後、適当な理由をつけて自販機コーナーに」とメッセージを送っておいた。綾野には悪いが、今日は一人で帰ってもらうことになる。
「ねえ、なんでニヤニヤしてるの」
昼休み、綾野が明らかに嬉しそうな浩樹に詰め寄った。
「え、そうかな!?別に普通だよ!うん!」
この馬鹿は、と思いつつ、雪は一応
「さっきの授業の小テスト、結果が良かったんでしょ?」
と助け舟を出しておいた。自分のためでもある。
「そ、そうなんだよ!満点だった~!」
「ふぅん、そのぐらいで喜ぶなんてバカみたい」
「う、うるさいな!」
実際には、隣の席である雪が横目に確認したところ30点中2点だった。
「ほんと馬鹿」
「ぐうっ!?」
雪の言葉は、浩樹の心に深く刺さったようである。
結局帰り際にも、
「俺は今日、委員会がある!」
などと、委員会など入ってもいないことを知っている二人にとってまるわかりの嘘をついていたが、雪のフォローもあってなんとか誤魔化すことに成功した。雪は綾野をいつものバス停まで送り、すぐ学校に戻った。
科学実験室など、特別教室が並ぶ棟。その一階にある自販機コーナーに着くと、浩樹がそわそわしながら待っていた。
「おう、ここだ」
「ん」
他に生徒はいなかった。もうオレンジになった日光が窓から差し込んでいた。浩樹の隣に座る。
「それで、何だ?」
間髪入れずに、浩樹は尋ねた。雪は少し間を開けて、逆に問うた。
「むしろ、思い当たる節はない?」
「もしかして…俺への告白!?」
「ふざけないで」
真面目なトーンの声で返され、浩樹はあまり楽しくない事態なのだと察したらしい。軽く咳払いし「ごめん」とつぶやくと「いやほんと…悪いけど何のことだかわからないよ」
と続けた。
嘘をついている様子はない。どうやら浩樹があのメールの送り主ということはないらしい。可能性は極めて低いと思っていたが。
「そう…」
いろいろ訊く必要がある、と雪は覚悟した。
「とりあえず話したいのは…おおまかに言うと綾野のこと。まあ綾野を外してる段階で気づいてると思うけど」
浩樹が頷く。
「じゃあ訊くけど、どうして綾野を振ったの」
浩樹が目を細めた。苦々しい表情だ。
「………知ってたのか」
知られたくなかったのか。まあ言われなかったということは、そういうことなのだろうが。私もあえて綾野に浩樹とのことを話したりしなかったし。
「綾野が浩樹のことを好きだったのは最初から気づいてた。私は何も言わなかったし、何もしなかったけど。でも告白までしてたと知ったのは中学校の卒業間際。それまでは全然気づかなかった」
「…そうか」
浩樹は俯いて聞いていた。
「…その場で振ったんでしょ?どうして?」
ぱっと顔を上げて
「…どうしてだって?」
半分笑ったような声で、浩樹は言った。
「そんなの決まってるじゃないか、俺は雪が好きなんだから。綾野の想いに応えるわけにはいかない」
雪は黙って浩樹の目を見ていた。浩樹は目線を外さず、かといって、雪の目線を受け止めているようでもなく、滔々と語る。
「…もう知っているだろうけど、綾野から告白されたのは雪に振られた一週間後だよ。中学二年生の冬。綾野は…俺が雪に告白したことを知らなかった。タイミングがほぼ同じになったのは、偶然だったみたい。あの日は雪が"癖"で休みだった…。だからチャンスだと思ったんだろう、綾野は」
雪は何も言わない。
「…綾野は、両想いだと思ってたんじゃないかな」
「…」
「周りに乗せられたんじゃないかと思う。夫婦漫才なんて言われてな…」
浩樹は苦笑いを浮かべた。雪は特に表情を変えないまま黙っていた。
「…つらいけど断ったよ。だって断るしかないじゃないか。嘘をつくわけにはいかないし。たしかに綾野のことは好きだ。でもそれは友達としてのことなんだ。俺は…やっぱり雪が好きだったんだ。…好きなんだ」
意味ありげな言い直しのとき、浩樹は目線を外した。雪はぼんやりと考えていた。ああ、また”嫌な”浩樹だ、と。
「…その言い直しは聞かなかったことにしておく」
雪は立ち上がり、自販機横の壁に背中をあずけた。
「綾野が今でも浩樹のこと諦めていないっていうの、気づいてる?」
浩樹は無言で頷いた。
「綾野への想いが変わることは…?」
「それは…ないよ」
「どうしてそこまで…」
「雪。綾野は大切な友達だ。大親友だ。どうしてそれじゃ駄目なんだ。どうしてお前のことを好きじゃ駄目なんだ」
「駄目なんて言ってない」
「でも俺と綾野をくっつけたいんだろう?」
「それは…」
浩樹もすくっと立ち上がった。自分より頭一つ分大きい浩樹は、威圧感とまではいかないが、圧倒されることがある。普段は全く意識されないが。
「雪。俺が本心を偽って綾野と付き合ったところで、上手くいくはずがない。…俺の心は変わらない。報われなくてもいいんだ。雪、俺はお前を想い続ける」
そう言うと浩樹は昇降口の方へ歩き出した。
「じゃあな。先に帰るよ」
背を向けたまま言い捨て、そのまま去っていった。
雪は一人、夕日に赤く染まった自販機スペースに残された。
「…頑固者が」
頑固者。それは正しい解釈だろうか?
雪が帰ろうとする途中、中庭に人影が見えた。
廊下の窓越しに眺めると、城ヶ崎茜と見知らぬ男子生徒だった。二人で隣り合ってベンチに座り、何やら話している。よく見ると、お互いに近い方の手がベンチの上で重なり合っていた。
どうやらあの"美少女"の標本である城ヶ崎は、あの男子生徒によって陥落したらしい。二人の顔が赤く見えるのは、夕日のせいだけではなかろう。男子生徒は中々の美形である。いわゆる"お似合い"というやつなのだろう、と少し棘のある批評をしている自分に気づき、雪は嫌気が差した。
なぜ自分は素直に愛情や好意というものを認められないのだろうか。自分が幼い頃から親がおらず、愛情を注がれなかったせいだろうかと考えたこともある。しかし雪は、愛情、友情といったものを理解できないわけではなかった。
例えば今見えている彼らの重なり合った手が、愛情を"象徴"しているということは分かる。だが、それが彼らの間の関係を"保証"するとは思えなかった。
要するに、自分は疑り深いのだ。雪はそう思うことにしていた。
他人の愛情表現に猜疑の目を向け、自分に向けられた不測の好意にたじろぐ。
自分は疑り深いのか、それとも単に、
帰り際の昇降口で、雪はあることに気づいた。迷った挙句、雪はそれを放置して帰った。
また、雪は気がつかなかったが、このとき隣の棟の窓に、雪の姿を眺める者の影があった。
事態は、後に雪が思い返した時以上に進み始めていた。もうこの時点で、後戻りなどできなかったのである。
Title:ようこそ
from:**********@**.**.**
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To:weiss_schnee@daini-high.com
Sent:Sat 18/7/2045 2:25 AM
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やあ、明暗雪さん。
招待を受けてくれて嬉しいよ。
これからどうなるのか、とても楽しみだ。
それでは、がんばって。
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