第4節「発生、そして収束(前編)」


 体育の時間は男女別である。他クラスと合同だ。

 女子はバスケットボールの授業だった。あまり運動神経が良い方ではない雪は、体育館の端に座り込み、ボールを弄んでいた。

 体育館にいる女子生徒の半分くらいは、雪のように座って休んでいたり、おしゃべりに興じている。この第2高校の体育はゆるい。これも、雪がこの高校を選んだ理由の一つであった。

 体育館の中央ではゲームが行われていた。綾野が相手選手の脇を一気にすり抜け、レイアップを決める。キャー、と黄色い歓声が上がる。中学校のころは女子からの人気が異常に高かった綾野だが、それは高校でも同様らしい。

 もう一人活躍している生徒がいた。隣のクラスの城ヶ崎茜だ。彼女は男子人気も高い。抜群に可愛く、物腰柔らかで誰にでも別け隔てなく優しく接する彼女は、まるで"美少女"の生きた標本である。雪は、この手の人間を基本的に"嘘くさい"、と考えるが、彼女は芯からそういう存在なのだと直感していた。

 綾野の鋭いパスが茜に通る。茜がその位置でジャンプしシュートを放つと、ボールはゴールリングに当たる音もなく、吸い込まれるように入っていった。


 しばらくそんなゲームをぼんやり眺めていたが、雪は体育館の反対側にいる、ある集団が気になり始めていた。

 明らかに気弱そうな女の子に、明らかに心も頭も悪そうな女子が3人。何か話しているが、様子がおかしい。大体の察しが付く。

 ちょうど綾野たちのゲームがコートチェンジしたので、雪はそれに合わせて、その集団の側に動き、それとなく近くに寄って耳をそばだてた。

「できるよね?ね?」

「無理です…もう無理です」

「無理じゃないよ涼子…あんたならできるって、ね?」

 涼子、と呼ばれた気弱そうな女の子は、半泣きでおどおどしている。

「もう親にバレちゃう…」

「へぇ~、親の金だったんだ、あれ。悪い子だなぁ涼子ちゃんは」

「だって…」

「あたしたちはさ、別に親の金を盗ってこいなんて言ってないんだよね」

「そうそう、あんたが自分で稼いだっていいんだよ」

「稼ぐっていったって…」

「いくらでも方法はあるでしょ?言わなくてもわかるよね?」

「ちゃんと持ってこないと、また…」

「も、持ってきます!だからもう…」

 雪は完全に状況を把握した。要するに、いじめられたくなかったら金を出せ、ということのようだ。はぁ、と溜息をつく。


 彼女たちが高校生でなかったら、恐喝罪で終身刑は確実だ。通常犯罪は基本的に終身刑以上で、少なくとも一生刑務所ぐらしだが、18歳未満の犯罪は相変わらず更生の可能性が考慮され、最悪でも数年の懲役で済む。

 しかもこの場合、まず間違いなく"いじめ"として校内で処理されてしまうだろう。学校内での生徒間の犯罪行為は"いじめ"として処理するという悪しき慣習は、数十年前から変わっていないらしい。

 雪は正義感からというよりも、義務感から、この事実を教師に報告することにした。通報は市民の義務、現場が学校なら慣例に従ってその対象は教師。ただそれだけのことだ、と。

 まるで強盗に頭を下げて謝罪しながらお金を渡すような行為を、雪は理解できなかった。つまり、被害者が加害者に屈するという状況を。立ち向かうこともせず、親や教師に訴えることもなく、ただされるがままにする。雪は、そんな人間に同情する方がおかしいと考えていた。むしろ、無抵抗であるのは、嵐が自然に去ってくれることを待ち、最終的に何も無かったことにしたい、という打算ゆえだと理解していた。

 自分を綺麗に見せようとする、被害者の虚飾。それが雪には気に入らなかった。


 体育の授業が終わり、更衣室で着替えをした。

「せっかくだから雪も参加すればよかったのに、バスケ」

「いい。無様な姿を晒すだけだから」

「…うん、まあドリブルぐらいはできるようになってからの方がいいかな」

「あんなのできる方がおかしい」

「普通はできるよ!?」

 休み時間が後5分ほど。更衣室に自分たちのほか誰も居ない。

「…ねえ、綾野が…もし先生の誰かに相談するとしたら、だれにする?」

「え、何いきなり」

「いいから」

「う~ん、何を相談するかによると思うけど…」

「例えば、他の生徒の重大な規則違反を目撃したとき」

 綾野は何かを察したらしい。スポーツドリンクを飲みながら

「そういうのか…」

と真面目な顔で呟いた。

「やっぱり、生徒指導主任の山中先生かな」

「いや、黒崎先生じゃない?」

 雪に目を合わせながら言った。

「担任だし、何よりあの人は生徒を放っておかない感じがある」

「…なるほど」

 黒崎は20代後半とまだ若いが、生徒から絶大な信頼を得ている。彼はよく個々の生徒をよく知っており、また、知ろうとしている姿勢が明らかだった。若さは関係なく、おそらくその"姿勢"こそが信頼される理由なのだろう。

「なにかあったの?」

「いや、まあなんというか、義務だよ」

「??」

 とにかく放課後、黒崎に伝えてみることにした。

 更衣室から出ると、窓の外は重苦しい曇り空が広がっていた。

「もう梅雨なんだね」

 綾野の言葉に、雪は軽くうなずいた。



 ※



 深夜、真っ暗な部屋。

 坂東涼子はベッドで横になっていた。その目は見開かれている。

 神経ディスプレイには複数のウインドウが表示され、それら全てに高速で書き込んでいく。「今日も脅された」「死にたい」「何されるかわからない」……。現実では誰にも明かさない、自分の身に起こっている出来事と感情を「井戸」では露わにする。

 彼女の視神経に表示される反応は好意的なものだけだ。「大丈夫?」「なんでも相談して」「ひどい人たちだね」「助けてあげたい」……。ネガティブなレスポンスについてはブロックする設定になっている。

 「井戸」のシステム上、プライベート環境以外のサービスでは個人情報を書き込めない。書き込もうとすると強制的に「井戸」からシャットアウトされる。涼子は誰でも良いから、親や友達や教師ではない、"自分のことをよく知らないまま助けてくれる人"がいてくれたらいいのに、と思っていた。都合のいい存在を求めている。それは自覚していた。

 一つのレスが涼子の目に留まった。「Xに殺してもらえばいい」。すかさず「どうやって?」と返す。「Xに依頼するスレッドがある」。

 調べるとすぐに出てきた。自分の住所や名前を入力すると当然システムに弾かれるが、近所の駅名や建物の名前、自分の名前に関係がある物なら見逃される。「井戸」のオート監視システムはAIであり、文脈までは読み取れない。この穴を利用して、それとなくその書き込みを見たXに伝える方法があるらしい。

 涼子の目がさらに見開かれた。固く結ばれていた口元が、緩んだ。

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