丗玖ノ参 八人張リノ弓(三)
女の後に続いて登り続けているうちに、青々とした葉っぱたちの隙間から、抜けるような空が見えてくる。
いったい、どこまで登るというのか。
このまま、山を越えて天にまでも昇っていくのではないのだろうかとさえも思えてくる。
やがて、山を登っていくうちに木々の間から洞くつらしきものが見えてきた。
「あそこでございます」
女が洞くつのほうを指差す。
「なぜに、このような」
その問いかけに答えることもなく、ツルは洞窟のほうへと歩き出す。
その態度に八郎はむっとした。
「おい!女」
八郎は、思わず声を荒げた。
それに高宗と万寿は目を見開いたが、白縫たちは目を細めただけだった。
「どうなさいました? 御曹司殿」
突然怒鳴られたにもかかわらず、女は余裕の笑みを浮かべる。
「俺は、説いておるではないか? なぜ、答えぬ?」
「説いている? なぜ、このような場所へと赴いたのかと?」
女は、どこか揶揄したような目で八郎を見上げた。
八郎は苛立った。
どこか含んだような怪しげな女。
これが、あの行慈坊の知り合いの職人であろうか。
自分が頼んだ弓をこしらえた人物であろうか
いささか信じがたかったのだが、女の態度にさらに不信感を募らせる。
「ツル殿」
行慈坊は呆れたように肩をすくめた。
「そうですわね。御曹司をからかうのはこの辺でいたしましょう」
「からかっていただと!! この俺を!!」
さらに声を荒くすると、それがおもしろかったのか、女はクスクスと笑う。
「冗談ですわ。あなた様をからかおうとは、そんな命知らずなことはいたしませんわ」
八郎は、暴力を振うことはなく、まるでひねくれた子供のようにそっぽを向いただけだ。
(八郎が折れた?)
其の様子を見ていた白縫は、信じられないという風な顔をする。
「まあよい。とにかく弓の元へ案内しろ」
「さあ、どうぞ。おはいりませ」
中に入ると、真っ暗だ。ツルが用意してくれた松明がなければ、先へ進むことができなかっただろう。それほどの暗闇の中、歩いていく。
「どこまで続くのだ?」
「すぐにつきますわ。」
そういっているうちに、やがて狭かった通路は失われ、広い敷地を持つ広場へと出る。
そこは、天井がとてつもなく高い。余裕で十間はありそうな高さだ。
そして、広場の一番奥には、一見のわらぶき屋根の家が見えてきた。
「あれが私の家でございまする」
「旦那は?」
「いまは出かけております。さあ中へどうぞ」
それだけをいうと、女は洞くつの中にある家へと案内した。
家の中に入るとすぐに、壁に立てかけられている弓の存在に気づいた。
「あれでございますわ。あなた様がご注文していただきました。品でございまする」
其の弓を見た瞬間に八郎の心は一瞬で奪われてしまった。
目を輝かせながら、通常よりも大きな弓に釘付けになる。
「これが八人張りの弓?」
高宗がつぶやいた。
「触ってよいか?」
「もちろんですとも、あれはあなた様のものですもの」
八郎は女に了承を得ると、家の奥へと入り、弓を手に取った。
大きな弓。
それは長身である八郎よりも大きい。
「為朝どのは、あの弓を引くおつもりか?一人で……」
高宗はつぶやいた。
「大丈夫だと思うわよ」
白縫が当然といわんばかりにいった。
「しかし、あれは八人張りの弓。本来ならば、八人で引くものではないのですか?」
「本来わね。でも、八郎はご存知のとおり弓の名手。体力も怪物並みにあるから」
「姫。そのようなことを……」
紀平治があわてたような口調でいった。
「事実をいっただけよ。それに、私がそのようなこといったとしても、八郎は気を悪くすることはないと思うわよ。逆に誇り正しく笑うわよ」
「其のとおり」
聞いていたのか、八郎はその八人張りの大きな弓を握り締めたまま、白縫たちの元へと戻ってきた。
「お気に召しましたか?」
女が尋ねる。
「まだ、弓を射ておらぬが、この弓は俺と相性がよいように思える。気に入った」
八郎は満足げにいった。
それを聞いて、女は笑みを浮かべる。
「それはよろしゅうございました。そういっていただけると、拵えたかいがあるというもの。ああ、忘れてはなりませぬ」
「なんだ?」
八郎は怪訝そうに女を見た。
「矢でございます」
「矢?ああ。そうであった。して、矢とは?」
「お待ちくださいませ」
そういうと、女は家の奥のほうへと急いで向かった。
しばらくしてから、女は、通常よりも大きめの矢を数本持って戻ってきた。
「これが、矢でございまする」
そういって、八郎に矢を渡した。
「これは……」
触れた瞬間に、八郎は奇妙な感覚に襲われた。
どう表現していいのかわからない。
懐かしいような……
そんな感覚だ。
「お気に召しましたか?」
八郎が目を輝かせながら、矢を見ていると女が尋ねた。
「ああ、これはよいものだ。この矢も相性がよさそうだ。しかし、俺の知る矢とは少々違うようだが?」
「それは、あるものの念がこもっております。特別な矢でございまする」
「念?」
女は相変わらず、微笑むだけで答えようとはしない。
「まあよい、これで……」
八郎は、弓を高々と掲げた。
「これで、あの大蛇を倒すことが出来るかも知れぬ」
「なぜ?」
「なんとなくだ。これが力をくれるような気がするのだ」
八郎は、高宗のほうへと視線を向ける。
「高宗殿」
「はい?」
「必ず」
八郎は、その握り締めた矢を肩の上に載せるようにして握る。
「あの大蛇を倒してやる。見ておれ」
八郎は不適な笑みを浮かべた。
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