卌 不安ト希望

「また、人が食われよった」


 唐船の里の人口は、大蛇の襲来以降、ずいぶんと減っている。大蛇に襲われて命を落とすもの。別の里へと逃げた者。様々だ。

 明日、生きていけるのかも危うい毎日に、恐怖を抱きながらも、去ることもできない村人たちは、ただ救世主を待つはかできなかった。

 それでいいのかと与次郎は思う。

 今日もだれかが死んだ。

 せっかく育てた稲が食い荒らされた。どうすればいいのかわからない。大人たちはただ困惑しているだけで、なにかをしようとしない。

 今回の集まりも負の連鎖が流れるだけで終わるのなら、参加せずに戦うための鍛錬を積めばよいとは思った。けれど、それでも来てしまうのは、不安と絶望を覚えながらも、希望がうまれるかもしれないという期待もあったかにだ。


「頼りの武士様も手も足もでんというではないか。わしらは、このまま手をこまねいておるしかないのであろうか?」

 やはり、繰り返しだ。ただ怯えて、どんなに優れた武将でも歯が立たない強敵だからとあきらめの言葉を漏らす。

 確かに村長のいうことは間違いではない。 

 優れた武士として、名をはせている源家の御曹司がまったく敵わなかった場面を与次郎は見ている。

 太々しく自信に満ち溢れた眼差しが一気に曇っていき、地に落ちていく様を目の当たりにして、諦めの感情が芽生えなかったといえば、うそになる。

 いっきに裏切られた気持ちにもなった。脳裏に浮かぶには、もぬけの殻になった器。

 あれ以来、彼とは会っていない。後藤家の若君は時折、様子を見に来ている姿は見受けられたが、彼は来ていない。

 彼はいまごろ、どうしているのだろうか。彼をかばった家臣はどうなったのだろうか。無事であればいい。


「もうどうにもできんのじゃ」


 与次郎が武士のことを思い出している間も大人たちの負の会話は続く。もういい加減にしてほしい。

「それじゃあ、大蛇に食われるのをまてというのですか?」

 いつまでも議論ばかりして、ただ陰気な雰囲気を生み出したままで終わる。

「そうかもしんねえ。しょせん。おれたちは『水神様』に見捨てられた存在じゃ」

「それどころか、『水神様』は恐ろしい大蛇をつれてきなさったのじゃ。破滅じゃ。破滅」

 重苦しい。とうとう、あんなにも崇拝していた『水神様』のせいにし始める。たしかに『水神様』が去ったことが大きいだろう。しかし、なぜ水神様は去った?

 いや、なぜ祠は壊された。

 与次郎は、ふいに疑問を抱いた。

 不穏な時代だ。

 なにかが変わろうとする時代は、都だけでなく、地方にも影響を与えているのだと、ただの村人にすぎない与次郎にもひしひしと感じられる。

 崩れていくのか。

 ただ田畑を耕して、貧しくても一家が穏やかに過ごせる時代が壊れていっているのかもしれない。現に、与次郎の家にも笑顔が失われている。父は大蛇に食われ、兄は重症を負って、いまでは寝たきり状態。母も病弱で妹たちが幼いながらも頑張っている。

「もう滅びるしかないのか」

 これでいいのか。このまま、朽ち果ててしまうのか。

「あきらめちゃいかん!!」

 与次郎は思わず叫んだ。大人たちの視線は与次郎に注がれる。

「あきらめちゃいかん。俺たちがあきらめてしもうたら、やつの思うつぼだ。」


 そうだ。あきらめちゃいけない

 このまま諦めたら、幸せな日常など戻ってくるはずがない。

「しかし、頼りの殿様たちも負けたのじゃ」

「そうじゃ、どうするのだ?おれたちに何が出来るのじゃ」

「大丈夫。あの人は戻ってくる」

 そうだ。どんなに窮地に立たされようとも、彼は立ちあがってくれる。

「あの人が……為朝様がきっと、倒してくださる!!」

「なにを申す。かの御曹司は、負けたではないか。もう打つ手などない」

「そんなことない!為朝様は、すぐにあきらめるようなお方ではない」

 源為朝とはあれ以来あっていない。それでも確信している。どんなに窮地に立たされようとも、その瞳から光が失われることがないのだと、信じられる。

 必ず、再びやってくるはずだ。

「しかし……」

 それでも大人たちの顔から不安が消えない


「信じてもらえせぬかねえ」

 そのときだった。

 与次郎たちの背後から男の声がした。

 与次郎たちははっと振り返ると、一人の男が立っていた。

「別当殿?」

 与次郎がつぶやくと、悪七別当は、口元に笑みをこぼしる。

「おお、お前、覚えていてくれたのか。こりゃぁ、光栄なことだ」

 為朝とともにいた人だとすぐわかった。

「あなたさまは?」

 別当は与次郎から村長へと視線を移す。

「これは失礼しました。私は、源八郎為朝の家臣の一人、悪七別当と申すものでございます」

「それで、その別当殿がいかようなご用件で?」

 別当は、村長の前に進んだ。

「用件は、1つでございます」

 村長は怪訝そうに別当を見る

「われらの主は、明日、大蛇を退治することを決めたのです」

 別当が継げた瞬間に、周囲が再びざわめく。

(動き出した?)

 与次郎の心は、跳ね上がった


 待っていた

 このときを


 必ず来てくれると思った。

 あの人があきらめるはずがないのだ。自分たちを見捨てて逃げてしまうはずがないのだ。


 だから、策を講じていたに違いない。

 そんな与次郎の考えが間違っていないことをいま確信した。


「なんと!!明日、大蛇を?」


「はい。わが主源八郎為朝様が申しておりました。必ずや、明日には大蛇との戦。決着をつけると……。必ず、勝利を得ると……」


 村長は目を芝立たせて別当を見た。

 別当の瞳には、何のためらいもない。

 それは自信に満ちた笑みさえも浮かべている


「大丈夫。わが主を信じてください。必ずや。大蛇を倒されます」


「しかし……」


 それでも、村人たちの不安が消えないのは、大敗したときのことを思い浮かべたに違いない



「我は主を信じます。だから、信じてくだされ。」


「村長!!」


 しばらくの沈黙ののちに、与次郎が口を開いた。


 村長は、与次郎のほうへと視線を向ける


 与次郎は村長をまっすぐに見つめた


「大丈夫です。俺は、為朝様を信じています」


「しかし……」


「村長!信じてください!俺はこのままでいいと思っていません。このまま、死ぬつもりはありません。俺は生きたい。家族とともに……。みんなと一緒にこの村で生きていきたい」


 そうだ。信じるのだ

 それでいい

 あの人を信じて

 未来を信じて

 自分自身を信じて

 必ず、大蛇は倒される

 必ず、元の平和な村へと戻るに違いない

 だから、あきらめたくない


 大人たちは、困惑する中、やがて村長は意を決し別当を見た。


「わかった。信じましょう。では、我らはなにをすべきなのですか?」


 別当は満足げな顔をした


「もしよければ、お酒を用意できませぬか?」


「お酒?」


 怪訝そうに彼を見る


「はい、大蛇を宴に迎えるためのね」


 別当は含んだようにいった。

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