卌壱 囮ノ盃

 大蛇は、今宵はどのようなことをして『遊ぼうか』と考えていた。

 この地に着てからというもの、大蛇は上機嫌であった。

 この地へとやってきたのが五年前。元々一つだったものが分裂して生まれた大蛇がこの世で遊び場を見つけてさまよっていた。都に住み着いて、人間どもを襲って恐怖のどん底にするのもいいと思っていたのだが、都へいってみたら、朱雀、青龍、白虎、玄武という四神が都を守っているではないか。とても悪戯ができる環境ではなかった。、

 しかし、あの四神どもはよく見捨てない。あれほどに人の世が乱れているというのに、我らのようなやからから守ろうとしている。難儀なものだ。

 彼らと争うことは面倒。ならば、彼らの力の及ばない都より離れた地へ行けばいい。そう思い選んだのは、唐船と呼ばれる地だった。

 大蛇がくる前に別の神がいた。けど、その神というのは、弱い。追い出すことなど容易く、神を追い出し、住み着いた。

 それから、気まぐれで家畜を襲い、人を襲う。あの恐怖にゆがんだ顔がたまらない。恐怖に支配された人の血肉はなによりもうまく、それが美しい女ならばなによりも美味。

 さて、今宵はどうしようか。

 村にはもう美しく若い女はいない。自分が食ったか。すでにどこかへと逃げ去っている。

 ならば、そんなにうまくないが、村人たちに恐怖を与えてみるか。

 大蛇は、自分の寝床にした池の中から顔を出す。人の気配はない。それもそうだろう。だれが大蛇のいるところに近づくものか。そのようなものがいるとすれば、己の力量を知らない無謀な武士のみだろう。

 大蛇の脳裏に一人の若者が浮かんだ。人間にしては、大きな肉体を持つ武士の姿。 

 自信に満ち溢れた彼を絶望へと変えた瞬間がたまらない。あのまま、食ってしまおうとも思ったのだが、それだけでは面白くない。もし、あれが再び現れたならば、さらなる絶望を与えたのちに食らうのも楽しいたろう。

 いや、もう来ないかもしれない。それほどの恐怖を与えたつもりだ。

「まあ、どうでもよいことだ。さてと、どうしようか」と、次の楽しみを見つけていると、人が近づく気配がした。

「なんとまあ、命知らずな」

 大蛇は気配のするほうへと気を配った。

 すると、池のそばで一人の娘がいることに気づいた。娘は十二単と呼ばれる着物を身にまとい、両手を合わせてお祈りをささげている様子だった。彼女のすぐ背後には数人の男たちの姿があった。

 男たちの腕には樽がもたれている

 大きな樽から小さな樽まで大きさはさまざまな樽だった。

「大蛇さま。大蛇様」

 よく見ると見目麗しき若い女。いかにも高貴な身分であるかのような装いをしている。

(ほほお。よい女子ではないか)

 その美しさに大蛇は一瞬で気に入った。

(この女子を我のものにするのもよいかもしれぬ)

 そんな下心を抱いた大蛇は女のほうへと近づく。

「女。お主はなぜこのようなところにおるのだ?」

 大蛇は尋ねた。

「待っておりました」

「待っていた?」

「大蛇様をまっておりました。私は供物でございます。そして、あなた様の為に極上の酒を用意いたしました」

「ほほお。して、お主はなぜ供物となった?なぜ、我に酒を用意したのじゃ」

「私の願いは一つです。どうか、私どもの村を襲うことをおやめいただきたいのです。そのためには何でもいたします」

「襲うなと?ハハハハ。人間風情がなにをいう? その為の酒では足りぬとは思わぬのか?」

「わかっております。ならば、年に一度供物と極上の酒を用意いたします」

「なんと?美しい娘と酒で我を誘おうというのか?」

「はい。その通りでございます。だから、どうか……」

 娘は盃を大蛇―と差し出す。盃から酒の匂いが大蛇の鼻を刺激する。

「たしかに極上のようだ。よし、飲ませてみよ」

「はい」

(酒と見目麗しい若い女。

 悪くはない。

 どうすれば助かるかと必死に考えた策が生贄と酒を用いて、我を鎮めようというのか。浅はかなものよ。我は人間どもの恐怖に怯える顔が楽しみなのじゃ。しかし、酒と女。それがすぐ目の前にある。これはこれで悪くはないだろう)

 大蛇は上機嫌に女が差し出した盃へと顔を近づける。彼女の顔は蒼白になっている。恐怖に満ちた麗しき女を見ながら酒を飲むのも悪くはないのだと思いながら、彼女の手の中の盃に盛られた酒を口から伸びた舌で舐める。

 うまい。

 確かに極上の酒だ。

「娘。まだ酒はあるか?」

 大蛇は尋ねた。

「はい。ここにたくさんあります」

 背後にいた男たちが樽を次々と運んでくる。だれもが怯えているのだと大蛇は思った。

(くくくく。うまい酒をたらふく頂いた後にこいつらをつまみにするのも一興)

 樽が娘の前に置かれると、男たちがそそくさに女の後ろへと下がる。だれもか俯いているために表情は見えない。ただ恐怖しているからなのだろうと大蛇は愉快に思えた。

「ではいただくとしよう」

 大蛇は樽に入った酒に食らいつき、うまいうまいと言ってあっという間に飲み干してしまった。

「ははは。良い酒じゃった」

「ならば、もう私どもを……」

「そうじゃな。みんな食ろうてやる」

 大蛇が口を大きく開いて姫に食らいつこうとした。

 姫は眼を大きく見開いた。

 食われる。

 その直前。

「ヒク!」

 突然、大蛇がしゃっくりをし始め、大きな図体が振動し始める。

「なに……。ヒクヒク。なんとヒクヒク。我がこれしきの酒で……」

「いまだ!」

 男の声が響くともにどこからか矢が大蛇へ向かって放たれる。

「なに!?」

 大蛇は慌てた。

 かろうじて弓を避けているのだが、酒を飲んでいるせいかどうも思うように動かない

「ヒクヒク」

 大蛇の体がふらつく。

「なぜだ。なぜ」

 大蛇は動揺する。

「どうだったか? 極上の酒だっただろう。濃度の濃い酒は!」

 先ほど樽を運んでいた男の一人が顔を上げてニヤリと不適な笑みを浮かべながら、大蛇を見上げた。

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