廿捌 母ノ嘆キ

姉弟が、家へと戻るといつものように母親が床についていた。

古びた平屋建てのわら屋根の小さな家。

元々は立派な屋敷を構えていたのだが、暮らすための食料もお金もなかったために雇っていた使用人も解雇し、家さえもよそへ売ってしまっている。

彼女たちは、村人たちの好意によってこの小さな家に住まわせてもらっていた。

確かに小さいが三人が暮らすには十分な広さの家だ。

お嬢様育ちの娘だが、この家に着てから三年もなれば、もうすっかり村娘のようにてきぱきと働くようになっていた。

もともと柔軟性があったのだろう。

昔着ていた鮮やかな刺繍の施された衣もまた肥前の国の姫君に譲り、身分の低いものがきるような綻びだらけの衣に身を包んでいる。

その姿は最初こそ哀れに思えたのだが、村人たちと生活していくうちに、すっかり慣れてしまっている。


「お帰り、万寿、小太郎」

「母様。お米を貰ってまいりました。」

「まあ。これは、これは……」


万寿と呼ばれた娘の手にもたれた袋を見ながら、母親は歓声に似た声を上げた。


「早速、かゆにします」


そういって、彼女は食事の準備を始めた。

それを弟の小太郎が手伝う。

その様子を母親は、どこか悲しげに見つめる。

やがて、かゆが出来上がり、三人は食事を取ることにした。

特に会話という会話はない。

沈黙がしばらく続いた後に小太郎が思い出したように口を開いた。


「母様。今日、おふれを見ました」

「おふれ?」

「はい。後藤様の書いたものです」

「それは、もしや大蛇の?」

「ご存知なのですか?」


小太郎は目をパチクリさせながら、母親を見た。


「ええ、家の中にいることが多いとは言えども、外の声は聞こえてまいります。時折、村人たちが話しているのを耳にしたのですよ」

「そうなんですか。大蛇か」


小太郎は思いをめぐらせた。

大蛇と呼ばれる存在を見たことはない。

噂によれば、あの天童岩と呼ばれる大きな岩を七巻き判するほどの大きな大蛇で、、口から炎を吐くという恐ろしい物の怪ということらしい。真偽は定かではないのだが、胸を弾ませてしまうおとぎ話のようだ。


「それで、おふれにはなんと?」

「はい。生贄になってくれる姫を探していると……」

「まあ」


母親は目を見開かせた。


「もし、なってくだされば、褒美を取らせると」


つぎに万寿がどこか意味深な口調でこたえた。

その口調に母親は、訝しげに娘の横顔を見る。

彼女は、なにか考え込んでいる。その様子を見ていた母は、眉を寄せた。


「万寿」


万寿は母が呼ぶ声にハッとする。


「あなた、もしや、よからぬことを考えているのではないのですか?」


母親は見透かしたような視線を万寿に向ける。

その横で小太郎がきょとんと二人を交互に見ていた。


「あなた、この役目を引き受けようと思っているのではないのですか?」


驚愕する小太郎の視線を尻目に、万寿はまっすぐに母を見つめる。


母親もまた、娘を見る。


「なりませぬ!そのようなことを考えては!」


長い沈黙の後、母親は声を荒くする。


「母様。私は……」

「なりません!なりません!!」


万寿の言葉を遮るように、母親は口調を強めた。


「母様。でも……私は……」

「なりません!なりません!いってはいけません!!」


母親は万寿の体にしがみつく。

その腕が震えている。


「なりません!」


そういって、母親は嗚咽した。


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