廿参 師

それはいつのころの話なのか。


 遠い昔のようにも思えるが、つい最近のようにも思える。


 高宗には師匠がいた。


 かつて後藤家に仕えていた家臣。武勇にも優れ、その刀の腕前は右にでるものはいない。 ゆえに、最近肥前国で頻繁に出現している盗賊たちを退治する役割を担いばらしい功績を残していた。父も彼には、優れた力においても人物においても最も信頼しており、後藤家の跡取りの高宗の剣術の師匠という弥割も与えていた。


 そんなある日のこと


「殿!私はなにもしておりませぬ!!」

「ええい、このたわごとばかり言い追って!!」


 彼に謀反の疑いが掛かった。別の家臣からの告発。彼が後藤家を乗っ取るために盗賊と結託したという話だった。


 もちろん。はじめは父でさえも信じてなどいなかった。しかしながら、証拠はすぐ挙がった。他の家臣がとらえた盗賊の一人が師匠が松浦の地をわが物としようと跡取りの命を狙わせたのだと自白したのだ。


 それを聞いた父の怒りは相当なものだった。


 ただ父は、最も信頼手出来る家臣に裏切られた思いにとらえられ、真実をしっかりと見れるような精神状態ではなかった。


「本当です! 私は、盗賊どもと通じてはおりませぬ! ましてや、若様のお命を奪おうとは……」

「ええい、まだいうか!」


 父は、彼の言い分など聞こうともせず、一方的に断絶した。


「殿っ!」


 彼は、無駄だと悟った。しばしの沈黙ののちに絞り抱いたような声を出す。


「私を信じてくれないのですね」


 彼はすっと立ち上がる


「出てゆきます」

「なに?」

「私は、殿のもとに仕えることはできませぬ。だから、出てゆきます」


 そういって、彼は、きびすを返すと父の下を去ることを決めた。


「まてっ」


 助明はあわてた。

 彼を止めようとしたが、言葉を見失う。


「これ! 松尾殿」


 ほかの家来が、彼を捕まえようとした。


「やめろ! 追うな」

「なぜですか!? 殿! あれは……」

「放っておけ」


 父の言葉で家臣たちが止まる。


「吉道よ」


 彼は背を向けたままたたずむ。


「出て行くというならば、好きにするがいい。しかし、もう二度とお主を我の家来と認めぬ。この敷地に入ることもまかりならぬ。お主は、今後、我の敵とする」


 彼は、答えることもせずに、父の前から立ち去っていく。


「との……」

 家来の一人が不安そうに助明の姿を見つめていた。


(わしが間違っておるのか?吉道よ)


 彼が去ったあとにようやく、そんな疑問が浮かんだ

 なぜ、彼を信じなかったのだろうか

 いまでも、悔やんでも悔んでも、悔やみきれない。


 高宗は、いつも待っていた


 いつも来るのを待っていたのだ


 けれど、決してくることはなかった。


 彼がほめてくれるように何度も何度も剣術の練習をしても

 弓の練習をしても

 ほめてくれていた彼の姿がない


「若様!すばらしい!」


 そういって、幼い高宗の頭を何度も撫でてくれた

 大きく暖かい手


 其のぬくもりがほしくて

 ほしくて


 何度も屋敷の前で待ちわびたが

 彼の姿はとうとう現すことはなかった。


 最後に見たのは、

 いつになく

 激怒している父親の姿と

 彼の姿だった

 彼は父親に背を向けて歩き出した。


 父親は、決して彼を止めることはなかった


 遠くから見ていた高宗は、

 屋敷から出て行こうとする

 彼を呼び止めた。


「若様。」


「どこへ行くのですか!?」


 高宗は、事情がはっきりと飲み込めているわけではなかったのだが、

 彼がもう二度と高宗の前に現われないような気がした。

 遠くへ行ってしまうような気がしたのだ


「帰るだけですよ」


「帰る?」


「はい、妻や子供たちの下へ帰るのです、」


 そういって、いつものように高宗の頭を撫でると

 背を向けて歩き出そうとした


 もう会えないような気がした

 だから、

 高宗は、走って追いかけた。

 そして、彼の袖をつかんだ


「戻ってくるよね!」


「え?」


「戻ってくるよね。私はまだ、吉道殿に教わることがたくさんあります。

 だから、戻ってくるんですよね?」


 高宗は、必死に彼を見た


 彼は、横目で高宗を見た


 そして、再び高宗のほうを体ごと向ける


 そして、腰を下ろして

 高宗と同じ視線になった。


「大丈夫。あなた様に教えることは、もうなにもございませぬ。」


「でも」


「大丈夫、いつか、あなた様に会いにきます。大丈夫です。だから、心配しないでください。」


 そういって、彼は笑顔を見せた。


「でも」



 高宗はなにかをいいたかったのだが、言葉が見つからない

 やがて、

 彼は立ち上がると

 背を向けて歩き出した。


「まって!吉道殿!吉道殿!!」



 高宗は必死に呼び止めようとした。


 しかし、彼は決して振り向くことはなかった


 彼の後姿が消えていく


 追いかけたい衝動はあったのだが、

 追いかけることが出来なかった


 もうあえない

 もう二度と会うことはない

 それを知っていながらも

 高宗はずっと待っていた

 彼がくることをずっとまっていた


 けれど、来ることはなかった

 それから、二年後

 彼が死んだという知らせが届いただけだった。


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