拾玖ノ弐 旅立(二)
崇徳上皇が白河殿へやってくると、そこには、崇徳上皇のほかにも左大臣藤原頼長などの公家たちが並んでいる。
その末席に八郎は、ひっそりと控えていた。
そして、信西入道の「韓非子(法律書)」の講術が始まる。とにかく眠い。
八郎にとっては、聞きなれない言葉の乱列でただの子守歌のように聞こえてくる。ウトウトしていると、父の突き刺さるような視線が向けられた。
そのたびに八郎は、信西の言葉を聞いたふりをする。
ようやく、講義が終わったのちに、崇徳上皇が古今の合戦について、信西に質問し始めた。だれが優秀な武将なのか、どのような戦果を挙げたかなど興味が赴くままに尋ねていく。
それは面白そうだ。
いつの間にか、さきほどの眠気がなんとやら、八郎はすっかり崇徳上皇と信西のやり取りに聞き耳を立てていた。
そのなかでもっとも興味を引いたのは、弓の名手の話だ。
「本朝において、いま、最も優れている弓取りというのは、だれなのじゃ?」
「いまは、安芸守(平)清盛と、兵庫頭(源)頼政でございましょう。」
崇徳上皇へのその答えに、八郎が思わず腹を抱えて笑った。
「だれじゃ!笑っておるのは!!」
信西が声を荒くして、笑い声の主のほうへと視線を向ける。八郎は、まったく隠れる素振りもなく、堂々と立ち上がった。
「いや、あまりにも愉快なこというものだから、思わず笑いがこみ上げてきたのです」
八郎は平然といった。
「だれじゃ!おぬしは?」
「八郎!」
信西と父である為義の声が重なり、お互いに顔を見合わせた。
「あれは、お主の子か?」
「真に申し訳ございませぬ。あれは、私の八男でございます。このような場所に来るような身分では、本来ないのでございますが、信西殿のご講術を聞かせたならば、心得になろうとおもい、つれ申しあげたのでございます。」
「しかし、たかが小童の分際で、なんと無礼な子じゃ!!」
信西が激怒するが、八郎は素知らぬ顔で話を続ける。
「本当に、面白いなあ。平清盛よりも、源頼政よりもなお優れたものがおることを知らぬとはな」
「なに⁉」
さらに、信西は、顔を赤くした。
「八郎!やめなさい!上皇の御前だぞ!」
八郎の言葉は、明らかにあきらかに、崇徳上皇にとっても貴重な存在である信西を侮辱するようなもの。至っては、上皇を侮辱したにも等しい。そう思うと、為義は気が気でなかった。為義は、恐る恐る上皇のほうを見る。
上皇は、どこか興味深げに八郎を見ている。それでも、恐ろしかった。なにかお咎めを受けまいかと不安でたまらない。
「この小童めが!それじゃあ、申してみろ!安芸守や兵庫頭よりもすぐれておるものというのは、だれぞ?」
「それは、この私でございます」
八郎は、何の躊躇もなく答える。
もうあと戻りはできそうもない。
なんということをいってくれたのかと、為義は立ち眩みを起こしそうになる。
八郎の爆弾発言に一同はあっけにとられる。上皇は、いたって冷静に扇子で口元を隠しながら、成り行きをみているだけだ。
おそらく、この状況を楽しんでいるに違いない。
あっけにとられていた信西が豪快に笑い始め、皆がはっとする。
「なにをふざけたことをいっておるのじゃ?この図体でかいだけの小童が……」
信西が揶揄する。
八郎は、それにも動じることなく、自信ありげな笑みを浮かべる。
「ただのでかいだけの男かどうか、試してみせよう」
「はん。この小僧の分際で、生意気な!!」
「ならば、見せてみよ。お主が、本朝一の弓取りか!
「信西殿」
頼長は、見かねて口を開いた。
「なんでしょうか?左大臣殿」
「為朝は、体は大きく、大人びているといえ、まだ物の理もわからぬ子供ではないか?それでは、お主があまりにも大人気ない。為義、早う、息子殿を連れて帰られよ」
頼長は、為義に告げて、ことを終わらせようとした。
為義は、一度俯いたのち、八郎のほうを見た。
「お言葉ですが、為朝はもう13歳ですでに元服も済んでおります。この後に及んで、引き下がるというのは合戦において、敵に背を向けるようなものです。それは、わが源家の武名に傷がつきます。私は、為朝の思うままにしたいと思っております」と頼長に告げた。
「しかし……」
頼長は、どうしたものかと困惑していると、「左大臣様。心配ご無用。俺が負けるはずがない」と八郎が力強く告げた。
ああ、止めることはできないのか
頼長は、思わずため息をもらすと、其の様子を愉快そうに見ていた崇徳上皇が耳打ちしてくる。
「面白そうではないか。好きにさせてやれ」
とんでもないことをいうお上だ。これでは、ひくにも引けなくなる。
お上のいうことは、絶対だ。逆らえるはずもない。
「それでは、成立だ。さて、為朝といったな。よく射るものは、よく防ぐと申す。ならば、お主はこの二人の矢を見事につかみとってみろ」
「心得た」
八郎は、不敵な笑みを浮かべた。
そして、八郎と、弓を持った則員・式茂の二人は、庭のほうへと出る。
「よし、よいか!二人とも思いっきりやれ!射抜いても構わぬ!!」
信西は、二人の弓取りに命令した。
二人は少しためらいを覚えていたが、意を決して目の前の大柄な少年へと向って弓を射ることにした。
最初に則員の放った矢は、八郎へと一直線に向っていく。しかし、八郎は微動さえしないまま、矢は彼の左手によってつかみ取られていた。
「おお」
崇徳上皇は、思わず声を上げた。
次に放たれた弓もまた右手の中に納まっている。八郎は全く動いてはいない。いつの間にか、貫かれることもなく、二本の矢を一本ずつ、手に握られていたのだ。
「おおお」
さらに感嘆の声が漏れた。
「ええい!ほら!次じゃ!次!!」
信西の声はさらに荒くなる。
「はい!!」
二人はほぼ同時に弓を放った。
同時に放たれた二本の矢をその手でつかむことなどできるはずがないと高をくくった信西は、にやりと笑みを浮かべた。
しかし、信西の思惑とは、裏腹に二本の矢は、八郎の体を貫くこともなければ、八郎が避けるべくして動くこともなかった。
矢は八郎の口と足でつかみ取られていた。
「おおお」
両手と口、足でつかみ取ったまま、片足で体をうまく安定させている八郎の姿に、感嘆の声が上がる。八郎は、得意げな笑みを浮かべると、つかんでいた矢をすべて地面に落とした。
「なんと、あっぱれじゃ!!」
崇徳上皇が立ち上がると拍手喝采した。
「為朝といったな、お主はきっと、すばらしい武将になれるぞ」
「お言葉ですが、上皇、俺はすでにすばらしい武将のつもりでございます」
其の言葉を聴いた崇徳上皇は、一瞬唖然としたが、すぐに声を立てて笑い始めた。
「あっぱれ、あっぱれじゃ!」
隣で、為義は、気が気でない様子で肝が冷える思いをしていることなど気づきもせずに、八郎は口元に笑みを浮かべていた。
その反面、信西は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。
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