拾陸ノ弐 白縫立ツ(二)

 しばしの親子の会話を終えると、忠邦は、部屋を出て行った。

「出発はどうしますか?」

 八代が尋ねた。

「いますぐにと言いたいところだけ・。夜があけてからにするわ」

「そうですね。それがよいと存じます。明日に出立できるように準備を整えます」

「わかったわ。ありがとう。八代」

「それじゃあ、おいらが案内します。姫、明朝迎えにきますでござるよ」

「ええ、よろしく頼むわ」

 与三、屋敷を去っていく。その後ろ姿を眺めていた白縫は、ふいに空を見上げる。

「八郎は」

「?」

「相当、つらい立場にいるようね」

「え?」

「家李と八郎は、幼き日よりずっと一緒だったのでしょう?お互いに理解しあっていたし、八郎にとってはなくてはならない存在だったはずだもの。おそらく、その存在を失うかも知れないのなら、さすがの八郎も参るわよ」

 私と同じことを考えていたのだと、八代は思った。

「正直」

 いつになく、白縫の声のトーンが落ちた。

 しばらくの沈黙が走る。

「うらやましく思っていたわ。あの二人の関係が。男の友情ってやつね。どこか、私が入れない雰囲気があったの」

「姫様……」

八代は、語る言葉を失った。

 うらやましい。幼いころよりずっと一緒だったという二人。たとえ、八郎の妻とはいえ、彼と出会ってから、まだ一年もたっていない白縫が入り込める余地などあろうはずがない。彼女の不安が八代の中へと流れてくる。

(姫様は、やはり、御曹司を慕っているのですね)

 八代は心の中で思ったが、決して口に出さない。それを素直に言えないのが、このじゃじゃ馬姫であることを知っているからだ。

「あ~あ。なにを言っているのかしら?早く八郎の情けない面がみたいものね」

 白縫は、しばしの沈黙ののちに、明るい口調でいった。裏を返せば、ただ彼女は八郎に会いたいだけ。

 この肥後国を旅立ってからすでに十日以上がすぎている、出会ってからこれほど長いこと、合わない日々が続くとは思っていなかった白縫にとって、寂しいことなのだろう。だから、自然と毎日のように八郎の愚痴をこぼしてしまっている。

 そのことに白縫自身はまったく気付いていない。

「姫様」

 八代は口を開いた。

「私も一緒に」

 白縫と八代はしばらく視線を合わせて沈黙する。

「なにをいっているの?危険なのよ。あの図体でかい馬鹿男でさえも適わなかったという大蛇がいるのよ」

「負けたとお思いなのですか?」

「え?」

「あの方は、やすやすと負けを認めるお方ではございませぬ」

 八代は、真剣な眼差しで白縫を見た。その視線は、はっきりと白縫の心を見抜いていた。そのことに気付いた白縫は、思わず視線をそらす。

「わかっているわよ。そんなことぐらい。あの男が、負けたままでいるはずがないわ。きっと、大蛇を倒すにきまっているじゃないの」

「ならば、よいではないですか?」

「え?」

 白縫には、八代の意図が見えずに、怪訝に首を傾げる。

「御曹司が恐ろしい大蛇を倒してくださるのでしょ?ならば、私も行きます」

「けど…・」

「私も手助けをしたいです。御曹司の、紀平治の」

 白縫は、最後の言葉でようやく、彼女の意図がわかったよう気がした。

 八代は、白縫の手をそっとにぎりしめ、決意に満ちた眼差しを向ける。

「共に参りましょう?多勢に無勢。私たちのできることをやりましょう。それが妻としての勤めです」

 そういって、さらに強く手を握りしめた。

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