拾斜ノ壱 器ト魂(一)
行慈坊は、後藤家から少し離れたところにある社の前で胡坐をかいて御膳を組んでいた。すると、空のかなたから一羽の鶴がこちらのほうへと飛んでくる。
行慈坊の上空を一回りしたのちに、そのまま行慈坊の間の前に止まった。
行慈坊は、かすかに眼を開けて鶴を見つめる。
鶴もまた、行慈坊をしばらく見つめていたのだが、やがて鶴の姿が消え去り、人の姿へと変化を遂げた。
白磁のように白い肌に赤い紅の瞳
腰より下まであるだろう艶やかな黒い髪。
赤色に染められた着物を身にまとった類まれない美貌を持つ女がそこに佇んでいた。
「あなたですか?」
行慈坊は尋ねると、美女は優美な微笑みを浮べながら、持っていた扇子で口元を隠した。
「何を申しておるのじゃ?」
もれる美女の声も優美で透き通るような声。だれもが聞きほれてしまうような美しい声にも動じず、行慈坊は静かに尋ねる。
「とぼけないでください。家あの方々を救ったのはあなたでしょと聞いているのですよ」
「……」
女ははるか東の空へと視線を向ける。
「普通の人間ならば、あの毒では助からなかった。それにあの炎」
「普通ならば……。されど、あのものは生きた。かのものの魂は生かされたのだ。まだ生きねばならぬ」
「生きなければ……?」
「そうじゃ。ここで死すれば、その魂は食われてしまうであろう。ここで生きれば、後の世にくる荒波と戦う力となる」
「荒波? 荒波というのは、この日本国の命運に関わるのですか?御曹司殿は……」
「関わるともいえぬ。関わらぬともいえぬ。少なくとも、この時代ではない。かの器は、この時代にかかわるほどの力をもたぬ」
「また意味深な発言をなさる」
「すべてを見届けるまでのことじゃ」
「さようですか?もう、手助けをせぬと?」
「いや。もう一つ手助けしてもよいとは思っておる」
「手助け?」
「かの狼の願いでもあるのでな」
「それは……」
行慈坊の質問に、美女は答えようとはしなかったただ、天を眺めているだけであった。
行慈坊は、あきらめて美女と同じように空を再び眺める。
「まあ、どうにかしてほしいものですよ。私としては」
「待っておれ。あれがどうにかしてくれるぞ。そのために、私が手助けをするのだからな」
「ならば、よいのですけど」
美女は不敵な笑みを浮かべると、再び鶴の姿になり大きく羽ばたき天へと舞い上がる。
「まったく、相変わらず謎の多いお方だ」
いっていることがめちゃくちゃだと感想を漏らしながらも行慈坊は、鶴が飛び去った空を静かに見つめていた。
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