拾伍ノ弐 遭遇(二)

「よけなさい」

 行慈坊の声にはっとすると、八郎たちはそのまま、後方へと飛び降りる。後方は急な坂道。途中の枝をつかみ、下へ転げ落ちるのを回避した。同時に大蛇が八郎のすぐ上を通り過ぎていく。

 空へと飛んだ大蛇が再びこちらへと襲い掛かろうとする。

 八郎は、近場の岩に転げ落ちないように片足をひっかけ、もう片方の足を木の枝に絡ませる。弓をいる体制とは言えないが、それでも弓を引く。八郎の視線は、自分たちに襲い掛かろうとする目へと注がれる。

「そこだ」

 矢を放った。その拍子に八郎の体はよろめく。咄嗟に家李が支える。

 矢は、そのまま、大蛇の顔へと一目散に飛ぶ。一瞬、それが顔にぶつかったのだが、貫くこともなく弾かれ地面へと押された。矢は、地面に突き刺さっただけだ。

「鱗が厚い?」

 紀平治が漏らした。

「くそ。ここでは、狙いが定まらない」

 八郎は、祠の前へと駆けのぼり、振り返った。その時、すでに八郎のすぐそばまで近づいていた。いまにも八郎を食わんと大きく口を開く。弓を引く暇はない。咄嗟に矢を口の中に直接投げ込んだ。驚いた大蛇は、一度後退するが、八郎に逃げる暇も与えない。そのまま、八郎の腕を食いちぎろうとしたが、八郎は横に避ける。蛇はそのまま地面に激突し、祠あとへと滑り込む。八郎の右腕に一味が走る。

「八郎君!」

 八郎の腕から血が流れている。

 家李はすぐに八郎のほうへと近づいた。

「おのれ、大蛇め!!

 」

 八郎は、それでも立ち上がり、弓を握る。

 その目には、たしかな焦り。

「ダメです。一度、退きなさい」

 行慈坊の焦りの声に家李たちもはっとする。

 大蛇はすでに天高く舞い上がり、こちらに牽制を引く。

 八郎は痛みをこらえながら、矢を放つ。矢は、届くこともなく地に突き刺さる。

 腕から血がにじむ。力は入らない。むしろ、抜けていっている。

 それを感じながらも、自分をあざ笑う敵を射ようとしていた。

「だめです。八郎君」

「家李。矢を……矢をこちらに……」

 八郎の息が上がる。滴り落ちる血。八郎の足も震え、どうにか立っている状態だと、だれからも見ても明白だった。

 やがて、八郎は跪く。

『これほどのことか……』

 どこからともなく漏れた声に八郎たちは、はっとする。

 男の声

 あざ笑うかのような声だ。

 視線が一気に黄金の大蛇ほうへと向ける。

 大蛇の視線は八郎を捕らえていた。

『源氏のけはいをしたものだから、見掛け倒しだったな』

 その言葉に、八郎はたちまち頭に血が登った。

「ほざけ!我をだれと心得る!」

 八郎は、与次が握り締めたままになっていた槍を強引に奪い取ると、それを思いっきり大蛇へと投げつける。

 しかし、槍は、大蛇へと届く前に地面へと突き刺さっただけだった

『ハハハハハ。おろかなおろかだな。』

 大蛇はひとしきりあざ笑うと再び八郎へと視線を向けた

『遊びはこれまでにしよう!』

 もう動かない。ただ腕に傷をつけられただけというのに、なぜこんなにも怠惰感があるのか。意識が遠のいていく。

「毒蛇?」

 紀平治が漏らすと、大蛇が豪快に笑う。

『そうだな。たしかにわしの牙には、毒がある。まあ、放っておいても、そやつはいずれ死ぬ。しかし、わしは優しいのでな。そんな苦しめるようなことはせぬ』


 そういうと、其の口を大きく開くと、そこから、炎が噴出してきた。その炎は、八郎を飲み込もうと襲ってくる。動けない。全身がしびれてくる。逃げようにも逃げられない。

『焼かれよ!骨まで焼きつくされよ』

「八郎君!!」

 思考さえもない。動くことさえもできない。 

 ただ、炎に焼かれることを待つことしかできない。

 なぜ動かない?

 なぜ?

 だれかが笑う。

 勝ち誇ったかのように・・ 

 あれはだれなのだろうか?

 大きな体躯。しかし、その顔は人であって人であらざる存在。目の前にいる大蛇ではない。その背後になにかがうごめいていることを為朝はかすかに感じた。

『焼かれよ。その魂よ。朽ち果てよ』

「御曹司!」

「為朝様!」

 背後から声が聞こえてくる

 妙に炎がゆっくりと自分に迫ってくるのを感じた

 なぜだ?

 なぜ動かない?

 体が動かない

 もうだめだ

 俺は、死ぬのだ。焼かれて死んでしまうのか?

 八郎の脳裏に白縫の顔が思い浮かんだ。

 ―これで俺は……

 その瞬間、ふたつの影が目の前に飛び込んでくる。

 直後、炎が瞬く間に消え去り、その陰が崩れ落ちるところが見えた。

 八郎はなにが起こったのかわからずに呆然とする。やがて、影の正体に気づく。

 狼だ、その一つは、自分がかわいがっていた狼が一匹。

「山男?なぜ、ここに?」

 八郎がそれに手を伸ばそうとした。手が届く前に、自分のすぐそばで、何かが倒れる音がした。振り返ると、ぐったりとしている家李と跪く紀平治の姿があったる紀平治は両手を前に突き出して組んだ状態のまま、肩呼吸を繰り返している。家李の体はいたるところが焼けただれている。

「なにが起こった」

「法力です……」

 紀平治が答えた。

「私は法力を……家李殿とその狼は体を張って御曹司を守ろうと……」

『はははは!おろかじゃ!人間というのは、おろかじゃ!』

 大蛇は愉快そうに、八郎たちをあざけ笑った

「こやつ……よくも……」

 八郎は立ち上がろうとする。しかし、立てない。

「このやろう」

 すると、与次が槍を投げつけた。大蛇は難なく交わすと、泉のほうへと戻っていく。

『はははは。小童ごときに我を倒せると思っておるのか?』

「ふざけるな」

 与次が叫ぶ。八郎もそう叫びたい。しかし、体が思うように動けない。意識が遠のいていく。

『それでは動けぬ。一瞬で焼いてやろうと思ったが、今宵は、立ち去ろう。もしおぬしが生きていれば、いつでもこい。相手してやろう』

 愉快そうに笑いながら、黄金の大蛇は突然飛び上がると、そこから見える大きな天導神に巻き付きながら、こちらを見下ろしていた。

 そして、少しずつその姿が消えていく。

 同時に八郎の意識も限界に達していた。

「為朝様」

「御曹司」

 紀平治の声。

 与次の声

 薄れゆく意識に中でぐったりと倒れている家李の姿が見え、手を伸ばそうとしていた。

「……九郎……」

 その名を呼ぶと同時に意識は途絶えた。


 


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