拾弐ノ弐 悪夢ト月(二)

 八郎は、はっと目を覚ました。

 まだ、日は昇っておらず、あたりはまだ闇に包まれている。

(ああ、なんという夢をみた)

 八郎は、自分の頭を掻いた。

 あれは夢だ。

 けれど、ただの夢ではない。幾度となくみた都の光景の中に漂う悪夢。

 悪夢は、八郎にとってはおぞましい記憶。

 だれもが向ける視線は、人とは別のなにかをみるような視線。

 浴びせられる言葉は、彼のすべてを否定し、畏怖の念が突き刺さる。幼い頃より何度も向けられる女たちの心なき刃は、どれほど時が過ぎようと慣れない。

 この地へやってきて、そこから解放されたはずなのに、なぜいまさら、そのような夢を見たのだろうか。

「なんという夢だ」

 八郎は愚痴りながら、床から縁側のほうへとでる。そこに広がる庭園。その中央の家には空に浮かぶ月が映し出されていた。視線を空に向けると、なんとも見事な月だ。別に月を楽しむ習慣はないのだが、今宵浮かぶ三日月は、八郎の心を見透かし、癒してくれているように思えた。

「八郎君。お邪魔しますよ」

 自分を呼ぶ声に振り返ると、寝具姿の家李がたっていた。

「なんという格好じゃ」

「八郎君こそ。そのような薄着ではお体にさわりますよ」

「大丈夫だ。さほど寒くない」

「なにを強がっているんですか?そんな薄着で……」

「あんずるな。俺はだれよりも頑丈にできている。知っているだろう」

 その自分を皮肉っているかのような言い草に、家李は次の言葉に詰まった。その様子を見ていた八郎は突然、笑いだす。


「八郎君!なぜ、笑うのですか?」

「いや、相変わらず面白いやつとおもってなあ」

「ひどい。僕をなんだと」

「俺の乳母子であり、俺にとっては、いてもらわねばならぬやつ」

「八郎君……」

「おぬしがいなければ、からかう相手がおらぬ」

「八郎君。僕はあなたの遊び道具じゃないです」

「はははは。冗談だ。本当にからかいがいのあるやつ」

「八郎君」

 家李が拗ねてみせると、八郎は彼の頭にポンと大きな手を乗せた。

 同じ年頃というのに八郎の手は大人のそれに負けないほどに大きい。たくましい体つき、まるで兄のようにも思える。

 けれど、そのあどけない笑顔は、家李よりも子供。守るべき弟のようにも思えた。

「お前はおれの右腕だ。だれよりも信頼している」

「本気でいっていますか?」

「本気だ」

「……。しかし、見事な月ですね」

 家李は話題を変えるべくして、空を仰いだ。

「ああ。見事だ」

 八郎も月を見る。

 家李は再び、自分よりも頭一つ分以上に背の高い八郎のほうへと視線を向けた。

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