捌ノ弐 鶴(二)

 女の肌はまるで白磁のように白く、その切れ長の眼と整った顔立ちは、美女と呼んで間違いない。慎重は高宗よりも少し高いほどである。衣に身を包みながら、優美と怪しげな雰囲気を漂わせながら、こちらのほうへと視線を向けている。

「おぬしは?」

 高宗は尋ねた。

「私は、この山に暮らすものでございます」

「女一人で?」

「いいえ、夫と三つになる娘ですわ。たまたま、このあたりを散歩しているところに旅人さんたちが困っている姿をみたものですから……」

「こんな夜に、散歩か?」

 高宗は、不信な眼差しで女を見る。

 しかし、彼らの猜疑心など気にする様子もなく、彼女は、

 微笑んだだけだった。

「はい。私は月がすきなのです」

「月?」

「はい。夜の空に浮かぶ月でございます。特に弓張りの月が、最も好きなのですよ」

「弓張りの月?」

 高宗は投げかけたが、微笑むばかりでそれ以上、女性は答えなかった。

「それよりも、道に迷われたのでしょう?」

 高宗たちは、はっとする。

「よくわかったな」

 呆然とした様子で高宗がいうと、女は裾で口元を隠しながら、クスクスと笑い始めた。

「なにが、おかしい?」

「いいえ、すみません。わかりますとも……。この山は、迷いやすいのですよ。旅人さんは、必ずといっていいほど迷われる。あなた方がはじめてではありませぬ」

「そうか、そうであったか」

 女の言葉に納得する。いや、知らず知らずのうちに無理やり納得させられたといったほうがよい。別に説得力のある言葉とはおもえないのだが、まるで魔力にでもかかったかのようにすんなりと彼女の言葉を受け入れてしまったのだ。そのことさえも、高宗たちは気付く様子はない。まあ、実際問題として、山に迷うということは、いくらでもあることだ。

 迷ってしまえば、同じ道をぐるぐる回っている気分になっても仕方がないだろう。

「旅人さん。私は、この山で生まれ育ちました。だから、私にとっては、この山は庭のようなものです。よろしければ、麓の村まで案内いたしますが……?」

「しかし……」

 高宗は困惑した。

「大丈夫ですわ。夫も子供たちも私が遅いことを気にしませんから」

 女はにっこりと微笑んだ。

 その言葉にはさすがに違和感があった。いったい、どのような家族なのだろうか。このような時間に女一人で散歩して、しかも、家族はまったく気にしてないというのは……。

 怪しい

 怪しすぎるのではないか。

 そういう疑念も抱かないわけでもない。しかし、いまは、この怪しげな女の言葉を信じたいという藁をもすがる思いがあった。

「しかし、私たちが行きたい方向にあっているのだろうか?」

 高宗は、もしかしたらアヤカシなのではないかという疑念を抱きながらも彼女に尋ねた。

「では、どちらへ?」

 高宗はためらった。大丈夫なのだろうか、得体の知れない女になど尋ねて、答えなど与えてくれるのだろうか。

「そうお疑いならないでください。とって食おうとは思っておりませぬ」

 女は高宗たちの思いをしってか、そう付け加えた。そして、しばらくの沈黙が走る。

 信じてよいものなのだろうか。

 それとも……。

 迷っている暇などない。

 これは、もしかしたら、天の助けかもしれない。

 高宗は、そう言い聞かせながら口を開いた。

「お前は、鎮西八郎為朝を知っているか?」

 其れを聞いた女は表情一つ変えずに、高宗の真意を確かめようとするかのように視線を向けた。やがて、どこか嬉しそうに口元に微笑みをこぼした。

「御曹司殿のお知り合いですか?」

 高宗は、目を大きく見開いた。

「知っているのか!?」

 高宗は、声を荒くする。

「はい、存じております。あの方は、私たち親子にとっては、恩人なのですから」

 彼女は、とても嬉しそうな顔をしながらいった。

「大丈夫ですわ。私がきちんと案内しますわ。さあ。参りましょう」

 彼女は、先ほどよりもいっそう、まるで子供のような無邪気な微笑みを浮べながら歩き出した。

「おい」

「大丈夫。きちんとあなた様たちを御曹司のもとへ連れて行きますわ。さあ。まいりましょう」

 その足取りは軽い。

 周りの者たちの視線が高宗へと集中する。

 はて、どうしたものだろうか。

 ついていくべきか。

 いかざるべきか。

 狐にばかされたのではないか。

 そのような思いが駆け巡る。

「若様」

「いこう。ここでじっとしていてもはじまらぬ」

「しかし、信頼できるのでしょうか?」

「化かされたときは、そのときじゃ。先へ進める可能性があれば、先へ進む。それだけじゃ……」

 高宗は、女の後を追って歩き出した。

 その後を従者たちが追いかけていった。


 空には月が浮かび上がっている   

 弓張りの月が、彼らの行く手をかすかに照らしていた。


 

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