捌ノ壱 鶴(一)
高宗は苛立ちを覚えていた。
どんなに進もうともまったく林の中から出る気配がしない。
どうやら、本当にアヤカシの仕業らしい。
妖が自分たちを、彼の元へ生かすまいとしているに違いない。
それだけでしない。すっかり、捕らえられ、引き返すことさえもかなわないのかもしれない。
そう考えると、焦燥感ばかりが募っていく。
「若様、どうなさいますか?」
舎人の一人である大吉が、不安な顔をしている。彼だけではない。高宗に従ってきたものは、だれもが鬱蒼とした山林に潜む闇に怯えている。不安にしてはいけない。
自分がしっかりとしないといけない。自分はいずれ父上の後を継いで後藤家を守る立場になる。家臣たちに不安を与えてはならない。
「はて……。どうしたものか。大吉、なにか策はないのか?」
自分のうちにある不安をどうにか隠し冷静を装う。
「残念ながら……。若様のお力になれるような案が思いつきませぬ」
そうだろう。妖の仕業だとすれば、普通の人間にすぎない自分たちになにができようか。
「そうか」
もしここに、打開策があればよいが、どうもだれも持ち合わせていない。
高宗は、周囲を見回した。どこを向いても、木々や草木ばかり。
いつの間にか、月は、雲に覆われてしまい、鬱蒼とした闇だけが広がっている。
高宗はふいに空を見上げる。雨が降りそうな空だ。
このままだと、彼の元にたどり着くことなく、ここで朽ち果てるしかなくなる。
その時、高宗の眼の先を何かが通り過ぎた。
「若様? どうかなさいましたか?」
「いや、今、鶴が……」
「鶴?」
大吉やほかの従者たちも空を仰ぐ。
空を覆い隠していたはずの雲が、徐々にはけていき、弓張の月が姿を現し始めた。なぜか、さきほど見上げた月よりも明るい。
まるで自分たちの行く手を照らしているようだ。
「何もおりませぬぞ」
「見間違え?しかし、あれは……。確かに……」
確かに鶴だった。
ほんの一瞬だったために、はっきりとはわからない。
しかし、あの翼の形もくちばしも、高宗がかつて見たことのある鶴という鳥そのもののように思えたのだ。
気のせいだったのだろうか?
確かに鶴を見たと思った。
たかが鶴
されど、一瞬通っていった鶴に、なぜか魅了されている自分がいる。
いや、あれは……
脳裏から、一瞬の影が離れない。
あまりにもすばやかったからなのか。それともあまりにも美しいからなのか。
「それよりも、若様」
高宗は、大吉の問いかけにはっと我に返る。
「もう、日も暮れました。どうなさいますか?ここで、野宿をしますか?」
「いや」
高宗は、何の迷いもなく拒否した。
「我らは、できるだけ早く源八郎為朝というものに会わねばならぬ。大吉も知っているだろう?あの里だけの問題ではない」
大吉は、言葉を飲み込んで、主君へと視線を向ける。
確かに彼にいうとおりだからだ。
一刻も早く、いま現在松浦郡で起こっていることを解決せねばならない。このままでは、被害もいっそう拡大していく。
松浦だけの問題だけでなく、もしかしたら肥前国。いや、日本国さえも飲み込んでしまう恐れもあるかもしれない。
少なくとも、松浦郡領主である後藤助明はそう考えている。
大げさなことなのだろうか?
本当に日本国自身を揺るがす問題に発展するのか。
いや、あの里の問題があろうとなかろうと、この国は揺れているではないか。
長きにわたる平安という時代。
いままさに変革がおきようとしていることは、田舎者でもかんじることができる。
そして、いまから会おうとしている人物は、この時代のうねりの中でどのような役割を持つ
「しかし、その者が、果たして、あの大蛇を倒せるのでしょうか?」
年は、高宗と同じ年頃。まだ、15歳ほどの小童になにができるのだというのだろうか。
確かに彼の武勇は聞こえてくる。
しかし、それは真実なのだろうか。
正直、大吉にはわからなかった。
だから、まるで答えを求めるように自分よりも十歳も年が下である主君をみた。
「どうであろうな。父上は期待しているようだが……」
「いったい、その者は、どのような方なのですか?」
「若様は、どうお思いでしょうか?」
「私か?」
高宗は、考え込んだ。
「源頼光は、酒天童子を退治したという」
「は?」
大吉は、眉をひそめた。
「源八郎為朝の祖先らしい。源頼光は、京を鬼から救った英雄だ。
もう、ずいぶん昔のことらしいのだが」
京とは、平安京。
源頼光は、弓の達人であり、四天王とともに、倭国において鬼たちとの戦を繰り広げ、勝利を収めたという伝説の人物である。
霊的な能力にも、抜きん出ており、かのヤマタノオロチを退治したというスサノオノミコトの生まれ変わりではないかといわれた人物でもあった。
もちろん、だれかが勝手に噂したにすぎないだろう。真実がどうであるかはわからない。ただ、少なくとも高宗は、幼いころ聞いただけの話では、そう記憶している。
「源八郎為朝もまた、霊的な力を持っているとのことだ。そのために、京にいたころより、アヤカシとの戦を繰り広げてきた。そして、筑紫洲へと降りて三年の間にも、戦を繰り広げてきたと聞く」
「アヤカシとの?」
「それだけではないらしい。なんせ、かなりの乱暴ものという噂じゃ」
その言葉に大吉は、顔をゆがめた。
「大丈夫なんですか?」
大吉のその言葉に高宗も不安を覚えた。いったい、どのようなものなのだろうか。噂どおりの乱暴者。それゆえに、京の都を追放されたという人物だ。
あったら、食われるのではないかという不安が一瞬よぎったのだ。
「どのような人物だろうな。気になるところだが、会わなければわからん」
「しかし、会えますかね」
大吉は、出口の見えない林を見回した。どこまでも続く林。あたりは暗闇。
大吉のいうように、もしかしたらあえないのかもしれない。
それどころか、帰ることさえもできないのではないだろうか。
「どうしたものか」
高宗は、ため息交じりにつぶやいた。
そのときだった。突然、茂みがガサガサと揺れ動いた。
高宗たちは、はっとそちらのほうへと顔を向ける。
従者たちは、鞘に手を触れてにらみつけている。
「だれだ!?」
大吉もまた、腰にかけていた刀の柄を握りながら、声を荒げた。
「そう怖い顔をなさらないでくださいまし。旅人さん」
茂みの中から優美に微笑む女が出てきた。
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