嗣ノ参 放浪僧侶(三)

海が広がっいる。

 不意に空を見上げると、壱羽の白い鳥が優雅にまっている姿がある。

 空は高い。

 心地よい風は、頬をくすぶる。

 時間の流れはゆっくりで、いま乱れている世の中は、まるで別世界のようにも思える。

 八郎たちは、しばらくの間、浜辺を歩くことにした。

 波は緩やかにかすかな音を立てている。

「八郎。あれ、なにかしら?」

 白縫は波に飲み込まれそうな位置に人が倒れているのを発見した。

「人?」

「法師のようですね。あっ……、八郎君!」

 気づいたときには八郎は行き倒れになっている法師らしき男のほうへと近づいた。

「相変わらず、早いわね」


「八郎君~」

 あきれながら目を細める白縫の横で家李は嘆いた。

「おい、大丈夫か? おい」

八郎は、遠慮もなくうつぶせに倒れている僧侶らしき服を守った男の頭を殴りかかろうとした。

「八郎君!!」

家李は、慌てて、八郎の腕を掴み静止させた。

「なにをする!!」

「それはこっちの台詞です!! どうして殴ろうとするんですか!?」

「いやあ、声をかけても起きぬからなあ。殴ったら、目を覚ますかと……」

「八郎君~~!! そんなことしたら止めを刺しちゃいますよ~~。それにこの人。溺れて、どうにかここまで流れ着いたのかもしれませんよ!」

「それはどういう意味だ?」

八郎に睨まれ、家李は恐縮する。

「いえ……その……」

「八郎。家李をいじめないでよ。かわいそうよ」

「そりゃあ悪かったな。けど、こやつ、溺れてはおらぬようだぞ」

「どういうことですか?」

「見ろ。着物がまったく濡れておらぬ」

 八郎が僧侶を指さす。

言われてみれば、気を失っているというよりも気持ちよさそうに寝入っているだけに見える。

確かに服も濡れていない。

「本当に気持ちよさそうに寝ているなあ。しかし、このままだと家李の言ったとおりになるやもしれぬ」

 八郎は立ち上がった

「こら!! さっさと起きぬか!! おぼれるぞ」

「ちょっとっ!!」

「八郎君~~」

 八郎は2人が静止するよりも早く僧侶らしき男の身体を蹴飛ばした。僧侶の体が転がり、俯せになる。、目覚めた様子はない。小刻みに寝息だけが聞こえてくる。

「しぶといやつだ。これは、投げても起きんかもれん」

「八郎君?」

「いや~な予感……」

「冗談じゃ。いくら、俺でもそこまでせぬぞ」

「あんたならやりかねない」と白縫のつぶやきに家李は苦笑した。

そんな2人の様子を気に留める様子もなく僧侶の襟元を掴み上げ、強引にずるずると僧侶の身体を引っ張った。

「八郎君! 仏に対する冒涜ですよ!!」

「構わん、構わん。目を覚まさぬほうが悪いのだ」

「そりゃあ、そうだけど~~」

 白縫は目を細めながらため息をついた。

 僧侶はあっという間に海辺からずいぶんと離されてしまった。もう何十歩も引きずられたというのに根性が座っているのか僧侶は一向に目覚める気配はない。

 一体、この僧侶は何ものだというのだろうか。

 聞きたいことは山ほどある。海の波のざわめきを背後にして八郎たちは自分たちが出てきた林の入り口のある一本の木の下に僧侶の背中をゆだねた。

八郎は腰を下ろすと寝息を立てている僧侶の顔をじっと眺める。年は自分たちよりもいくつか年上の二十歳前後。小柄で華奢な身体つきだが、長年旅をしてきたのだろうか。衣装がぼろぼろ担っており、肌も日差しに晒されて見事に焼けている。

「本当にしぶとい。いい加減起きてもいいだろう」

「八郎君。またですか?」

 眠り続ける僧侶を好奇心の眼差しで見続けている八郎に家李は胸騒ぎを覚えた。

またとんでもない事件を呼び寄せなければいいが……。

その事件の引き金をなるのはこのなぜか眠り続けている肝っ玉のでかい僧侶なのではなかという気がしてならない。

 このまま放っておいたほうがいいのではないかと思いながらも、口に出せないのは、なにをいっても八郎が聞かないということを知り尽くしていたためだ。

「どうしたら、目覚めるのだ?」

 八郎は僧侶の両頬をつまんで思いっきり引っ張ってみたがまったく起きる気配はない。

 ただ頬が赤くなっただけだ。

「もしかして、海に沈むつもりだったのか? いいやあ、悪いことをしたなあ。それなら、俺が海に投げ捨ててやろうか?」

「八郎君!」

「ちょっと!?」

 家李と白縫はさすがに八郎の行動を止めようと声を張り上げた。

「それは困りましたねえ」

 そのまえに突然先ほどまで眠っていたはずの僧侶の目が開くと同時に満面の笑みを八郎たちのほうへと向けられた。

「やはり、起きていたか」

 驚く家李と白縫とは逆に八郎は冷静に僧侶を見た。

「ははは、わかりましたか?」

 僧侶はのんびりした口調で、にこやかに微笑みながら言うとすっと、立ち上がった。

「さすがに起きますよ。あなたは、乱暴ですね。ふつう、初対面に足蹴りなんてしませんよ」

 言葉の内容とは違い、僧侶の口調は実に落ち着いていた

「そのときから、起きておったのか?ならば、なぜそういわぬ」

「なんか、起きるのが面倒でしたから……。それにあなたが海辺から引きずってくれたので少し楽ができました」

「そうか?」

「はい、でもどちらかというと抱えてほしかったんですけどね。さすがに引きずられるのは痛うございます」

「すまぬな。お主が女ならばそれでもよいのだが、男を抱きかかえる趣味はないのでな」

「それはそうですね。あなたは正解だ」

 僧侶はにっこりと満面の笑みを浮かべながら片手で自分の後頭部を撫でた。

「そうか。それよりも、お主はなぜあのようなところで寝ておった」

「急に眠たくなったものですから……」

「だめよ。もう少し場所を考えないと満ち潮になったらあなた海の中で死んでいたかもしれないわよ」

「それは面目ありませんでした」

 僧侶は、まったく危機感のない笑顔を浮かべている。その姿に白縫も家李も顔をゆがめた。しかし、八郎のほうはいつになく真顔で僧侶のほうを凝視し続けていた。どうしたのだろうと怪訝そうに白縫は八郎の横顔を見る。

「お主は……」

「はい?」

「目があまり見えておらぬな」

 八郎の言葉に、白縫も家李もはっとする。

「はい。本の数年前より目が見えにくくなりまして、今となっては人物の顔もぼやけて見れるのです。よくわかりましたね」

「お主の目を見ればわかる」

「ハハハハ。そうですか。どうやらあなたは観察力にも優れているようですね。さすがは源家のご子息であらせられる」

 白縫と家李は目を丸くして僧侶から八郎へと視線を向けると。八郎も多少驚いた様子を見せたがすぐに口元に笑みを浮かべた。

「よくわかったな。俺が源家のものと……」

「長いこと旅をしておりますからね。武将の貫禄がおありの方のようですしいま勢力を拡大している武将ではないかと思いまして……。それを考えると平家と源家しか思いつきませぬ。このあたりの勢力を伸ばしているのは源家という噂を耳にしたものですから」

「そうか。そうだ。俺は源家の八男・源八郎為朝と申す」

「本当にそのようですね。正直、私は感嘆しております」

「感嘆?」

「はい。このような場所で源氏の御曹司にお会いできるとは光栄でございます」

その言葉にしては妙に落ち着いているのだと八郎は思った。最初からこの僧侶は自分たちがここに来ることがわかっていたのではないのだろうか。わざと浜辺に倒れていたのではないかとさまざまな推測が八郎の脳裏に掛けめくった。

「して、お主は何者だ?」

 猜疑の眼差しに気づいた僧侶は少々困惑の色を浮かべたがすぐに温厚に微笑む。

「これは申し遅れました。私は行慈坊と申すものです。長いこと日本中を旅している僧侶でございます」

「旅を?」

「はい。私はさまざまなところを旅して参りました。もちろん、為朝様がおられた京の都にも参りましたし棟梁の為義様にもお会いしたことがございます。摂津国で見目美しい遊女と戯れたこともございます」

「遊女と戯れ……? 僧侶なのに?」

「僧侶も男ですから……」

 能天気に応える行慈坊から八郎のほうへと視線を向けた白縫はなぜか八郎の表情が変わっていることに気づいた。

「八郎?」

 怪訝に思う白縫とは違い何か思うことのある家李はどこか哀れんだような視線を八郎へと向けた。

「あの……」

 気を取り直して、いままで黙っていた家李が遠慮がちに口を開いた。視線が家李に注がれるころには八郎の表情がいつものそれに戻っていた。

「そろそろ、帰りましょう。あっ、あの……、もしよろしければ僧侶様も……」

「行慈でいいですよ」

 行慈坊は微笑んだ。

 


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