卌参 与次郎ノ槍

 高宗は走った。

 彼女を抱きかかえたまま、ひたすら山を駆け抜けていく。

「高宗様。もう大丈夫です。下ろしてくださいませ」

「そういうわけにはいきません。せめて、安全なところまで……」

 そういいながらも、女の身とはいえ、抱えながら走るには、かなり負担がある。正直、腕にしびれが来ている。

「安全なところまでいくには、まだまだ難関が待っていそうでござるよ」

 先端を走っていた与三が足を止める。

 すると、目の前の草木が激しく揺れると同時に引きちぎられ、破裂し周囲に分散する。直後、地面が膨れ上がり、土気色の二尺はありそうな一つ目が一体姿を現す。顔全体を占める大きな目。胴体と頭の区別が全くない平べったい躰。生えた両手はほそく三本指。目の下には大きな口。

「これは?」

「おいらが知るわけないでござる。物の怪の類ってことぐらいにしか、わからないでござるよ」

「どちらにしても好意的ではないみたいだよ」

「さすが兄貴」

 与次郎は、困惑しながら、純粋に尊敬のまなざしを向ける与三を見たが、すぐに槍を構える。

「よし、兄貴。二人で倒すでござるよ」

「うん」

 与次郎と与三は、高宗たちを守るように一つ目の化け物の前に立ちふさがる。

「高宗様、姫様。僕たちがどうにかします。どうか、お逃げください」

「けど……」

「大丈夫です。白縫様の厳しい修行の成果を見せてやりますよ」

「へえ。じゃじゃ馬姫が弟子を取ったでござるな」

「じゃじゃ馬……」

 自分の主人の奥方にとんでもないことをいうものだ。

 もし彼女がこの場にいたならば、どんな反応を見せるのだろうか。

 じゃじゃ馬って、この可憐な姫のことかしら?違うわよね。こんなに美しい姫を馬というものはだれかしら

 そういいながら、与三に鉄槌を食らわすことが想像できた。

 彼女に修行を講じたのは、ほんの数刻。

 源為朝とともに訪れた彼女は、与次郎を見るなり、槍の使い方を教えてやるのだといいだしたのだ。 

「おいおい数刻しかないぞ。ものになるのか?」

 八郎は揶揄したようにいった。

「大丈夫よ。話によれば、鍛錬は積んでいたようだし、基礎さえ教えたら、どうにかなるわ。さあ、いきましょう」

 わけがわからないまま、与次郎は白縫から槍の使い方を教わることになった。槍など握ったことがなかった与次郎は、それを持たされた瞬間にどこか『しっくりいく』と感じた。鍬でも小手でもなく、長い槍は、自分を受け入れようとしているのだと感じた。驕りだったのかもしれない。ただ目新しいものに食いついただけの好奇心旺盛な子供だったのかもしれないが、一瞬で世界が広がったような気がした。不思議だった。彼女の教えが体の中にあっという間にしみこんでいった。

「というわけで、実践ね」

 そういうなり、彼女は槍による攻撃をしかけてきた。驚きながらも体が自然とそれを防いでいく。

「姫様の槍を防ぎました」

 最初に声を上げたのは、為朝のすぐそばにいる側近の家李。

「それぐらいはできないとな。おれの見込んだだけある」

 最初はよかった。あとは、劣勢。やられるばかりで彼女に一勝報いることはなかった。

「まあ、ほんの数刻のうちでこれだけやれるのはすごいことよ。家李なんて瞬殺よ」

「僕は剣が得意なんです。槍の使い型なんてしりせん」

 そんなくだらないやり取りをしたのは、つい昨日のこと。

 いまは生死をかけて戦っている。

 いったい自分がどこまでやれるのか。

 まだ身に着けたたけの武器でみたこともない化け物に敵うのか。正直、自信はない。

 それでも、高宗様に誓った。必ず、高宗様たちを逃がす。

 敵を倒すのだと……。

「兄貴なら、大丈夫でござるよ。さて、参りましょうか」

 与三の手にはいつのまにか、槍の先端に付けられた刃と同じ形をした飛び道具。

「うん」

 与次郎もまた、槍を握り締め、目の前の敵をにらみつけた。

「二人とも……」

「行ってください」

 高宗はうなずくと万寿を抱えたまま、走り出した。

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