丗漆 夫婦

 その目的が何であろうと、万寿の決意に満ちた瞳は変わらない。


 守りたいものがある


 それを守ることができるのならば、自分の身が滅びようともかまわない。

 願いがあるならば、それなりの対価を払うだけだ。


「強い女だ」

「万寿姫のこと?」

 会議が終わると八郎は、中庭に植えられていた梅の木に背を委ねながら、くつろいでいた。

 其の傍らには、白縫が座っている。

「ほかにだれがいる?」

「八郎。あなたは、妻の前でほかの女の話をするなんて、失礼とは思わないの?」

「思わぬ」

「……。そうよね。あんたはそういう人」

 白縫は頭を抱え込んだ。本当に遠慮というものを知らなってほしいものだ。

 けど、どうも癇に障る。

 確かに白縫にも一目見ただけであの万寿という娘の意思の強さが感じられた。

「あの子は、そんなに報酬がほしいのかしら?」

 白縫はつぶやいた。

「それもそうだろう。大事なことだ。お家を再建しようとしているのだからな」

「そういうものなの? 再建しなくても、一家仲良く暮らしていけたらいいんじゃないの?」

「そういうわけにはいかないのだろう。あの目を見ればわかる。あの女子も武士の血を受け継いでいる」

「どういうこと?」

「おれたち、武士というものは、そういう生き物だ」

「意味がわからないわ。ただの護衛役でしょ?」

「護衛だが、誇りはある。どこかの大納言さまや帝よりもずっと家族思いということだ」

 それがだれを指すのか白縫にはよくわからない。おそらく、中央の生臭い権力争いのことを言っているのだろう。

「あの子の父親も武士だったらしいわね」

「聞くところによれば、あの娘の父君は後藤殿に仕えていた武士だったらしい。どのような事情があったからしらぬが、後藤殿の認めた右利きであったという人物だったそうだ。しかし、なんらかの原因で没落、病で命を落としたらしい」

「本来ならば、後藤殿を憎んでいるはずよね」

 白縫は思った。

 脳裏には、彼女の姿が思い浮かぶ。

 しかし、其の表情からは、後藤助明に対する憎しみのような感情が見受けることができなかった。

 すでに悟ってしまっているのかもしれない。

 本人もいっていたではないか

 憎んでも父は戻ってこない。

 大切なものを失うとはどういうことか。



 いまは離れているとはいえども、白縫の父君も母君も息災。となりにいる我が夫も病気知らずのいたって健康体。

 しかも、武術の腕の超一流。

 そんなに容易くやられるわけではない。

 けれど……

 脳裏には、八郎の憔悴しきった顔が浮かぶ。

 完璧ではない。

 ちょっとしたきっかけで、脆く崩れ去る危うさも持ち合わせている。

 もし父君や母君、八郎が失われたとするならば……

 白縫は、隣で目をじっと閉じてくつろいでいる八郎の横顔を見た。

 まだあどけなさを残す男の顔が愛おしく思える。


 彼はそばにいた。初めて会って、契りを結んだときから、ずっと……

 戦に何度か出て行ったけれど、必ず白縫の元へと戻ってきた。

 もしも、もう二度と彼が自分の下へと戻ってこなかったら

 もし、彼が命を落とすようなことがあったならば

 自分が耐えられるのだろうか?


 自分は、大切なものを死に陥れた人物を憎まずにいられるのだろうか。


 気がつけば、白縫は、八郎のその大きな手を握り締めていた。


「白縫?」

「ゴメン……いまだけでいいの。いまだけ……」

「はあ? なにを企んでおる? お前らしくないぞ」

「いいでしょ。私たち、夫婦よ。夫婦は寄り添うものよ。このバカ八郎」

「ええい。耳元で怒鳴るな。頭に響く」

「じゃぁ、いいじゃないの。たまには、夫婦らしいことしましょ」

 そういいながら、白縫は、体を八郎に寄り添わせた。突然の彼女の行動に戸惑いを見せていた八郎だったが、彼女から視線をそらしながらも、その大きな手てで彼女の頭を撫でてやった。

 しばしの沈黙が流れていく。

 風がそよぐ。鳥たちが静かに見守っている。

「おい、白縫。いつまでこうしている?」

「本当に乙女心しらずね。もう少しよ。バカ」

 八郎は困惑する。

「本当に鈍感の馬鹿野郎ね」

 白縫は、ふいに離れる。

「八郎。約束して」

「は?」

「絶対、いなくならないで」

「?」

「私の前から勝手にいなくならないでね。知らないところで死んだりしたらゆるさないから……。あんたを打ち負かすのは私。私しかいないんだからね」

 八郎は、面食らったような顔をしたかと思うと、にやりと口元に笑みを浮かべる。

「おれをだれだと思っている。おれが簡単にくたばるか」

「約束よ。私以外に倒されるんじゃないわよ」

「お前にも倒される気はまったくないがな」

「いってくれるじゃないの。必ず仕留めるわよ」

「さて、どうかな」


 そんな夫婦の会話を縁側に座って、家李と紀平治は聞いていた。

「本当にあの夫婦は素直じゃないなあ」

「そうですか?」

 家李は、紀平治を振り返る。

「いい夫婦ではないですか。私もそうでありたいものです」

「僕には、紀平治殿と八代殿の仲睦まじさのほうがいいと思いますよ。あの二人はいつも闘いたがる」

「そういう形もあるのですよ。あなたも妻をめとれば、わかります」

「そういうものですかねえ」

 どうもピンとこない。

 首をかしげながら、すでに休憩を終えて、取っ組み合いを始めている八郎と白縫を見た。




※※※※※※※



正月三ヶ日は更新ストップしまーす。


次の更新は一月四日予定です



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る