丗嗣 忠臣

「為朝様。為朝様」


 会合を終えてから、しばしの刻が過ぎた頃、庭に立てた藁に向かって弓の練習をしていた八郎に、屋敷の舎人が話しかけてきた。


「どうしたのだ?」


 八郎やその場にいた者たちが一斉に舎人のほうを見る。


「若様はこちらへおいでになりませんでしたか?」

「高宗殿か?」

「はい」


 八郎は、紀平治や家李のほうへと視線を向けたが、二人とも顔を横に振る。


「知らぬぞ」

「そういえば、会合以来、拝見していませんね」

「そうですか」

「おらぬのか?」

「はい。屋敷のどこにもみえないのです」

「そう案ずることではないのではないか?少し屋敷の外を散歩しているだけかもしれぬ。高宗も馬鹿じゃない。危険なことはせぬ」

「わかっております。若様は賢いお方です」

「ならば、よいではないか。案ずるな。案ずるな。じきに戻ってくる」


 八郎は、再び弓を構えると藁を射った。


「はい。失礼します」


 舎人は踵を返すと足早に去っていく。


「あの方は心配性なのでしょうね」


 小さくなる背中を見ながら、家李がいう。

 

「そうだな。しばらく見ないぐらいで、なにを騒いでいる?俺には理解できぬ」

「そういうものですよ。家に仕えるものというのは……」

「そういうものか? 俺は、違っていたけどな」

 家李が八郎のほうを振り返ると、次の弓を放っている。弓は藁のすぐ隣をすり抜けていき、背後の地面に落ちようとしている枯れ葉が二つに割れて落ちた。


「すばらしい。御曹司は、本当によい矢を放ちますな」

「なにをいまさらいうのだ。当たり前だ。俺なのだからな」


 八郎は、両手を腰に添えると、自信たっぷりに鼻を鳴らした

 家李は、その様子にあきれながらも、その深い部分を探ろうとする。あの放たれた弓は、枯れ葉を狙ったのではない。いつものように藁を狙ったはずだ。外れたところに、偶然、枯れ葉が落ちてきたにすぎないのだと、家李は考えている。それは考えすぎなのかもしれない。けれど、家李にはそう思えてならない。

 けれど、八郎に崇拝していね紀平治は、まったく気づく様子もなく、尊敬のまなざしを向けている。


 心配するものなどいない。


 自分がいなくなれば、せいせいするだけだという気持つが彼の中にあるのも知っている


(八郎君。決してそのようなことはございませぬ。

 少なくとも私は、あなた様を常に気にかけております)


 もし、そのような言葉をかけたならば、きっと一笑し、嫌味を言われるだけで終わるだろう。だから、家李が告げることはない。それでも理解してほしい。

 いや、きっとわかっている。

 自分は常に八郎とともにいる。これまでもこれからも離れようとは考えてもいない。未来永劫の忠臣でありたいと願っていた。


 その頃、高宗は馬を走らせていた。

 どのような娘がくるのか、父ははっきりとは言ってはくれなかったが、すぐに予想がついた。

 自ら、「生贄」になろうという娘などいるはずがない。

 だれもが自分の命を惜しむ。もし大切なものがいるならば、そのものを悲しませるようなことはしないはずだ。

 武士ならば、君主のために命を投げ出すこともあるのかみしれない。されど、女子にそのようなことができるのだろうか。命を投げ出すほどの強い願いがあるというのだろうか。それができるというならば、答えは一つ。

 彼女が武士の一族の血筋ならば、あり得るのかもしれない。

 それに似合う娘など、高宗が思い浮かぶ者は一人しかいない。

 一度しか見たことのない少女

 かつての師匠と似た眼差しを持つ娘

 瞳に奥に潜む強い光。

 彼女しかいない。

 

 彼女なのか。

 別の娘かもしれない。


 高宗は首を振る。

 

 別の者のはずがない。自分が向かう先に現れるものは、彼女だろう。


 高宗は、本能的に確信していた。


 いや、ただ会いたいだけだったのかもしれない。どのような形でもいいから、あの見目麗しき姫君に再び邂逅したい、それだけで馬を走らせている。

 高宗の脳裏に浮かぶ娘。

 なによりもだれよりも、早く。

 高宗の馬はさらに早くなり、高瀬の里へと走っていく。


「青春じゃのお」


 屋敷を飛び出した高宗を偶然に見かけた別当は追いかけることもなく見守っていた。


「おや?」


 別当は、だれかの視線を感じ、振り返る。

 誰もいない。周囲を見回してみたが、すでに気配も消えている。


「気のせいだったか」


 別当が首を傾げながら、屋敷のほうへと入ろうとすると、羽ばたきの音が聞こえはっとする。物陰から一羽の鶴が飛び立つ姿が見えた。


「鶴?」


 別当はどこかへ向かう鶴を見守っていたが、八郎に知らせたほうが良いのかもしれないのだと、屋敷へ入っていった。


 さて、別当の上空を飛び立った「鶴」は、しばしの間高宗の後を追いかけていたのだが、あきたのか再び上空を舞い戻り屋敷の屋根の上に止まり、八郎が弓の稽古にいそしんでいるところを見つめていた。

 やがて、為朝の元へと別当と行慈坊の姿が現わす。

 一瞬行慈坊は、鶴の存在に気づいてこちらのほうへと視線を送ったのだが、すぐに八郎のほうへと視線を向けた。


「行慈坊。して、弓のほうはどうなった?」


 八郎は、手を止めると行慈坊のほうを振り返った。

 別当は、高宗が一人屋敷を飛び出していったことを伝えようかと思ったのだが、八郎の興味は弓に注がれており、早急のことでもないと判断し、口を閉ざす。


「はい。手はずは整えましたので、あと五日ほどすれば弓は出来上がると思います」

「五日か」

「しかし、五日で出来上がってすぐにというわけには、いきませんよ。御曹司」

「そうだ。八郎君、八人張りの弓など引いたことないであろう。幾度か弓を射てみて、鳴らさねばならないだろう」


 紀平治に続けるように別当がいった。


「そうだな。しかし、まあ何度か鳴らせば大丈夫だろう」


 八郎は、自信ありげに言った。


「そうだとよいのですが……」


 さすがの御曹司も、八人張りの弓を引くなどできるのだろうかと、紀平治はあからさまな顔をする。


「心配ご無用。俺をだれだと思っておる」


 そういうと、八郎は、近くにあった木のほうへと近づいた。


「八郎君!」


 家李が止めるよりも早く、八郎は、その自分の背丈よりも一回り大きな木を軽々と根っこから抜き取った。


 そして、そのまま上へと投げると、大木は軽々と宙を舞い上がり、投下していく。地面が振動し、木は根っこから土へと戻っていく。


「ハハハハ。どうだ」

「八郎君! やめてくださいよ!」


 悲鳴を上げる家李をよそに、八郎のほうはいたずらが成功したことを楽しむかのように豪快に笑う。


「とんでもないことをする童じゃのぉ」


 その様子を眺めていた『鶴』は、ため息を漏らした。









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