弐ノ章
廿壱 唯一無二
野風は、はっとしたように天を仰いだ
「どうしたのだ?野風よ」
紀平治は訝しげに野風を見る
野風は、ただじっと空を見つめていたかと思うと、横を見る。どこか安心したかのように頭を落とし、目を閉じて寝息を立て始める。
どうしたのかと野風が視線を向けた方向を見ると、かすかな気配を感じた。はっきりとはわからないが、野風の表情が穏やかになっていることから、おそらくそばに片割れの魂がよりそっているに違いない。
生まれた時からともであった兄弟。
どんな生き物にも必ず訪れる『死』
されどその魂は転生を繰り返しながら、生き続けるという。
そして、山夫の魂もまた野風とともにある。
「そうか。いつも一緒なのだな」
紀平治は、野風を撫でながら、背後へと視線を向ける。
八郎は、壁に背を預けたまま眠りについている。
もう長い時間。あの体制でいる。
目を覚ましては、眠り続ける家李を心配そうに見ては、早く起きろと呼びかける。家李の息は規則正しい。ゆえに今すぐ、どうこうなるわけではない。医者の話だと快復には向かっているらしい・されど、目覚めない状況である異常安心はできない。着物からのぞかせる火傷の跡が何よりも、八郎を追い詰めている。
そんなに自分を責めないでください。
そう語り掛けるべきなのかもしれない。けど、いまの八郎には響かないだろう。
先日の高宗の声さえも上の空だった。
空っぽの心を埋められるものなど、いまここで眠り続ける家李以外にいるのだろうか。
彼らもこの二匹の狼のように、生まれたときから一緒だったという。なにかと目の敵にされがちだった八郎にとっては、唯一無二の親友であり、実の兄弟よりも兄弟らしかった。もし、失ったならば、精神的打撃は相当なものだろう。
ふいに脳裏をかすめたのは、出会ったころ。
以前より噂にあった齢十三の
だから、豊後国の山で偶然に出会ったことを運命と感じ、半ば強引に家臣となり、いまに至る。八郎は、疑うことを知らない。驚いて見せたが、腕がたつのだと見定めた瞬間にあっさり承諾した。そのせいか、逆に家李のほうが猜疑の眼で見ていた。されど、時間をかけて、自分が平家の間者ではないことを理解してもらい、いまでは一目置かれている。
「紀平治殿。紀平治殿」
その時、塀のほうから声が聞こえて振り向くと、塀の上に小柄な童の姿があった。黒装束で背中に一本の刀を背負った童。
「与三……」
紀平治がその名を呼ぶと、塀から飛び降りると、中のほうへと視線を向ける。
「まだ眼覚めんのでござるか?」
「ああ、御曹司もあの通りだ」
「まったく情けない。おいらのほれた主はどこへいったのやら……。これなら、おいらのいたずらも成功しそうでござるな」
「やめておけ。それは不謹慎だぞ」
「わかっているでござる。でも、いい加減、元気だしてもらわんと、識が下がるでござるよ」
「なにか考えでもあるのか?」
「そのために、若にはよい薬を持ってきたでごさせるよ」
「薬?」
「そろそろ、つくころでござる」
紀平治が怪訝に首をかしげていると、なにやら外のほうが騒がしくなってきた
「八郎!八郎!」
馬の走る音が近づいていくとともに、女性の甲高い声が屋敷内に響き渡る。
「この声は?」
「姫でござるよ」
与三は、にやりと口元に笑みを浮かべる。
すると、屋敷内にズカズカと足音を立てながら、一人の女性が廊下をかけてくる姿が見えてくる。その後ろには、紀平治の最愛の妻が髪を乱しながら、大股で歩く姫の後ろを急いでついてきている。
まだ目に光を宿している姫とは違い、八代の顔には疲れが滲み出ている。どうやら阿蘇の屋敷から休みなく、馬を走らせてきたようだ。
白縫姫は、家李の眠る部屋へ入ってくるなり、その傍らで座り込んでいる八郎の前で仁王立ちをする。
さきほどまで憔悴の表情をしていたはずの八郎は、大きく目を見開く。
「し……白縫」
紀平治は、久しぶりに八郎の声を聴いたような気がする。
「なにやってんのよ! この馬鹿八郎。柄じゃないことしてんじゃないわよ! このくそ馬鹿小僧! 情けない! 情けなさすぎて、死んだ山男も、家李も愛想尽かすわよ! なんて、情けない主に仕えたのだろうって……ああもう、私もこんなやつの妻だなんて、情けなくて、情けなくてしょうがない。図体ばかりでかい中身なしの臆病者だなんて……。最悪よ! さ・い・あ・く!!」
白縫は、他者に口をはさむ余地さえも与えず、怒涛のようにしゃべり散らすため、だれもが唖然と彼女を見ている。
八郎も目を見開いたまま固まってぃる。
「どんなに図体でかかろうとも、弓の腕が一流だろうとも、こんなところで人生終わったみたいな顔をされちゃあ、たまったものじゃないわよ。
あの源氏の御曹司が聞いてあきれるわ」
彼女は、それでも豪族の姫君。類まれない美貌の姫君から発せられる毒舌ぶりには、はじめて見るものにとっては、舌を巻いてしまう。ゆえに突然訪ねてきた豪族の姫君の行動に、慌ててついてきた高宗たちは口をあんぐりとさせている。
「あ~あ。なんか、腹が立つわ。もう!情けない、情けない!!」
どこまで本気なのだろうかと、紀平治は苦笑いを浮かべ、傍らにいる与三は楽しそうにニコニコしている。
「それぐらいにしてくださいませんか?姫」
その時、眠っていはずの家李の声で、一同がはっとする。
「九郎!」
八郎は、身を乗り出しながら、目を開けた家李をみた。
「おまえ。大丈夫なのか?」
「はい。ご心配かけました」
まだ弱弱しい声なのだが、その瞳には生気が宿っていることを確認できたせいか、八郎の瞳にも光が宿る。
「心配したぞ。九郎……」
「大丈夫ですよ。でも、久しぶりですね。八郎君が僕を九郎と呼ぶのは……」
八郎は、気恥ずかしそうに俯いた。
「八郎君」
家李は、上半身を起こした
「無理をしては、ならん」
「大丈夫です。痛みはあまりありませんから。だから、僕のためにそんな顔をしないでください。」
「九郎。悪かった。俺のせいで……」
「いいえ。八郎君をお守りするのが、僕の役目ですか、気にやむことはございません。どうか、いつもの八郎君にお戻りください」
家李は再び微笑んで見せた
「九郎」
八郎の安堵の表情を見た白縫たちもまた、胸をなでおろした。
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