間ノ章

拾捌ノ壱 京ノ都ノ妖童(一)

「若様!若様!」

 七つになったばかりの童は、庭先にある梅の木の太い枝に座り、もぎ取った桃を丸かじりしながら、空を眺めていた。下のほうから、童の乳母の声がして、視線を下に向けると、まだ三十にも満たない女性があきれ顔で見上げている。

「若様!降りてきてください。だんなさまがお呼びです。」

其の言葉に、ようやく童は侍女のほうを見下ろした

「父上が?」

呼び出されたということは、あまりよい知らせではないだろう。というよりも、良いことで呼び出されたことなど、童の記憶にはない。対外はお叱りを受けるのだろう。

想像できるゆえに、正直行きたくない。

 だが、行かないわけにはいかないことも、子供ながらわかっていた。それでも、どうにか逃れようと、彼女を無視して青々と澄み切っている空を眺めている。

「はい、だから、早く降りてきてください」

 それでも無視した。

「来ないなら、引きずり落としますよ」

 そう言いながら、彼女木に登ろうと踏み込んだ。

「やめろ。おぬしでは無理だ」

「だったら、降りてくださいませ」

「わかった。降りるから、無茶はするな」

 童は、頭をかくと、木から飛び降りる。

 地面に足をつけて立ち上がった童は、幼子の顔立ちをしているが、体つきはもう元服を迎えてもいいほどに大きい。後ろ姿だけみれば、かぞえの十二は超えていそうだ。

 三十路の女とさほど背丈がかわらない。

「若様、また、なにをなさったのですか?」

「なにかした覚えはないが……。そういうことだろう」

「若様?」

「まあ、いい。とにかく、父上の元へいこう」

 童は、父まいる屋敷のほうへと歩き出した。


 童の姿をみた父親は、有無も言わずに叱咤した。

「お前というやつは、なぜ、兄弟を困らせるようなことをする」

 また始まった。これで何度目の父の逆鱗に触れたのだろう。半分は自分の批だとわかる、その半分は身に覚えがない。

 何度か自分ではないと否定してみたこともあったが、父は断固として聞かない。完全に童が悪いのだと決めつけている節もある。だから、いつのまにか、童には否認する気持ちさえも起きず、ただ父の小言を聞き流すことが多くなった。そんな態度は、父の逆鱗に触れかねないことは、いうまでもない。

「八郎!聞きておるのか?」

 父の怒鳴り声も聞き飽きた。もう解放してほしいのだと、縁側に視線を向けていると、兄弟たちが木陰に隠れこちらに聞き耳を立てていることに気づいた。

 彼らは笑っている。

 ざまあみろという声が聞こえてくるような気がして、腹立たしい。

 彼らだ。

 彼らがなにか悪さをして、すべてを八郎に擦り付けたのだろう。

 あとで懲らしめてやろうかと思った。それが堂々巡りであることもしらずに、幼い八郎は自分を陥れようとした兄弟たちへの怒りがこみ上げてくる。

「八郎!なんとか言いなさい!」

「それじゃあ、いわせていただきます。父上」

童はまっすぐに父親の顔を見た

「おれは、なにもやっておりませぬ。牛車にいたずらなどしておりませぬ。」

「偽りをいうでない!六郎や七郎がいっておったぞ!!それに、その母もいっておった!これほどの証人がおるのだ。言い逃れはできん」

「お言葉ですが、父上。それは彼らが口をあわせたにすぎませぬ。

俺を陥れようとしているだけですよ」

童の口調は、冷たかった

父親でさえも全身に寒気が伝わってくるのを感じながらも、童を見据える。

「言い訳をするな!」

「いいわけなどではありません!」

「父上!そやつのいうことなど真に受けてはなりませぬ」

童が何かを言おうとする前に木陰で様子を伺っていた二人の兄弟たちが姿を現した。

「お前たち?」

「私たちは、本当にこの八郎の傍若無人ぶりにはほどほど困っておるのです」

そういったのは、童とさほど年の変わらない兄弟の一人。なにかと童を目の敵にしている。

「この前など、私のかわいがっていた鳥にいたずらをしたのですよ」

 もう一人がいう

「なにをいっている。六郎」

八郎が声を荒くすると、二人の兄弟は体を寄せ合うようにして、一歩後退し、青ざめた目で見る。

「恐ろしい。恐ろしい」

兄弟がまるで呪いの呪文でも唱えるかのようにいう。

「八郎!いい加減にしなさい」

「父上!」

童は、もはや、返す言葉が思い浮かばない。二人の兄弟の視線は冷たい。卑しいものを見る目。いやもっと別の畏怖の眼差し。

軽蔑

彼らの母は公家の出身。自分はどこの骨ともわからない遊女の子。その拭いきれない出生の事情が、兄弟でありながら隔たりを生んでいた。

「父上!俺は、失礼する!」

童は、父親が止めるのも聞かずにその場から出て行ってしまった。

「ああ。恐ろしい。」

「恐ろしい」

 兄弟がささやく

「おぞましい。おぞましい」

「おぞましいこじゃ」

 兄弟の声

 その母の声

 その声はただひたすら彼を呪っている。

 そう感じるたびに引き裂かれそうな思いをする。

 気づけば、距離を置く。多くの兄弟を持ちながらも、彼には兄弟など存在しないも等しかった。

 ならば、求めるものは別の世界。

 武家などではない自分が存在する世界こそが自由だった。

だから、一日のほとんどを屋敷で過ごすことはなかった。

山へ入っては狩りをした。武家であることを隠して、身分の低い子供たちとともに大人たちや身分の高い子供に対するいたずらもしたこともあった。

 そういう彼の行動はさらに兄弟たちとの関係を悪化させていく。

 だから、どんな身に覚えのないことでも、犯人は自分になってしまう。


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