参 後藤家の嫡男

 肥前国松浦郡を治める後藤家の長子・高宗たかむねが最初にあの山に囲まれた小さな村へと訪れるようになったのは、これより二年ほどまえに2人の百姓の子供が高宗の澄む後藤家の屋敷に訪れたことが始まりだ。

 黄昏時、高宗がいつものように、剣術の稽古を終えて、自分の部屋へと帰ろうとしたときだった。

 何やら、門番たちが騒いでいる声が聞こえてくる。

 なにかあったのだろうかと、屋敷の門のほうへと向かうと、どうやら農民らしき童二人と言い争いをしているようだった。

「だめだ。だめだ」

「なにをしておるのだ?」

 高宗が話しかけると門番も少年たちもはっと振り返る、

「若さま!!」

 高宗は、門番たちを見る。

「じつはですね。この若者たちが領主様に会わせろと騒いでおりまして……」

「父上に?」

 高宗は農民たちをみた。みすぼらしくやせ細ってはいるが、年齢は自分と変わらないほどだろう。

「あなた様は若君様でございますか?」

 少年たちのうちの一人が真剣な眼差しで高宗をみた。

「そうだが?」

「お願いします!! どうか領主様に会わせてください」

「こら!!」

「よい」

 高宗は一歩少年たちのほうへと近づいた。

「して、父上に何用だ?」

「大蛇が……」

「大蛇?」

「大蛇が村を襲うのです!」

 兄らしき少年の言葉をさえぎるように弟が叫んだ。

 一瞬目を見開いた高宗だったが、すぐに少年たちがいおうとしていることを理解した。

「わかった。私が父上に取り次ぐことにする」

「若さま!!」

「いいだろう。この若者たちは真剣だ。父上は情のあるお方。たとえ農民といえども話を聞かぬはずがない。さあ、この若者たちを父上のもとへ……」

「……。高宗様がそうおっしゃるのならば……」

 門番は困惑しながらもしぶしぶ中へと2人の兄弟を案内することにした。

「ついてきなさい」

 兄弟は門番の跡をついていくまえにもう一度高宗を振り返った。

「あの……ありがとうございます」

「いや。かまわぬ。早く父上の下へいってお知らせしてくれ」

 二人の兄弟は、高宗に背を向けると屋敷の中へと入っていった。


 高宗は、さほど刻を置かずに、父の元へ向かうことになった。

 父はすでに鎮座して、こちらへと視線を向けている。

「父上。お呼びでしょうか?」

「ああ……」

 高宗は、父の前に座った。

「実は、先ほど農民の若者たちがきてのう」

「はい」

「あの若者たちによると彼らの村で大蛇があばれておるとのことじゃ」

「はい」

「そこでお主に本当に大蛇がおるのか確かめてきてほしいのだ」

 高宗はなんとなく予感していた内容とはいえ、すぐには返答しなかった。

 拒否権などあるはずがない。もちろん拒否する理由はどこにもない。むしろ、大蛇というものに興味がある。その存在はお伽話としか思えない代物。太古昔、須佐之男命すさのおのみことが退治したという八岐大蛇やまたのおろちが脳裏に浮かぶ。そのような存在がこのような田舎にいるというのだろうか。

「はい。畏まりました。父上」

 しばしの沈黙ののちに、高宗は父の命令に従うことにした。


 世も暮れてきたために、二人の農民を屋敷に泊まらせ、翌日、高宗は数人の舎人を連れて、大蛇の住まうという里へと向かう。

 里へたどり着いた高宗が見たものは、農民たちがいった通り荒らされた大地の姿。田畑も家屋も荒らされ、農民たちの表情には怯えが浮かびあがってぃるいつまた襲われるかという恐怖。そんな中でやってきた武将らしき男の姿がさぞ希望に見えたのだろうか。

 高宗たちを見るなり、村人たちの瞳にかすかな光が宿る。


 それから、しばらくの間、里に滞在してみたが、一向に大蛇が出る気配はない。ただ、稲作だけが毎晩のように食い荒らされていくのを目の当たりにするだけだ。

「どういうことだ。夜もちゃんと見張っているのだろう?」

「はい。抜かりなく、交代で見張っております。しかし、荒らされたところをみたものはおりませぬ」

 高宗の問いに家来たちは、戸惑いの色をうかがわせている。

 見ていない。

 犯人らしきものも見ておらず、気が付けせっかく育った稲が根こそぎ持っていかれてしまう。

 そのようなことがあっていいのだろうか。

「しかし、村人の中には見たものがおるのであろう?」

 高宗が村長に尋ねた。

「確かにみたものはおります。与太郎、与次郎の兄弟がそうでございます」

「他には……?」

「あとは数名おりました」

「いた?」

「しかしながら、彼らはすでに亡くなっています」

「死んだ?」

「はい。正確には殺されたのです。おそらく、大蛇に食い殺されたのでしょぅ。それは無残な姿でした。いま、大蛇を見た生き残ったものは、あの兄弟のみです」

「……とにかく、私たちは一度屋敷に戻ろうと思う」

「しかし……」

「心配せずともよい。数人の手勢は置いておく。なにかあれば、知らせよ。必ず駆け付ける」

「かしこまりました」

 そういいながらも、村長の顔には絶望感をにおわせている。

 どうしろというのか。

 見えない敵に勝負を挑もうというのは、野暮なこと。もっと、確かななにかがないと対処しようがない。

 高宗は、それを告げることはしなかった。失意のどん底に突き落とす必要がないからだ。それに、高宗としては、この件をうやむやに終わらせるつもりはない。

 なんとかして、《大蛇》に遭遇したいものだ。

 「若様……」

 帰途へ着こうとしたとき、あの二人の兄弟が近づいてきた。もの言いたげに高宗を見ている。

 それだけで十分だ。痛いほど、彼らの悲痛の叫びが伝わってくる。

 無力であるゆえに懇願する。

 ただ、それだけのことしかできない虚しさ。

「今は立ち去ることになったが、必ず再び逢いまみえる」

「若様……」

「なにかあれば、知らせよ」

「……。はい、お待ちしております」

「若様。そろそろ……」

「ああ、わかった」

 高宗は馬に乗ると、再び兄弟を見た。

「では……」

 馬の手綱を引くと、馬がゆっくりと歩き出した。


 里を出て、しばらくすると不意に馬の脚を止めた。

「どうなさいました? 若さま」

「いや、なんかいやな予感がする」

 高宗の中で胸騒ぎがした。

 引き返したほうがよいのではないか。

「うわ!!」

 そんなことを考えていると、家来の一人が声を上げるのを聞いた。

「どうした?」

 高宗は家来に尋ねながらも、馬のすぐまえに旅装束の坊主に気づいた。

 年は二十台半ばほどの高宗よりも小柄な坊主だ。

「そこの坊主、何をしている」

 家来の一人が坊主に怒鳴りつけると、坊主は笠をくいっとあげ、高宗たちに笑顔を向けた。

「おや?」

 坊主は、猜疑心の眼差しを向けられるのも、気にせず、高宗のほうへと近づいてきた。

「おい。まて……」

 高宗は、いまにも坊主に切りかからんばかりでいる家来を制止させると、自ら馬から降りる。

「すみません。私はあまり目が見えていないものですから……。けれど、あなたさまが高貴なお方であるのは、感じます」

「目が見えぬのにか?」

「完全に見えないわけではありません。ただぼんやりと人の《気》が見えるのです」

「《気》ですか?」

「はい。人それぞれに《気》というものがございます。その《気》はあなたさまが高貴なお方だとしめしているのです」

「そうか。私は後藤家嫡男高宗と申す」

「後藤さまの?それは素晴らしいことでございます。後藤様は慈悲深き方。きっと、水神様を取り戻してくれるでしょう」

「水神様?この村の守り神か。いなくなったそうだが……」

「はい。さようでございます。それから大蛇が暴れまわるようになったそうです」

「そういうことか」

「それで、これから帰られるのですか?」

「ああ。一度戻って父上に報告せねば、ならない」

「……。確かめなくてよろしいのですか?」

「確かめる?なにを……?」

「あなた様はそれが目的だったはずです」

 その言葉に高宗は、はっとする。

「それは……」

「姿を現すはずです。一度、確認してくださいませ」

 高宗は考えを巡らせた。

「坊主がいない」

 家来の声にはっとする。ほんの一瞬。さきほどまで、いたはずの坊主の姿が消えていた。周囲を見回しても人の気配はない。

 キツネにつままれたような思いで、呆然とする。

「戻るぞ」

「若様?」

「いますぐ、里へ戻る」

「坊主のたわごとを聞くのですか?」

「嘘か誠か。わからぬ、しかし、坊主のいうことには意味があるはずだ。いくぞ」

 高宗はしばらく再び馬に乗り込むと馬を逆方向へと向けた。

「若さま!!」

 家来たちは慌てて、高宗を追いかけた。


 里へとたどり着いた高宗の目には、山頂付近にある大きな岩に白いものが巻きついている姿だった。

 白銀の鱗は、魅了されるほどに美しい

 その顔はまるで龍のように八つの角をもっている。

「大蛇……。まことにいたのか……」

 高宗は、感嘆の声をあげた。

 その直後に見た光景に、高宗たちは言葉を失った。

 村の中。漂っているものは異臭。地面に流れているのは、生ぬるい赤い液体と、すでにこと切れている村人たちの姿。

「これは……いったい」

「高……宗……さま……」

 はっとすると、そこには傷だらけになりながら、こちらへと向かてくる少年の姿があった。

「与太郎!」

 与太郎は高宗のほうへ崩れるように倒れこむ。

「なにがあった?」

「現れ……ました……大蛇が……。人を……」

 その直後、与太郎は意識を失う。

「おい。与太郎」

 気を失った与太郎を抱えながら、大蛇のほうをにらみつけた。

 大蛇はまだそこにいた。岩に巻き付き、視線はまるで高宗たちを揶揄するかのように注がれていた。

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