第57話
「それはさ。お前が一番分かってることじゃないの?」
男は讀賣の問いに面倒くさそうに無精髭を撫でて答えた。
この短い間で讀賣が男に読み取っているのは二つ。
ケルプと同じく、虚勢紛いな勢いなどに任せたりする事はしない。
そして最後。
男が無精髭を撫でているときは、心内状態がしっかりしている、ということだ。
つまり、現この状態は、本当のことしか言わないということだ。
「俺が分かっていること?」
オウム返しに聞いてくる讀賣に呆れの兆しを見せる男。無精髭から手を放し、その手を讀賣の肩へとおく。
「オレはお前であってお前じゃない。そんでもって、俺はお前が枷について色々考えてて、それで無意識のうちに作り出してしまった、いわばお前のコピーだよ」
「え? じゃ、じゃあ」
言葉を続けようとする讀賣を遮るように、男は言った。
「まあさっきまでは本当に地球にいたころの俺だったんだけどな」
緊張感のない事を言ってくる男に、讀賣は苦笑いを浮かべてスルーをする。
この時、男が讀賣に気を使っていった事には、讀賣は気付かなかった。
自分自身を助けるために呼んだ男を、自分はそれに気付かずにただ単純にあくと認識し、攻撃をしていたのだ。
イジメによって鍛えられた人の良さを持っている讀賣がこのことをしったら、きっと謝るだろう。
それを察しての被害が少なくなるように、というフォローであり、男の最高の粋な計らいだった。
「それで? もう吹っ切れたのか?」
何が、あえては言わない。
それはしっぺ返しのように起こり、思い出したといわんばかりに顔をハッとさせる讀賣の顔の眉間を細く纏めた人差し指と中指でつつく。
「もうお前には俺はいらない?」
意地悪そうに聞いてくる男は、歳相応にしわがついた笑みを浮かべていた。
今すぐこの顔面に拳をぶち込みたい。
きっとこの瞬間が来るまではそう思うだろう。
だが、今は違う。たった何十分かという短い期間でも、初対面でも、消えては欲しくない。そう思うのはきっと……
「お前、だからかな?」
そういった讀賣の顔には、先程止まったばかりの涙が再びと浮かび上がる。
涙は水玉となり、瞬きをした瞬間、水玉がはじけ、涙として流れ始める。
「おいおい。こんなときに泣いてくれるなよ……寂しくなっちまうじゃねぇかよ」
そう言うと、次々と浮かんでくる涙の粒を、人差し指を丸めて掬う。
「……俺だって寂しいの我慢しているって言うのによ。お前さんが泣き出したせいで俺まで泣きそうになったじゃないかよ」
もう片方の手で自分の目を擦り、微量に出ている水の粒子を吹き払う。
何度か目の上を腕で拭くと、先程とは打って変わり、しっかりとした眼差しへと変わる。
そっと一息、讀賣も変わった雰囲気に焦らずに程よい緊張感を体に纏わせる。
「俺はいつでもココにいてやるからよ、枷が弱まったらいつでもこいよな」
讀賣の胸をノックをするようにして叩くと、一瞬だけ穏やかな笑顔に、涙を浮かべた。
だが、それでは止まらずに、言葉を続けた。
「だからよ。皆のところに戻ってやれよ」
男はそう言うと、指を鳴らして現実の世界の讀賣を写した。
そこには、説教をされているギレーヌと、説教をするルーネがおり、添い寝をしているレグリーと、まるで乙女のような顔をしているリーナ、そして乙女のような顔をさせているマロー二と、魅了を加減しろと怒るクローニがいる。
「もうあそこはお前がいなきゃいけない場所、お前の場所、なんだぞ。そんな無責任なこと、していいのかよ」
切り傷などがついた肩を竦ませると、深いため息をつく。
讀賣が寂しそうにそっと手をさし伸ばす。
「別にもう合えない、なんてことはないんだ。まずはひとまずの別れだよ」
差し出された手を握ると、先程までの陽気な笑顔を崩し、顔を伏せた。
「男の別れには言葉はいらない。俺が振り向いたら、帰れよ、わかったな?」
「ああ」
半身を引き寄せ、足を上に上げ、男は讀賣に背を向けた。
そして、一つの光が生まれ、途端に男の背後から音が聞こえた。
――お前と出会えて、俺は俺を見つけられたよ。
と。
その音を最後に、光が消えたこの空間に、精神世界には、一人しか居なくなった。
そして取り残されたように立っている男は涙をこぼし、こう言った。
「ったくよ。キザな所まで似なくて良かったのによ」
顔を伏せたまま、噛み締めた歯の間から、堪えた嗚咽を漏らした。
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