番外編

傷ついた二人

 ベルアとの決着を終えた日から数日後、クランの研究所では、無理矢理家具を動かしたことによりとっ散らかったままのリビングで安静にしている明里とクラリスの姿があった。

 外から運ばれ目を覚ました後で、即席で作られたベッドの上に移動させられた明里は、皆の協力でなんとか見つけ出した整形外科医の適切な治療を受け、これまたその場で作れる限りの材料で作られたギプスで右腕を固定されていた。


 クラリスは、ベルアとの戦闘時の10%も動かせなくなったぼろぼろの右腕をぴくぴくと痙攣させながら、明里のことを見守っていた。

 現在クランは、徹底的に破壊されたリリアとエステルの修理に何日もの間集中しており、残っている機材や修理の為の部品も、その二人に注ぎ込まれていた。

 更にはその調達源の一つであった上階は、ベルアによって破壊されている上に、まともに四肢を動かせるであろう人員がクロム一人しかいない。


 そのクロムも、満身創痍の状態かつ慣れない膨大な魔力の放出を行ったために、皆と同様にボロボロだった。見た目は無傷のように見えていても、実際にはクロムの身体は今までに感じたことのない程の倦怠感と無力感に襲われていた。

 そのようないくつもの事情が積み重なり、明里とクラリスは二人でじっと待つような状況となっていた。


「おっす、調子はどうよ?」


 複数の荷物が詰まったビニール袋を持った孝太郎とクロム、そして、以前クロムとコンビニ片付けの手伝いをした少女と母親が、クランの研究所へとやってきた。

 少女の首には、クロムが作った艶のある星形の綺麗な小物から作った首飾りがかけられている。


「はい。まだ結構痛みますね」


「まあ、しょうがねえよな。ともかく、無理せずゆっくり休んでくれよな。これ、冷蔵庫に入れとくッスよ」


 孝太郎が持ってきたのは、何日分かまとめて詰められた飲食物。

 誰も動けない分、なんとか外出できるクロムが皆の世話をするしかない。しかし、今のクロムはギリギリ荷物を持てる程度のパワーすら回復しきれていなかった。

 そのため、定期的に孝太郎と誰かが一緒についていき、必要な物資を運んでもらうという協力体制を作り出していた。


「……いつもありがとうございます、孝太郎さん」


「あたりめーっしょ? 世界を救った功労者に、これだけじゃ足りねえっての。んじゃ、これ片付けとくッス」


 冷蔵庫の中に飲料を放り込みに行った孝太郎。

 その間、手伝いについてきた親子はクラリスと触れ合っていた。


「おねえちゃん、どうしてうでがないの? いたくない?」


「ああ。最初はすごく痛かったが……今は大丈夫だよ」


 クラリスは未だひくつく右手を、握手を求めるように差し出す。

 少女は優しく触れ、手のひらに指で紋様をなぞった。


「はい! これおまじない! クロムちゃんにもあげたんだよ!」


 鈍い感覚ではあるが、少女がなぞってくれた場所が、じんじんと温かく感じる。

 クラリスは頬を緩めて、優しく少女の頭を撫でた。


「ありがとう、元気出たよ。とても優しいお子さんですね」


「はい。私達も、この子に勇気づけられました。…………改めて、本当にありがとうございます」


 深々と頭を下げてお礼を口にする母親。

 ここまでのお礼を直接もらったことがなかったクラリスは、どこか胸の奥が温かくなるような、それでいて柔らかくふわふわとしたような、そんな感覚が湧き上がった。


* * *


 孝太郎達が退出し、どこか寂しいようなので雰囲気も感じられるくらいに静かになった研究室のリビング。

 明里は起きてはいるが、身体を全く動かせないために、首だけを左右に動かして部屋の中を見渡すことしかできない。

 クロムはちゃんと動けるようになるまでは、一日のスケジュールは何か少し動いたあとで大量に食事を摂取し眠るという、動物の蓄えの時期のような状態になっていた。


 そのため、今はテーブルの下でネットサーフィンすら行わずぐっすりと眠っている。

 最も傷の少ないクランは、大破したエステルとリリアの修復を行っていることもあって、結果的に日常の中で動けるのはクラリスだけとなっていた。


「……あの、クラリスさん、ジュースもらっても……大丈夫ですか?」


「ああ、ちょっと待っててくれ」


 喉が少し乾いた明里は、クラリスにジュースを持ってきてもらうお願いをする。

 クラリスは快くそれを了承し、右手を使わずに立ち上がってキッチンの冷蔵庫の前まで向かった。

 かたかたと動く右手をドアにかけ、思いっきり力を入れてなんとか開き、紙パックに入ったりんごジュースを取り出す。

 それからドアを肩で押して閉め、歯を使ってストローの袋を取り、頑張って片手でパックの口を開いた。


「傷だらけとはいえ情けないな……こんなことにすら手こずるとは」


 ふっと悲しそうな悔しそうな、しかし負の念は殆どこめられていないちょっと明るい溜息をつき、クラリスは明里の眠る即席ベッドまで向かう。


「明里、これでいいか?」


 普通に持ってるだけでも震える紙パック。そっとストローを明里の口元に近づける。

 心配そうな顔を見せながら、明里は急いでストローを口に含みジュースを喉元へ流し込んだ。


「ありがとうございますクラリスさん。もう大丈夫ですよ」


 笑顔を向けて、飲むのを中断する明里。そんな様子を見て、クラリスは少しだけ複雑そうな表情を見せた。


「本当にもういいのか? もう少し飲んでも……」


「ううん、大丈夫ですよ。その手も辛そうですし……」


 はっとしたように、クラリスは震える右手に視線を移す。

 嫌でもわかるこの身体の異常。これが明里には、無理して気を使っている辛い状態だと思われてしまったのだと察した。


「……気にしなくても良いよ明里。確かにうまく動かせなくはあるが、そこまで痛いとか辛いとか、そういうものは感じていない」


「でも……」


「ふふ、私は明里達よりも頑丈なんだぞ? 一度もがれた右腕も、こうやって明里が繋いでくれたから動かせるし、左腕が折られ無くなっても、こうして平然といられる。奴との戦いが終わった今、私が今やるべきは戦いよりも、こういう世話なんだと思うんだ」


 自分を機械だという自覚を、悲哀の感情無く冗談のように言いながら励ますクラリス。

 一度とても悲しく苦しんだクラリスが、自分を受け入れながらも優しくしてくれている。

 そんな姿を見た明里は、今はその優しさにちょっと甘えていこうかなと、身体の力を抜いた。


「わかりました。……じゃあ、もうちょっとだけいいですか?」


「もちろんだ」


 柔らかな笑顔を見せるクラリス。もう一度優しくストローを近づける。

 明里は透明なストローを口に咥え、パック内のジュースを少しずつ吸い込んだ。

 不安と状態を気にしていた先ほどとは違い、りんごジュースの甘みがしっかりと感じられた。


「ねえクラリスさん」


「ん、どうした明里?」


「もしこれから私の身体が治って、クラリスさんも修理されて、ちゃんと街が元に戻ったら、クラリスさんはどうしたいですか?」


「そうだな……明里と一緒に街を歩いてみたいな。私は、この街が壊れる崩れた時のことしか知らない。もしそうなったら、鎧を脱いで、新しい服を着て、明里達と楽しんでみたい……構わないか?」


「もちろんですよ。私もクラリスさんと一緒に、色んなとこにいきたいです。東京の外にも出たりしてみて、クラリスさんと旅行とか……」


「なるほど……そういうのもいいな」


「あとはクロムちゃんやリリアさんとも一緒にいったりとか……それから……」


 二人の会話は、静けさ広がるリビングの中で何時間も続いた。

 これからのことや治ったとき何したいか、何を食べたいから、どんな機械に触れてみたいか、解体してみたいか、クラリスさんには何が似合うか。他愛の無い会話が、二人の間に花開く。

 今まではそんな余裕も無く、そのような状態でも無かった二人。これからの未来に小さな希望を抱く二人の仲は、いつまでも続いていくことだろう。

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